step2.真ん中に立ってみる
パーティーはバイキング形式なのだが、中央には長椅子が大量に並んでいるので、必然的にテーブルは壁沿いにずらりと並ぶことになる。そちらに近づいていくと、僕の姿に気づいた連中が勝手に僕の紙皿にニンニク料理を押し付けていく。しばらくは呆れ顔を浮かべるしかなかったが、途中からはいい加減腹が立ってきたので、結局意地を張って一品も口にしなかった。
ビンゴや名も知らぬ諸々のゲームなどをしている間に、八時から始まったパーティーは一時間半が経過していた。しかしもちろん、誰もこんなところでバテたりはしない。むしろ、やっとエンジンがかかってきたような様子である。
「ではここで、〈本日の主役〉から一言いただきたいと思います!」
突然、飯田先輩が無茶振りをしてきた。え、僕? と思う間もなく周りが僕を前方に連れ去る。
壇上に登らされると、飯田先輩にマイクを持たされる。そして
「吸血鬼ドラキュラ伯爵です!」
間抜けな紹介だなぁと思いながらマイクのスイッチを入れた。
「えー、ただいまご紹介に預かりました……ヴァンパイアです」こっ恥ずかしい「本当はこうして目立つのは苦手だったのですが、面白がってくれた皆さんのおかげでこうして脚光を浴びさせていただき、衷心より感謝しております」
結月が「貴族らしくしろー」と野次を浴びせる。一同が大笑い。僕が貴族の血筋であることはなぜか皆に知られている。
「……まあともかく、今夜は死人たちが現世で大騒ぎする大切な日です」そんな感じだった気がする「皆さん、明日死んでも悔いが残らないくらいに楽しみましょう」
出鱈目で不穏なことを口にして茶化してみたが、みんな真に受けたみたいに大声を上げた。次の瞬間、飯田先輩がマイクをひったくって
「よっしゃー! ここからはギアを一段階上げるぞー!」
がなった。ハウリングするぐらいにがなった。それに合わせて壇の下の全員が拳を突き上げ唾を飛ばして雄叫びを上げる。
「行けるかァ!」「ウオオ!」「まだまだ行けるゥ!」「オオオオ!」「もっと!」「アアア!」
「もっと!!」「ダアアアアア!」
その様子に面食らう。それからはたと思いだした。事前に告知されていたプログラム、十分間の休憩というのがあったが、今のがそれだとするなら、これから始まるのは――
その時、音が聴こえた。
弦の振幅により奏でられる独特の低音は、気づくと隣に立っていた後輩の城田――白髪のかつらと白い付け髭、巨大な鍔広帽で顔が見えにくい――が持つベースの音だった。歓声は、その音に気づいた者たちが増えるにつれ小さくなる。鋭く音程が上昇していく。最高音に近付くにつれ、その音律は複雑化し、同一のモチーフを持つフレーズの組み合わせからなるメロディとなる。右手は絶え間なくワイヤーを指の腹で叩き続け、左手はネックを時に大きく時に小さくスライドして、異なる音の群れを数珠繋ぎに奏でていく。
思い出した。バンドライブは九時からの予定だったが、かなり押しているらしい。
ベースの刻むビートに声を合わせる観客の中から壇上に駆け上がってきたのは結月だ。一方先輩は僕にマイクを放り投げ、教壇の奥へ。ギターのストラップを首に掛け、髪を後ろで一まとめに縛って、結月とすれ違いざまにドラムスティックを渡す。
先輩が何気ない調子で弦を鳴らした。満足げに笑みを浮かべ、それから城田に向き直る。弦を睨んでいた城田が、不意に顔を上げてにやりと笑った。先輩が再び爪弾く。同時、城田の脚が躍った。その単純なダンスは未開の民族のボディランゲージにも見える。
二人は移動し、ドラムを挟んで結月と対峙する。椅子に腰を下ろした結月は、クルクルっと器用にスティックを回転させ、それから何の前触れもなく左のシンバルを叩いた。両手が自由なままの先輩は、二本の指を揃えて右のシンバルを叩いた。それから二人が構える。
瞬間。
目が合ったその瞬間、結月の右手が上がり、先輩の手首がもたげられ、城田の頭が後方に引き絞られた。
三人が吸う息の音が一致。ドラムの太鼓が乱打。ギターの重音が掻き鳴らされ、城田が頭を振る。三人の腕がそれぞれの楽器の上を走り回り、足がステップやリズムを刻む。二小節からなる単一のフレーズが繰り返される。先輩と城田が壇の前方に立ち、詰め寄ってくる参加者と向き合って音を響かせていく。アンプによって増幅されたそれらのサウンドとは別に、二人の弦の軋むような音が僕の耳にも届く。特に城田のベースは、ピックを使っていないとは思えない激しさと音量だ。
ふと、先輩の体がこちらを向いていることに気づく。もはやアリスのロリータ的な魅力は微塵も感じない。普段通りの、悪戯好きでお祭り好きな先輩の、あるいは男っぽい個性が爆発している。馬の尻尾が汗に張り付きながらも跳ねまわる。リズムに合わせて煽るように顎をしゃくり、肩を押し込み、ギターのネックを振り上げる。僕に向かってこう言っているのだ。『さあ来い』。そのために、執拗なまでに一つのフレーズを繰り返しているのだ。
僕はメロディに合わせ口を開いた。思い浮かんだままの意味をなさない子音と母音を囁くように宙に並べる。それをワンフレーズ分終えてから、いったん待つ。マイクのスイッチをオンに。「シャァッ」歯切れよく発音。喉から舌先、唇にかけての調子は良好。それから先輩の目を見る。同時に息を吸い、シャウト。出せる音域の上限の一歩手前。一小節伸ばし、一気に急降下して下限の手前まで。最後にしゃくり。ギターの上向きグリッサンド。
足がひとりでにリズムを取り込む。沸き立つ観客に、頬が吊り上がる。歌は得意だ。中学時代、友人に誘われてバンドのボーカルを務めたこともある。人前で歌うのは久しぶりだし、これほどまでに熱狂していたステージは初だし、最多人数でもあったが、イケると思った。僕にはできる。自慢するほどの優秀な喉はなくても、今なら最高のライブができる。さあ歌おう。先輩がにやりと笑う。結月と目が合う。城田は既にシューゲイザー。
ジャック・オー・ランタンを踏みつけて、僕はメロディの最初の音を放った。




