二人の聖女と慟哭。そして――
いつもありがとうございます。
何とか今回で10万文字を突破しました。
少しずつではありますが、このまま進んで行きたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。
夜明けを目前に控えた森の中で、人と亜人の戦争は唐突に終結を迎えた。
それまでの、激化の一途を辿っていた争いが嘘のように止まってしまった。
それほどまでに、その光景は衝撃的だった。
馬に乗った人とエルフと、その馬の轡を取る鬼――ソエルとヴィクトリアとゴンザが、戦場に現れたその光景は、人と亜人双方にとって、衝撃的な光景だった。
人は、圧倒的に不可能と思われていた任務を達成した自らの主の姿に歓喜し、亜人は最強の鬼が敗北したという事実が信じられない気持ちだった。
そして、その事実を一番受け入れられないエルフが、無防備にその場へと姿を現した。
「ゴンザ……」
「……すまぬ」
駆け寄ったエドワルドに、ゴンザは頭を下げるだけだった。
それだけしか出来なかった。
「……」
強き友の打ちひしがれた姿に、エドワルドは言葉をなくした。
どうすることも出来ないことを思い知ってしまった。
そして、それは、他の者達も同様であった。
周りのエルフと鬼が武器を下ろしたのだ。
その顔には、皆一様に悔しさが滲んでいた。
彼らもまた、戦いが終わってしまったことを思い知ってしまったのだ。
「お父さん……」
そこへ、身体の不調を堪えながらヴィクトリアが声を発した。
発熱からくる汗を額に滲ませ、弱々しい姿でソエルに身体を預けながら、それでもヴィクトリアの瞳は強い光を放っていた。
「ヴィクトリア……?」
「わたしは……大丈夫。だから……」
少女は、病に冒されながらも、今の状況を正確に把握していた。
自分の存在が、エルフと鬼に何をもたらすのかも、その結果自分がどうなるのかも、ヴィクトリアには解っていた。
少女はずっと、病弱な自分が家族の負担になっていると知っていた。
両親はそれを否定するだろうが、自分でそうだと思っていた。
だからこそ、この状況を――エルフと鬼の負担になっている状況を正確に理解出来たのだ。
そして、それは少女にとって耐え難いものであった。
自身の家族だけでなく、全ての家族の負担になることなど、少女には耐えられなかった。
だからこそ、ヴィクトリアは父に頼んだ。
体調の悪さから、発せられる言葉を少ないが、その瞳に力を込めて父親に懇願した。
――わたしに構わず戦って、と。
「……武器を下ろすな」
娘の想いを感じ、エドワルドは絞り出すように声を出した。
その声に、周りのエルフと鬼は顔を上げた。
皆、今のエドワルドとヴィクトリアの会話を聞いていた。
少女が発した言葉に、秘められた強さを感じていた。
「私の娘、一人の為に、この戦いを、止めるわけには、いかない」
一言一言、歯を食いしばりながら言葉を続ける。
「全ての亜人の為に、この亜人斬りはここで殺さなくてはならない。娘可愛さに、ここで戦いを止めるわけにはいかないんだ」
その声の力強さが、再び武器を握り込むエルフと鬼の手に力を満たしていく。
「戦うぞ」
俯いていたエドワルドが顔を上げた。
その目には、決意の炎が燃えていた。
「うおおおおおおおおおお!」と、辺りに咆哮が沸き起こった。
「お父さん……ありがとう」
その咆哮を聞きながら、少女と父親は最期となるかもしれない会話を交わす。
「――すまない、ヴィクトリア! 不甲斐ないお父さんを恨んでくれ!」
「……何でお父さんを恨むの? これはわたしが頼んだことだよ? ありがとう、わたしの気持ちを感じてくれて……。お母さんとアランドルによろしくね……」
「――! ……す、すまない。本当にすまない、ヴィクトリア!」
ヴィクトリアは、涙の浮かんだ顔を健気に振った。
そこへ滑り込ませるように――
「何を勝手に盛り上がっているの?」
ソエルの無感情な声が響いた
「いきなり始まった感動の親子の別れのところ悪いのだけれど、私はもう戦う気はないわよ?」
「君の意思など知らない。亜人斬りはここで殺さなければならないんだ!」
「まず、いきなりのそれが何なのかしら? 私が亜人斬りだと誰が言ったの? 辺境伯でもないのに、エルフにそれが判るの?」
「ゴンザを退けた君が、亜人斬りではないと誰が思う? もはや、そうであろうがなかろうが、君はここで殺すべき存在だ!」
「あらそう。でも、本当に言っていることは無茶苦茶ね。久しぶりの戦いで、冷静さを失っているのではなくて?」
ソエルの声に、エドワルドを馬鹿にしたような響きはない。
ただ、淡々と自分が感じたことを述べているだけだった。
「でも本当に良いのかしら?」
「……何がだ?」
ソエルの言葉が楔となって、エドワルドは努めて冷静さを取り戻そうとする。
「続ければ、娘一人では済まなくなるわよ? 戦いが始まる前に、街道に潜ませていた兵士達にも、連絡は済ませたわ」
ソエルのはったりであった。
「夜明けと共に彼らはこの森にやってくる。そうなったら、森の入口に隠している戦えないエルフは皆殺しね。その勢いのまま、圧倒的な数の差でここにいるエルフと鬼も皆殺しにするわ。……ついでに、戦士の少なくなったキズミに出向いて、鬼も皆殺しにしようかしら?」
ソエルは口角をつり上げる。
笑った顔をしているが、エドワルドはそこに何の感情も感じなかった。
「……虚仮威しだな」
ソエルから発せられる、纏わり付くような不快な空気を感じながら、エドワルドは声を出す。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわね。でも、今重要なのはそこではないでしょう?」
「……」
エドワルドは答えない。
答えてはいけないとさえ思っていた。
はったりの可能性は高いが、確かに伏兵の可能性はゼロではない。
しかし、それよりも重要なのは、もしここで戦わないということは――
「あら、だんまり? じゃあ代わりに私が言ってあげるわ。自分の娘を対価に差し出して、エルフと鬼の安全を買いなさいと私は言っているの。どうせ、この娘の命を捨てるつもりなら、そうした方が利口でしょう?」
この場での死を覚悟した娘の気持ちが無駄になってしまうということ。
そして、その場合、娘が連れて行かれた先に待っているものが死よりも辛いことかも知れないということ。
「確かにそうかもしれない。でも、誰もが利口に生きられる訳じゃない。ここでエルフと鬼の命を捨てようとも、君は必ずここで仕留める」
エドワルドの決意は揺るがない。
(目の前で、全ては父親である自分の責任と受け入れながら、娘が尊厳ある死を遂げるのであれば、まだ……、まだ、我慢出来るかもしれない。しかし――)
エドワルドがソエルを睨みつけた。
(まだ八歳の娘が拷問を受け死んでいくかもしれないなど、どこの父親が受け入れられようか!)
エドワルドの憤怒の表情は、それだけでソエルを殺せそうな圧力を放っていた。
「……」
しかし、ソエルは無感情の瞳でそれを見返していた。
エドワルドの怒りを受けても、ソエルは何も感じなかった。
「エルフの長としては失格ね」
ソエルだけには言われたくない一言であった。
「……良いわ。そこまで言うなら殺し合いましょう。エルフも鬼も撃滅してあ――」
「――わかりました。わたしの命で皆が助かるのなら、そうしてください」
ヴィクトリアが言った。
その一言は、その場にいる全てのエルフと鬼、そして敵である兵士でさえ、一種の神性を感じる程の尊いものであった。
だがそれは、ソエルまでは届かなかった。
「――そう。ではそういうことで良いかしら?」
ソエルは事も無げにそう言い放った。
「――」
エドワルドは何も答えられなかった。
「――」
エドワルドだけではない。
その場にいる誰もが、動けなくなっていた。
ソエルとヴィクトリア――まったくタイプの違う二人の少女が、間違いなくこの場を支配していた。
「――ふんぬあああああああ!」
唐突に、ゴンザが地面を激しく殴りつけた。
そのあまりの勢いに、有り得ないとは解りつつも、その場にいた者は地面が少し揺れたような気がした。
「我は、自分の、不甲斐、なさを、これ程、悔いた、ことは、ない! すまぬ、エドワルド! すまむ、エドワルドの娘、ヴィクトリアよ!」
何度も何度も地面を殴りつけながら、ゴンザは言葉を吐き出していく。
「ゴンザ……」
エドワルドは、友であるゴンザが、こんなにも感情をあらわにするのを初めて見た。
それは、その場にいた鬼達も同様であった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!」
地面に蹲り、腹の底から掻き出すような慟哭に、その場の全ての亜人が、この戦いの終結と完全なる敗北を悟った。
こうして、最強の鬼の慟哭が、戦いの終わりを告げたのだった。
まだ辺りが夜の暗さを残す中で、ソエルを乗せた馬を先頭に、兵士達は海へと退却を始めた。
そんな彼らの背後を、亜人達は、ただ静かに、着いていくだけであった。
「……」
森を抜け、海へと続く丘を越えながら、誰もが言葉を発せないでいる。
敵である兵士達も、この空気に呑まれていたのだ。
先程の、エルフの少女の言葉と、屈強な鬼の慟哭が、決して少なくない影響を、兵士達に与えていた。
「……」
先程まで激しく感情をあらわにしていたゴンザは、今はただ燃え尽きたようにソエル達の乗る馬を引いていた。
「……」
エドワルドは、その隣で、今生の別れとなるかもしれない娘をただ見つめていた。
「……」
ヴィクトリアも、そんな父親を静かに見つめ返していた。
やがて一団は船へと辿り着き、それぞれ決められた八隻へと分かれて乗船していく。
ヴィクトリアは、ソエルに抱えられたまま、一際大きな旗艦船へと乗せられていった。
「……」
乗船してからも、ヴィクトリアは甲板からエドワルドを見つめていた。
その顔には悲愴な表情は一切無く、健気にも笑顔が浮かんでいた。
「……!」
エドワルドは、そんな娘の姿を、決して泣くまいと涙を堪えながら、見ていることしか出来なかった。
空が僅かに白んできた頃に、全ての兵士が乗船を終えた。
「では、帰りましょう」
それを確認し、ソエルが兵士に出航を告げた。
錨を上げ、帆を張った船は、ゆっくりと岸から離れていく。
潮の激流が渦巻いているはずなのに、不思議なことに、その離岸はとても滑らかであった。
「では、また殺しにくるわ」
船と陸の距離が、エルフと鬼が跳躍しても届かない程度に離れたところでソエルが言った。
「……」
しかし、エドワルドもゴンザも何も言い返さなかった。
彼らはただ静かにヴィクトリアを見送っていた。
「……そのエルフの子は適当な船室に運んでおいて。見張りは二人以上つけなさい」
それだけ言うと、ソエルは甲板から船内へと入って行った。
「……」
それからも、ヴィクトリアは、ずっとエドワルドの姿を見ていた。
周りの兵士達は、ヴィクトリアに同情したのか、彼女をそのままにさせている。
残り少ない父親との別れの時間を過ごさせているのだ。
兵士達が、思わずそうしてあげたくなるほど、ヴィクトリアの姿は健気であった。
やがて、水平線から朝日が昇ってくる。
それは最初に海を照らし、次にそこに浮かぶ八隻の船を照らし、最後に岸からヴィクトリアを見送るエルフと鬼を照らした。
船と陸の距離はさらに離れ、もう別れが近いと、その場の誰もが悟っていた。
(……お父さん、お母さん、アランドル……さようなら)
ヴィクトリアは、まだ涙を堪えていた。
エルフの視力であれば、まだこの距離ならはっきりとお互いの顔が見えるからだ。
(このまま、最後までお父さんには泣いているところを見せたくない!)
それはヴィクトリアの意地であった。
父親が、少しでも自分を責めないようにという、娘からの最後の贈り物であった。
(……………………?)
そんな、ヴィクトリアの視界の端に、不意に何かが映った。
それは黒い影のように見えた。
朝日が照らす範囲がエルフと鬼の背後まで及んだとき、ヴィクトリアは丘の上に、その一塊の黒い影があるのに気付いたのだった。
(あれは……何?)
その影は凄まじい速度で、丘を駆け下りてきた。
ヴィクトリアの瞳が、その姿を徐々に捉え始める。
それは、他に類を見ない大きさをした狼のようであった。
(豺? 何でここに?)
ヴィクトリアの脳裏に、いつか本で描かれているのを見た、亜獣の姿が浮かんだ。
その生息地はアールブ大森林ではなく、確かキズミ山脈の方だったと、ヴィクトリアは記憶していた。
(――えっ?)
不意に、ヴィクトリアはその豺の背に、人の姿を見た。
「ライくん――?」
それは、少女とその弟の友達であり、幼馴染みでもある少年の姿をしていた。
というより、ヴィクトリアの視力は、間違いなくライだと正確に捉えていた。
だが、何故少年がそこにいるのか、少女にはまったく分からなかった。
少女は本当の少年について、何も知らないのだ。
少しでも知っていれば、聡いヴィクトリアなら、何故今、この場所にライがいるのか思い至ったかもしれない。
しかし、それは有り得なかった。
少年の本当の姿は、この世界の誰も知らないのだから。
ある者は少年を、次代のアーサーボルトを担う者というかもしれない。
ある者は少年を、女神の加護を受けた亜人を護る者というかもしれない。
ある者は少年を、亜人と人に調和をもたらす者というかもしれない。
だが、それらは全て少年の本質ではない。
少年の本質はただ一つ――“人斬り”――ただそれのみ。
そして、本当の少年について、知らないことは、まだまだ沢山ある。
その一つは、少年がいる場所は何処でも戦場になり得るということ。
街の中でも、平原でも、森の中でも、海の上でも、ひとたび少年が牙を剥けば、そこは立ち所に戦場と化す。
少年にとって“常在戦場”という言葉はただの心構えにあらず。
少年がいる場所は、本当に常に戦場なのだ。
そういう生き方を少年は前世でしてきた。
それはつまり、この戦いがまだ終わっていないということ。
彼が現れた時点で、このまま争いが終結することなど有り得ないということ。
エルフと鬼の戦いを、その男が確かに引き継ぐ。
人斬り雷蔵――ついに見参。




