#1 正義の組織に潜入せよ
轟音が響き、大広間の扉にひびが入る。黄金色の光が隙間から漏れると次の瞬間分厚い鉄の扉が砕け散った。光り輝く拳の向こうに様々な衣装に身を包んだ集団が現れる。
ここは犯罪組織「リヴァースド」の秘密基地最深部の広間。侵入してきた集団は、リヴァースドを倒すため結成された特殊能力者たちの組織「異能連合」である。戦いの最終局面が始まろうとしていた。
「輝く手だ。異能連合代表の奴さえ討ち取れば後は烏合の衆。行け!」
広間を埋め尽くすリヴァースドの戦闘員に指示が飛ぶと、レイディアントハンドと呼ばれた男へ人の波が襲いかかった。
異能連合の集団の中から別の光が差す。後光のような光の輪を背負った青年が広間の高い天井へ飛び立った。大きく広げた青年の両腕に小さな光輪がいくつも現れる。
「道を開きます。行ってくださいレイディアントハンド!」
青年が戦闘員たちに向かって腕を突き出すと、光輪が次々に放たれた。光の輪は細く大きく広がると、立ちはだかる戦闘員を中に捕らえて広間の左右の壁へと吹き飛ばしていく。
切り開かれた道の先で高さ二メートルを越える大きな影が起き上がる。パワードスーツに身を包んだ男がレイディアントハンドの前に立ちはだかった。
「逆位置の力。参る!」
パワードスーツの左腕下部に備え付けられた機銃が火を吹く。レイディアントハンドが光る右手を突き出すと、弾丸は残らず粉々になった。だが、着弾の衝撃までは完全に殺せないのかレイディアントハンドはその場に釘付けになる。
上空から降りてきた光の輪が射線を遮った。輪をくぐった弾丸は斜めに軌道を変え、誰もいない天井へと突き刺さる。
レイディアントハンドが再び駆け出した。光の輪も共に前進し敵との距離が詰まる。
逆位置の力は銃撃を止めると、右腕の大型クローを突き出した。だが、輝く拳とぶつかり合った鋼鉄の爪は紙細工のようにひしゃげて引き裂かれる。すれ違いざま返す手刀で脚部の関節を切り裂かれると、逆位置の力はバランスを崩して床に倒れ込んだ。
「逆位置の世界!」
レイディアントハンドが叫んだ。彼の視線の先にもう立ち塞がる者はいない。初老の男性がただ一人広間の最深部に立っている。
轟音が響き渡る。飛行する異能者を撃ち落とそうと、リヴァースドの戦闘員が銃火器を使い始めていた。降り注ぐ瓦礫とほこりが二つの組織のリーダーを覆い隠した。
瓦礫の雨が止み視界が回復しかけた時、大広間に絶叫が響き渡った。戦っていた者たちが一斉に動きを止める。黄金色に光る手が逆位置の世界の胸を貫いていた。
苦痛に顔を歪め、逆位置の世界は最期の力でレイディアントハンドの身体を突き飛ばした。光る手が胸から引き抜かれると、逆位置の世界は広間の奥に開いた大きな空洞に向かって倒れこみ、地下水脈へと落ちていった。
「やった」
静まり返った中で誰かがつぶやくのが聞こえた。そのつぶやきはざわめきとなって広まり、やがて歓声に変わった。異能連合のメンバーが喜びの声を上げる一方で、リヴァースドの構成員たちは戦意を失って立ち尽くしたりあるいは逃亡を図ったりと反応は様々であった。
異能連合の支援要員として戦いに参加したマスケラは、皆が落ち着きを取り戻すのをじっと待っていた。宿敵を倒したレイディアントハンドは、歓声に背を向けたまま地下水脈を見つめている。これは予め想定されていた光景だった。問題はここからである。ここよりマスケラは傍観者から当事者へ立場を変え目的を果たさなければならない。
人混みの中へと歩き出すと、異能連合の一人が彼を呼び止めようとした。応じることなく人をかき分けながらレイディアントハンドの方へ歩き続ける。歓声が収まったところでマスケラは足を止め、よく通る声で叫んだ。
「レイディアントハンド、貴方の行いは間違っている」
一瞬辺りが静まり返る。そして再びざわめきが巻き起こった。
狭く長い通路に二つの足音と杖をつく音が響く。かなり深い階まで降りてきたが、前を行く小柄な老人の歩調に乱れる気配はない。
「事態は急を要する。異能連合は既にこの地下基地の場所を特定したようだ。総攻撃がかけられるのは時間の問題だろう」
老人の声には若干の緊張が感じられた。
「我らは間違いなく敗れる。人員も、資金も、技術も、全てにおいて異能連合を上回っていたにもかかわらずだ」
老人は会議室の前で歩みを止めた。各種盗聴対策が施されテレパシー能力さえも遮断する、幹部しか使用を許されない部屋である。老人はリヴァースドの残り少ない幹部の一人逆位置の吊られた男であった。
老人の後に続いて会議室に入るとそこには先客がいた。短く刈られた髪に銀色のメッシュを入れた少年と、長い脚をこれ見よがしに組んで机に乗せたスレンダーな少女。二人とも見習い構成員の制服を着ていた。
「全員そろっているようだな」
老人はそう言うと机に乗った少女の脚に目を留めた。
「降ろせ」
杖で指されると、少女は黙って脚を降ろした。
四人は会議室の大きな机の一角に集まって座り、逆位置の吊られた男が話を始めた。
「今回の作戦はで彼らとチームを組んでもらう。戦闘員見習いのスペードJと――」
長身の少年が値踏みするようにこちらを見た。
「――諜報員見習いのダイヤQだ」
「もしかしてその子がリーダー?」
ダイヤQと呼ばれた少女が怪訝な表情でこちらを見た。幹部を前にしてかしこまった様子は無い。
「その格好じゃ俺達と同じ見習いですよね。階級が同じなら納得のいく決め方でやらせてもらえませんか。後でもめるのも嫌だし」
スペードJはリーダーの人選よりも、お仕着せであることを警戒しているようだった。
「まあ待て。まずは互いを知ることが先だ。ではクラブK、自己紹介をしたまえ」
「キング?」
ダイヤQとスペードJが驚きの声を上げた。リヴァースドの構成員見習いは四つの部隊に分けられ、総合的な能力と適性によってAからKまでのコードが振り分けられている。Kは将来的に幹部への昇格が予定されている特別なコードであった。
「工作員見習いクラブKだ。特殊能力は後天性超能力のテレカンファレンス。テレパシーに似ているが、複数の人間を対象に同時かつ双方向で会話が可能だ」
超能力は先天性と後天性がある。前者は生まれついてのもので、後者は五歳から十八歳までの間に発現する能力である。後天性の能力は稀に消失する例が確認されている。
「テレカンファレンスに一度に繋げる相手は五十人まで。繋いだ相手は最大で十チャンネルまでのグループに分けて別々に会話ができる。有効範囲は一キロメートル四方だ」
「普通の人間は数人の相手から同時に話しかけられれば脳の処理が追いつかず聞き取れない。だが、彼の脳の並外れた情報処理能力は最大五十人の会話を同時に対処できる。本来ならば幹部として大部隊の指揮を執り、都市部における同時多発テロの作戦にあたってもらう予定だったのだがな」
「すごい特殊能力なのはまあ分かった。けど、その力が今回の作戦に重要なのか?」
分かったとは言いつつも、スペードJはクラブKの能力を理解仕切れていないのは明らかだった。
「実際にやってみせよう。二人とも手を出して」
スペードJとダイヤQが手を出すと、クラブKは指先でそれぞれ順に触れた。
(こうして体に触れることでテレカンファレンスに繋げられる)
「おー声が聞こえた」
(声を出さずに頭の中で私に話しかけるようにイメージすれば、テレカンファレンス内で会話ができる)
(一人称私なんだ)
ダイヤQの声が頭の上の方から聞こえた。
(こんな感じでいいのか。っていうか、全然驚かないんだなダイヤQ)
(諜報員はテレパシーとか精神操作の特殊能力多いからね。五十人同時会話までいくと珍しいけど)
(さらにはこんなことも可能だ)
逆位置の吊られた男の声がテレカンファレンス内に響いた。
「うわっ」
不意をつかれてスペードJが声を漏らした。ダイヤQもさすがに今度は驚きの表情を浮かべた。
(一度でも繋いだことのある人間の声を真似て会話をすることができる。これは私だけが可能――いわば管理者特権だ)
(なりすましも自由自在ってことね)
(あとはチャンネルについてだが、同時に繋いでいても別のチャンネルに振り分けられるとお互いの声は聞こえなくなる。振り分け直して同じチャンネルに入れれば――)
逆位置の吊られた男の方を振り向くと、老人は眉を片方上げた。
(――声が聞こえるようになる)
(チャンネルの説明は済んだようだな)
今度は本物の逆位置の吊られた男の声が響いた。
「テレカンファレンスへの接続は体に触れることによって行うが、解除には接触の必要は無い。また、有効範囲外まで離れても声が聞こえなくなるが、接続を解除していなければ有効範囲内に戻ることで復帰できる。説明は以上だ」
「なりすましに秘密回線か。確かに今回の作戦のリーダーには最適かもね」
接続を解除されたことに気づき、ダイヤQが口を開いた。その言葉にスペードJもうなずく。
「次はスペードJ、君の番だ」
逆位置の吊られた男に促され、スペードJが立ち上がった。
「戦闘員見習いスペードJ。一番ランクの低いコードで悪いけどうちのKとQは――」
「確かラボの防衛戦で」
「ああ、一緒に吹っ飛んだ」
クラブKの言葉にスペードJがうなずいた。異能連合によって多くの戦闘員が逮捕され、ついに戦闘員見習いまでもが実戦に駆り出されていた。
「卑下する必要は無い。スペードJは戦闘員としては特殊な位置付けで、将来的には要人暗殺などの作戦に当たってもらう予定だったのだ。つまり、今のような事態にならなくても君と組んで働いてもらう可能性が高かっただろう。続けたまえ」
「特殊能力は後天性超能力のショートテレポート。視線が通る範囲ならどこでも跳べる」
「視力は?」
「両方とも1.5だ」
「素晴らしいな」
「といっても正確に移動できるのは半径五十メートルってところだ。衣服に加えて大人二人分までなら持って行ける。乗り物なら大型バイクまでなら運転しながら跳べる」
「増強手術はどうだ?戦闘員なら増強手術を受けているだろう」
「基礎手術と赤外線視覚の手術を受けてる。光学迷彩やステルスも受ける予定だったんだけど」
「ラボが無くなったので中止か」
「そういうことだ」
一通り話を聞いて考え込むクラブKに、逆位置の吊られた男が補足の説明をした。
「今回の作戦では、君達が正面からの戦闘を行う必要は無い。基礎増強手術による常人の二倍の身体能力があれば十分だろう」
「戦いは絶対に避けてくれなきゃ困るよ。アタシ諜報員だし戦闘向きの能力なんて持ってないからね」
ダイヤQが口を開いた。ずっと話を聞いているのに飽きた様子である。
「ふむ、次はダイヤQの番だな。自己紹介を始めたまえ」
「ダイヤQ。今は諜報員見習い。能力は先天性超能力の真実の眼。力を使っている間、視線を合わせた相手は嘘をつくことができなくなるの。そして、能力を解除すると真実の眼を使っていた間の相手の記憶は完全に消える」
「情報を漏洩したことを忘れるのか。諜報員の能力としてはこの上ないな」
「その代わり戦闘は絶対にやらないからね。一応訓練は受けてるけど、異能連合のメンバーにはたぶん勝てないから」
「覚えておこう」
「今回の作戦において、異能連合との戦闘は絶対に避けなくてはならない」
逆位置の吊られた男が厳かに言った。
「では、改めて作戦の概要を説明しよう。君達には身元を偽って異能連合に潜伏してもらいたい。目的は三つだ」
老人の鋭い目が三人を見渡した。
「一つ、異能連合内で離間工作を行い派閥を作る。連中は代表であるレイディアントハンドの下で結束している。その一方で我々リヴァースドは組織内で派閥に別れ、互いに脚を引っ張る始末だ」
「組織の規模で勝っていたにもかかわらず追い込まれたのは、団結力の違いであったということですね」
「その通りだ。異能連合内にも派閥を作ることで、彼らの力を削いでもらいたい」
クラブKの言葉に逆位置の吊られた男がうなずいた。
「二つ、我らの主逆位置の世界に対し反抗的な派閥を始末する。異能連合の総攻撃を受け我らが敗れた後、組織の残党が分裂する危険性が高い。そうなった場合に異能連合を利用して逆位置の世界に敵対する派閥を殲滅するのだ」
「もう負けるのは確定なんですか」
スペードJがおそるおそるたずねた。
「このままでは巻き返しは不可能だろう。最悪の場合逆位置の世界が倒されることも考えられる。だが、そのような事態に直面しても動揺してはならん。我らが主は秘策によって必ず復活を遂げるからだ」
「だが、忠誠心の薄い派閥はその機会に独立を企てると」
「おそらくはな。中でも特に危険なのは逆位置の正義だ」
「対策を考えておきましょう」
「三つ、これが最後の目的だ。異能連合に偽情報を流して罠へと誘導する。これについてはリヴァースド復活のめどが立った時点で詳細を説明する。異能連合のメンバーを一網打尽にするため、それまでに組織内で信頼を得ておくことが重要だ」
「お任せください」
「作戦の概要は以上だ。それでは各自の装備とこちらで用意した身分証を受け取りたまえ」
逆位置の吊られた男が会議室の奥を指さした。そこには三人の所属部隊に対応するマークがそれぞれ記されたアタッシュケースが並べられていた。
「現在の君達の名は今日限りで捨ててもらう。これからは、異能連合に潜伏するための各自のコードネームを名乗るがいい」
クラブKは自分のアタッシュケースを開いた。きれいに詰められた装備品の中央には、顔の上半分を覆う白い仮面が置かれていた。仮面の鼻の部分には猛禽のクチバシのように短いカーブを描いた小さな突起が付いている。
「クラブK、仮面」
スペードJのケースの中には頭の上半分を覆うイヌ科の動物を模したダークグレーの仮面があった。
「スペードJ、ジャッカル」
ダイヤQのケースには顔の上半分を覆う白黒の縞模様の仮面があった。
「ダイヤQ、ストライプ」
三人が各々の仮面をつけたのを見て、逆位置の吊られた男がうなずいた。
「それではチームカルネヴァーレ、これより作戦行動に移れ」
一糸乱れぬ動きで三人は敬礼した。
「あの、ところで――」
「何かねマスケラ」
「チーム名に合わせてコードネームもそれぞれイタリア語にするという話だったのでは」
「べつにいいでしょ、どうせ仮の名前なんだし」
「こういうのはシンプルな方がいいんだよ」
仲間二人にあっさり否定されマスケラは言い返そうとしたが、逆位置の吊られた男が彼を制した。
「我々には時間が無い。分かるな」
「は、はい――」
マスケラはがっくりと肩を落とした。
身分証に記された住所には、作戦行動中に三人が使用する住まいがある。現地に向かった彼らを待ち受けていたのは、前世紀から建っていたかのようなボロアパートであった。
「ちょっとここに住むの?マジで?」
「本当にもう金が無いんだなうちの組織」
二人の言葉に同意しそうになるのをこらえ、マスケラは預かっていた部屋のカギを取り出した。
「作戦終了までの辛抱だ。我々の部屋は道路側の端二〇九号室から並ぶ三つになる。まずは部屋割りを――」
「角部屋いただきー」
ストライプがまるで当然であるかのような態度でマスケラの手からカギをつまみ取った。
「おい」
「何?」
「いや、部屋割りを決めると――」
「こんなアパートで得体の知れない住人と隣り合わせになれって言うの?女の子に?」
言葉に詰まるマスケラを見て、ストライプが笑みを浮かべた。
「じゃあ、ありがとうね」
上機嫌で部屋に向かうストライプを男二人は見送るしかなかった。
マスケラは無言で残りの二つのカギをジャッカルに差し出した。ジャッカルがカギの一つを取り、真ん中の部屋のカギが残った。
「あいついっぺんガツンと言っておかないとダメだって」
「諜報員は単独での判断や行動を求められることが多いから、ああいうタイプが多い。彼女の行動の早さは作戦遂行にプラスになる――はずだ」
「そういうもんかね」
階段を上がり二階の通路を歩いて行くと、並んだ部屋の一つから妙な声が聞こえてきた。
「い~っし~んちょ~うら~~い」
「何だこの声」
「般若心経だな」
動揺するジャッカルにマスケラは落ち着いて答えた。
「いやそうじゃなくて」
「声の数からして音声データを再生しているんだろう。アパートの部屋に入り切る人数ではない」
「そういう問題じゃなくて――てか、俺の部屋隣りじゃねえか」
「作戦終了までの辛抱だ」
自分の部屋のカギを開けると、マスケラは速やかに中へと入った。
 




