1、果たして彼は、自分を喜ばせたいのか。他人を喜ばせたいのか。①
どうもご無沙汰しております、矢暮終之丞でございます。
なんというか、またまた故あってこんなエッセイもどきなどを始めてしまいまいたわけでございますが。
今回は、以前に引き続き、
『新・なぜパプテマス・シロッコは赤い彗星を“ニュータイプのなり損ない”と揶揄したのか?』
というタイトルで書いてゆこうかと思う次第でございます。
というのも、前回のテーマであり内容の根幹にあるものは、人間の中にある、
【広義の意味でのルサンチマン】
なんですね。
というのも、赤い彗星ことシャア・アズナブルというキャラクターの根幹にあるのは、ルサンチマン的衝動をエネルギーとした行動である、という僕の勝手な解釈を基に、先のエッセイもどきはその言葉をあえて引用せずに書きなぐったものであると申し上げておきます。
そして、昨今の痛ましいテロ事件や社会情勢の中に、
【広義の意味でのルサンチマン的衝動】
が根幹に潜んでいるのは皆さんもお気づきのように明々白々の事実なわけでございます。
とりもなおさず、あの前都知事問題にしろ、ISテロ問題にしろ、政治思想や教育道徳を語る以前の考え方として、やはり、
【人間学】
というものを見直さなければならない時期に来ているのではないかと感じ、これを書きたい衝動に駆られたわけでございます。
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正直、僕は今でも根っからの怠け者でありダメダメ男なわけなんですけども、
「お前は人を見る目だけはある」
と、僕自身が若い時分にお世話になった“社会的な師匠”二人に言われた経験を基に、そんな感じで描いてゆきたいと思います。
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