7、果たして彼は、自分を喜ばせたいのか。他人を喜ばせたいのか。⑦
で、続きなのですが。
少し前に、【強烈なルサンチマンを克服しないと人間的に考えの厚みが出ない】ということを書きました。
それはどういうことかと申しますと、悪いことも知らなければ、良い基準の測りようがない、ということです。
そして付け加えたいのが、【強烈なルサンチマンを克服する】ということを【自らが気づいて克服したかか?】【他人に強制されたのか?】で、全く違うものとなってゆきます。
率直に言えば、
【自らで克服した】
というのが望ましいです。
というのも、【他人の力で強制される】ということもありなのですが、それは自律的な考えでないためにどこか【与えられたもの】というイメージが強く、仮にそういった【強制してくれた存在】などが攻撃されたり、攻撃されそうになった、という情報が耳に入っただけで思考停止し、建設的な考えを止めてしまう恐れがあるからです。
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【どうしたらいいのか、心をフラットにして考える】
まあ、これが常時できればいいのですが、人間は窮地に追い込まれれば大抵は思考停止してしまうものです。
人の一番の恐怖は、【あるものが一瞬にしてなくなること】で、積み上げてきたものを失うことに常に怯えています。
頭を空っぽにして考える、という言葉はそういうことで、僕は子供の頃に観ていたアニメ『一休さん』でそれを学びました。
あの、
「ポクポクポクチーン!」
のシーンはそれの直喩で、自分の立場も何も今は一切フラットにして、問題に対して真っ向から向き合う、という行動を行っていると僕は思っています。
つまり、僕がよく使う、
「それはそれ、これはこれ」
という考えとおなじで、一旦すべてを切り離して考え、またそれを再構築するということです。
つまり言い換えれば、
【パズルのピースをはめるのに、大きな部分を把握しながら、一旦それを切り離し、その問題のピースを集中して構成して出来上がったら、またそれが大きな部分と適合するのか試し、それが良いとなったら答えが出る】
ということです。
いわば、【カメラのピントをずらして目線を変える】とか、【チャンネルの周波数を変える】とかの方法を常時行うということです。
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