4、果たして彼は、自分を喜ばせたいのか。他人を喜ばせたいのか。④
その会社に入り様々な経験をすることで、僕は“地の自分”と“周囲の期待に応える自分”の器用な使い分けが客観的な演出を含めて、以前よりも増してコントロールできるようになりました。それは自分にとって喜ばしい成長でした。
仕事は大変ハードなものでしたが、その見返りとでもいうか実績が上がってゆくたびに周囲との信頼関係が厚くなることで、【強烈なルサンチマン】が消えていったのです。
なぜなら僕は、
【周囲の期待に応えることに無上の喜びを感じるタイプ】
だからです。
そして気づいたんですね。僕の中にある【強烈なルサンチマン】の正体に。
それは、僕がどちらかと言うと筋の通らない曲がった事が大嫌いなタイプで、だけど僕と対立していた連中自体が【ルサンチマンの塊】であって、そういう連中自体に復讐心を燃やすということが、どれだけ無駄なことであるかを。
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僕は世の中が、良い、悪い、の二分法でないという考え方をしている人間です。最近はそういう考え方が浸透してきましたよね。
だけど、僕らの子供の頃の教育然り、バブル期後の風潮然り、そこに至らずに【新興宗教】というもののドツボにハマった連中を沢山見てきました。
僕の新興宗教カルトアレルギーは、以前にも書きましたが、小学生時代に何も考えさせない【左ならえ教育】に反発するところが発端です。
先ずは材料があったら考える。そういうスタンスは当時はありませんでしたし、教師のいう事を鵜呑みにしてただハイハイ言っている奴が優等生扱いでしたからね。
でも、何故か学級委員長に選ばれるのは毎年俺。無理難題を頼まれるのも俺。でも裏では内申書はクソみたいにボロボロ。
中学時代の教師に拉致監禁された話って以前書きましたっけ?
それにまつわるエピソードも事細かく書くと、まるでジュニア向けのスパイ小説みたいな話になってしまうので、あまり長くなるので書けませんが、そういうの本当にあったんですよ。時代ですかね。
その時、僕は本当に言ったんですよ。あのクソ教師どもに。
「あんたらの教育では、十年後、二十年後にこの世の中が狂ってしまう」
ってね。本当に言ってたんですよ。昭和57年か58年ごろに。
だってね。奴らと言葉を交わすたびに、ひしひしと伝わってくることがあったんです。それは理論が破たんしているだけでなく、
「ああ、こいつらは自分のことしか頭にないんだ……。教育者のくせに」
ってね。
それで、僕は中学時代に世の中に完全に絶望して、無気力で享楽的な人生を歩む方向を選んだんです。
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でも、世の中に出て様々な人と出会ってゆくうちに、
「あんな連中ばかりではない」
ということに気づきはじめたんですね。
だけど無論、いいことばかりではありません。
あの新興宗教ブームに潜む深い闇を持った人物たちの饗宴が平成初期に訪れるのです。
その代表格が【オウム真理教】の【地下鉄サリン事件】です。
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