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2、果たして彼は、自分を喜ばせたいのか。他人を喜ばせたいのか。②

 前もって正直に告白しておきますと、僕自身も若い時分までは【強烈なルサンチマン的衝動】を胸に抱いて生きておりました。


 その要因は簡単で、以前のエッセイもどきにも書きましたが【馬鹿な父親との確執】と【教育者との凄惨な対立】です。


 そういうのは大抵御多分に漏れなく、少年時代の“大人や周囲との関係”がそうさせるものです。


 ただ僕自身が救いだったのは、友人関係が極めて良好であり、周囲が認めてくれる立場にいた、ということです。

 多分、それが無かったら僕は間違いなく人として道を外さなくてはならなかったのではないか、と思えるところがあります。

 正直それが大袈裟な言い様だったとしても、強烈な何かを抱えていたことは間違いないのです。


 ☆☆☆


 その僕の中の【強烈なルサンチマン】と僕自身が対立し始めたのは、上京して社会に出て一人暮らしをし始めた頃。

 以前にも書きましたが、その頃はバブル経済が終焉を迎えるギリギリの時。

 その当時の世間は今とは全く違う異様さを呈していました。


 そのバブル経済が終焉を迎えた瞬間に住んでいたのが、目黒区の東急東横線の学芸大学駅と祐天寺駅の真ん中ぐらいに位置するボロいアパート。

 風呂トイレ付きと言えど、1Kの築ウン十年の物件で、それでも確かその当時で家賃がひと月15万円近くはしたかと思います。

 ちなみに近隣で駐車場を借りると、野ざらしですら一台分で15万円しました。つまり、それがバブル経済です。


 その辺りには当時、古い民家も多く、高齢の夫婦だけで住む家も少なくありませんでした。つまり、目黒区という地方人からすれば高級住宅地のイメージのする場所でも、普通の収入の人や、年金のみで暮らす高齢者も相当数いたのは事実です。


 にもかかわらず、地価の高騰の煽りを受け、固定資産税や相続税が払えず止むを得ず自己破産をしたり、自殺を図る人もおりました。確かにそういう報道がなされた記憶も残っています。


 その時代のご老人たちは対策として、古い家の一部分を倉庫として間貸ししたり、当時増えてきた外国人の留学生に二畳、三畳と区切りを立てて下宿替わりにしたりと工夫を凝らしていたのを思い出します。

 具体的に言えば、普通の六畳や八畳間を、ベニヤ板ぐらいのもので区切った部屋を数千円から一万数千円程度で貸し与えていたのです。


 しかし、それでも今一つも今二つも効果が薄いものですから、懐かしい用語ですけれども【地上げ屋】に売ったり、【某新宗教団体】に税金を肩代わりするとそそのかされてタダ同然に売り渡したり、など、世間ではあまり知られていない話があったりしたわけです。


 ☆☆☆

 

 僕は子供の頃からきれいごとに身を包みにこやかに近寄ってきて弱いところを突く、懐かしい格闘ゲーム用語でいうところの、

【投げハメ】

 を使う連中が大嫌いでした。何故かと言うと、倫理に反するとかそういう意味合いよりも何よりも、知能的ではないからです。


 僕が少年時代に父親との確執を確立する経緯にも、教師との対立を確立する経緯にもこの部分の要因が大であったことは間違いありません。

 これは大人になり、冷静に客観的になって気づいたことなのですが、どうやら僕は【不条理に支配される】ことを異常なぐらい嫌悪してしまうのです。

 いつもは理性的にしていても、そういう不条理を察知するとかなりの攻撃的な人間に変化してしまう。これがトラウマ衝動ってやつなんですかね。

 今でもはっきりと覚えている。中学二年生の帰宅の時。仲の良いクラスメート五人ぐらいで歩いていたとき、後ろから暴走してきた車があった。僕は接触しそうになったので、咄嗟に大声で、

「このクソ野郎! どこ見て走ってんだ!」

 と怒鳴ったら、セドリックだったかグロリアだったかの車が急停止して、見れくれからいかにも“それ”と分かるブルドックみたいな大男が出てきたのです。

 友人たちは一瞬にして風のように五十メートル先の物陰に逃げ込んだのですが、僕は少しだけ怖いのと同時に沸き立つ感情が抑えられず、その場に立ち尽くし思わずニヤニヤしながら相手を睨み付けていたのです。

 しかも、住宅街のど真ん中の狭い道で、僕はこの時本当に、

「こいつ、かかってこねえかな」

 って思っていた。

 それから数分ぐらいにらみ合っただろうか、相手の大男は(※当時中学二年生だから僕の身長は168cm程度)を見下ろすようにして、

「●●●●●か、覚えておくからな」

 と言って、制服のネームプレートを読み上げると車に引き返し走り去ったわけです。


 後で考えれば、間違いなく自身の身の上がどうなっていたか分からない状況なのだけれども、この頃の僕はどうかしていて、

「こいつ、なんでかかってこないんだ。これから先自分がどうなってしまおうが、こいつとやり合って無茶苦茶にして、こいつに恥をかかせてやる!」

 と、本気で思っていた。自分がどうなろうと、無茶苦茶が出来る口実が出来上がる、と思っていた。しかも相手が“それ”だったら、制服を着た中学生に公衆の面前で何かを仕掛けるなんて恥以外の何物でもない。右に転んでも左に転んでも“こいつは恥の上塗りになる”と思っていた。本気で思っていたんですね。


 今考えれば馬鹿な考えだと思います。

 だけど、そう。少年時代の僕は筋金入りのニヒリストでルサンチマンだったのです。そういうギリギリのところを衝動的に求めていたのだと思います。


 ここまで書いて断って置きますが、僕はヤンキーではありません。学級委員長で学年委員長した。


 ☆☆☆

 

 


 


 

 

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