5、果たして彼は、自分を喜ばせたいのか。他人を喜ばせたいのか。⑤
ちょっと長くなりすぎたので、恥ずかしい自分語りは省略いたしますが。
ああいった集団及び、個人を判断する際に大切なのが、今回のサブタイトルにもありますように、
【果たして彼は、自分を喜ばせたいのか。他人を喜ばせたいのか】
なのです。
それは、相手を見るときの根幹として押さえておかなければならないところであります。
それを語る相手、即ち目の前の人に対して何らかの判断を下さねばならないとき、その主張や考え方の出発点が、
【自分を喜ばせる(満足させる)ための主張であるのか?】
【周囲を喜ばせるための主張であるのか?】
を読み取ることが出来ると、その人の何たるかが容易に見えてくるものです。
そして、その人の根幹に【強烈なルサンチマン】が存在すると、大概が結果的に【自分を満足させる】という行動に至ってしまうものなのです。
まあ、例えて言うなら、【逆襲のシャア】におけるシャアの行動がそうであります。
彼が物語上で見せた最終的な行動は、民衆の不満に乗じた【自己完結】に則っています。
これは別にフィクションに限られたものではなく、実際の歴史上における指導者や、世間を混乱に陥れた主犯格にも共通することなのです。
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こういう事を書くと大抵、
「ならばルサンチマンを持ったやつを排除しろ!」
と言う風潮になりがちですが、それは間違いです。
というのも、どんなに平穏な世の中になろうともルサンチマンは必ず発生します。
強いて言えば、【ルサンチマン】を持たない人などいる確率の方が希薄です。
ルサンチマンという概念は物の例えであり、人間である限り切っては切れない自然の法則です。そしてあるかないかではなく、強弱で考えなければならないものなのです。
逆に言えば、
【ある程度の年齢になったとき、ルサンチマンを克服してこなかった人は、考えに厚みがありません】。
とりもなおさず、
【いい年齢をしてルサンチマンの塊である連中は、精神が発達していない行動を取ります】。
その行動はとても幼児的で、非論理的で、自分本位であります。さらに、周囲を客観的に見られず、強い立場の人間に言いなりであって、どこかそれを本能的に望んでいるところがあります。
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