32 とりあえず最終回ということで。
どうもこんばんは、矢暮です。
まあ、サブタイにも示した通り今回でこのエッセイもどきを最終回にしたいと思います。
だって、オルフェンズで名瀬の兄貴も死んじゃったことだし、この『なぜパプ』も一旦終わりにしようかなと。
あんまり堅っ苦しいことばっかり書いているのもなんだしね。
そういや、別の趣味でカラオケが好きなんですけど、最近『マクロスΔ(デルタ)』でワルキューレが歌っていた数曲を覚えて歌ったりしてるんですよ。あんまりデキは良くないんですけど、某カラオケ配信サイトDAM☆ともにアップしておきましたので、興味のある方は“ふわとろ太尉”で検索してみてください。
中でも、ここ一週間内で覚えた【僕らの戦場】がお気に入りです。
ただね、女の人の歌を歌うというのは音程の取り方が難しくて、慣れるまで大変なんですよ。僕は女性シンガーの曲はキーを♯3から♯7上げて歌うという方法を取っていますね。
以前は歌謡曲やロック中心だったんですが、ここ近年はアニソンにハマってしまって、子供時代に見たアニメなんかの曲を歌うのが定番になってしまいました。
去年はそれこそ【オルフェンズの涙】を練習したりして、その動画がまだニコ動なんかに残っているはずです。まあ、再生回数は微々たるものだから放ったらかしのままなんですがね。
ネットで顔出ししているのは、DAM☆とも動画とそのちょこっとニコ動に試しに上げているものぐらいです。
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そんなこんなを話の枕にして語ってみたんですが。
ホント、実生活でここ最近色々あったんですが、やっぱりこの話題を最後に語ってみないといけないような気がします。
というのも。
人の思考や感覚は、よく【一割程度が意識的で、九割程度が無意識】であると言われていますよね。
だからこそであるか、逆を言えば【相手の無意識を察知することが重要である】と僕は昔から考えています。
相手と話したりなんだりするとき、【その人の無意識がどこを向いているのか】をプラグインすることで、なんとなくインターフェイスが繋がったようなイメージを持つことがポイントであるような。
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そんな時、その人の【デッドオアライブ】の意識がどの程度であるかも重要視します。
そう、まるで幸せに生きてきた人に【デッドオアライブ】の意識の感覚は芽生えていないので、それをこちらから求めても、相手には邪険にされてしまいがちです。
逆も真なりで、バリバリの【デッドオアライブ】の感覚で生きてきた人から見れば、その感覚のない人はフニャコフニャ夫にしか感じられないのと同じことですから。
でも、それが良いとか悪いとかという事ではなくて、そういうのが役割の全てに言えることなのではないのかという事です。
そして、今現在の創作の需要と供給にも同じことが言えるのだと思います。
生まれてこの方、【デッドオアライブ】の感覚が芽生えていない人に、それをテーマにした題材の創作作品を見せても、さほど興味を示す確率は高くないと考えられます。
それよりも日常系や恋愛系などなど、日常生活に準じたもの、もしくはそれを著しく逸脱した要素が一部にのぞかせる“エブリデイマジック”を使用した方が興味を示しやすい確率が高まるのと同じことです。
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それだけ根源的な価値観というものは違うので、そういうのを掘り下げてみるのも面白いのではないかと僕は思います。
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てなわけで。
最後はとりとめもない話になってしまいましたが、まだ未定ですがまたこういったエッセイもどきを書き始めることになると思いますので、そのときは読んでくださいな。
では。さらば!




