31 大衆メニューの楽しみ
どうも。一月ぶりです、矢暮です。
十数年前に体を壊してからと言うもの病弱になってしまい、鬼門の一月となってしまいました。そして案の定、風邪っぽい何かを引いてしまい、今日は仕事を休みました。
そういやこの前に書いた中学生時代の鬼っ子だった時代の誰も聞きたくない私の武勇伝なんかの続きを書こうとしたのですが、あまりにもエグい展開になってしまうのでそれは自粛します。
まあ、最終的に校長との一騎討ちになるわけなのですが、あまりにも相手が馬鹿だったので当時の僕は愕然とし、本当の絶望を覚えてしまったのを思い出してしまったからです。そして僕は享楽の道に。
本当に相手が狂っていたのか、それとも事なかれ主義を貫き通すためにあんなんだったのかは今は知る由もないことなのですが、ろくでもない教師が氾濫していた時代であったことは紛れもない事実だったと思います。
★★★
と、新年一発目からそういう話で始まりました、このエッセイモドキですが。
ついこの間、大ヒット映画《きみの名は。》が、ある一部の人たちから批判されているという記事を読みましたもので、僕なりの意見を久しぶりにのべてみたいと思います。
まあ、僕はこの映画、夏ごろ観ましてとても楽しんで感動もいたしました。だからといって、このエッセイモドキに書かなかったのは、実を言うと何も書けなかったからです。
いや、それは批判しているからではなくて、それ以上書く必要がない出来映えというか、それ以上書く必要がない性質を持った映画だと思ったからです。
★★★
というのも、
「これは大衆料理であるから」
なんです。
大衆料理とは、僕ら現代の日本人から言えば、ラーメンにハンバーグ、焼きそばにカレーライスみたいなもの。
それを、新海誠監督というフレンチや懐石料理のコース料理も手掛けられる達人が、今回は手間隙かけて、材料も吟味して素晴らしいハンバーグ料理を作ってくれた、とそんな感じだと思ったからです。
そう、ハンバーグは所詮今どきハンバーグなんです。でも、されどハンバーグ。その、されどハンバーグというものを魅せてくれたのが、今回の《きみの名は。》なんです。
それまで新海誠監督の作品は、どちらかというと文学的で、純粋な大衆向けではなかった。それを、いかにも大衆向けストーリーにシフトしたことで、批判の的にされているのはご承知の通りだと思います。
でも、それだっていいじゃない。とても面白かったんだからさ。
僕は少なくとも感動して、気分がハイティーンの頃に戻ったような感じさえしたし。
大衆エンターテイメントって、そういうスカッとしたりすることが大事なんだよね。
だから、今回は新海版ハンバーグが食べられたってことでいいんだと思う。だから僕は《シン⚫ゴジラ》を観た時のように鑑賞後の何かを書けなかった。それは、そういうのを細々と書くことがとても無粋だと感じたから。
この映画は、家族やカップルなんかが一緒に見て、
「ああ、この映画面白かったね。また映画観に来ようね」
と言わせて、その後、美味しい食事にでも行ける、そんな意味合いを持った物だと思うからです。そう、それは生活に於ける純粋な潤滑油である感じなんです。
そういう物に対して、僕は少なくともあーだこーだと難癖を付けたくはないし、粋ではないと思うわけなのでございます。
★★★
というところで、新年一発目のカウンターはそんな話でありました。
では。




