20、ゆとり世代という言葉の罠と、生きる意味。②
そしてここからが副題に対する展開なんですが。
今回の副題に、ここ十年来よく耳にする、
【ゆとり世代】
という言葉を入れてしまったからには、これについて関連したことを書かなければなりませんね。
★★★
事実、僕の見方からすれば【ゆとり世代】は存在します。
しかし、それはその対象に遭遇する確立が高くなったことを意味するのであって、全時代共通して、
【ゆとり世代的な人物】
は存在していると観ていいと思います。
つまり簡潔に言えば、
『どの時代、どの世代にもそういった感じの人はいるし(いたし)、今回は教育や環境によって【ゆとっている】考え方が増産された』
ということです。
★★★
実際に、その世代の人たちと触れ合って思うことは、
「割と素直じゃん。だけど、生きる意欲に欠けているな」
ということ。
別にこれらは、教育によるものの影響だけじゃないんですよね。
ならば、何の影響が一番強いのかと申しますと、
【何もしなくても生きてゆける】
という『無意識』が、生きる衝動を呼び覚ましていない、という感じ。
端的に言えば、
「何で生きなきゃいけないの? 何でやらなきゃいけないの?」
と、そんな根底的な衝動への反発が、彼らの中に植えつけられているというか、発芽させられていないとでもいうか。
もっと端的に言えば、
『与えられることに常道的になってしまい、それに何の不思議も覚えていない』
とでも言ったらいいのか。
だから、どこかに必死さがない。
★★★
でも、別にこれは今の【ゆとり】と言われている人たちだけに始まったことではなく、僕たちの世代の今、ふんぞり返って仕事をしている中身すっからかんの連中にも全く同じようなものが見えているわけで。
そんな目くそ鼻くそなけなし合いを横目見て、脱力してしまう時代なのが現状だと思うんですよね。
とは言ったものの。
僕自身も、偉そうなことは言えない享楽の道を選んだんですから、鼻くそ以下のはぐれ者なんですけどね。
★★★
それじゃあ、率直に生きる意味を言いますと。
ミクロ視点(※一人一人の個人目線)では、愛だの何だのと宗教や道徳、哲学なんかが答えていますが、マクロ視点、つまり人類的には、
【種の存続】
が大前提であると考えられます。
多分、今現在考えられることは、それ以上でもそれ以下でもないと思います。
まあ、文化や考え方が進み新しい証明や発見が出てくれば、それもシフトしてゆくのだろうと思いますが。
★★★




