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いつもありがとうございます。


よろしくお願いします。


 

 ここで、時は少し遡る。


 それはライが六歳の誕生日を迎える前日の夜――雨が降りそうで降らない、嫌な天気のまま、夜を迎えたアールヴ大森林。


 そこで繰り広げられるエルフの防衛戦の物語。





「グスッ……ヒック……ヒック……」

「アランドル……」

 ベットで泣いているアランドルを、姉のヴィクトリアが優しく慰めている。



 数日前、父エドワルドからライの誕生日に遊びに行かせることは出来ないと言われてから、アランドルはずっと拗ねていた。

 その不満はずっとくすぶり続け、それが先程の夕食の時間に爆発した。


「いやだ! ボクはライのところにいくんだ!」


 ドンと、アランドルがテーブルを叩くと、その拍子に夕食のシチューが床にこぼれた。


「――アランドル!」


 エドワルドはとっさにアランドルの頬を打った。


「――!」


 エドワルドが子供に手をあげるのは、初めてのことであった。


 原因は、カイルの警戒を知らせる手紙が、エドワルドの神経を過敏にしていたからかもしれない。

 最近大人しかったアランドルが、男の子らしく少し生意気になってきたからかもしれない。

 あるいはその両方か。

 それとももっと別な理由があるのか。

 ともかく、エドワルドは初めて子供に手をあげた。


「……」


 その行為は、食卓に静寂をもたらした。

 叩かれたアランドルは呆然とし、ヴィクトリアも驚いた顔でエドワルドを見ている。

 エドワルドの妻のルシールも、普段温厚な夫の、突然の行動に目を見張っている。


「……」


 だが、一番驚いているのは手を出したエドワルド自身である。

 驚愕の表情で、自身の手を見詰めていた。


「――う、うわーん!」


「あっ! アランドル!」


 自分に起こったことを理解したアランドルは、火の点いた様に泣いて、自分の部屋へと駆け込んでいき、その後をヴィクトリアが追った。

 姉弟二人で使う子供部屋に入る直前、振り返ったヴィクトリアが見たのは、ルシールに縋りつくエドワルドの姿だった。



「大丈夫?」


 布団に包まり、こちらに背を向けて泣くアランドルの表情は見えないが、ヴィクトリアはアランドルの頭を優しく撫でた。


(あの時から……)


 カイルの手紙を読んでから、父の様子がおかしいことにヴィクトリアは気付いていた。

 手紙の内容までは教えてもらえず、ただしばらくは外出を控えるように言われただけだが、そう言った父の顔色が悪いことに彼女は気付いていた。


 まだ八歳のヴィクトリアではあったが、彼女は他者の心の有り様を洞察することに長けていた。

 病弱な身に生まれついたヴィクトリアは、なかなか家から、酷いときは何週間もベットから出られない生活を強いられる中で、両親や森の仲間達が、自分を見る眼差しから様々な感情を読み取る術を自然と身につけていった。

 自分を慈しむ表情、哀れむ表情、落胆、悲しみ、焦り、喜び――そういったものを彼女は見てきた。


 外に出て遊べないヴィクトリアは、窓から見える森の仲間達の心の動きも観察した。

 喧嘩をしている者たちからは怒りを、仲の良い夫婦や恋人たちからは愛を、遊んでいる子供たちからはまだ明確な形を成さない様々な感情の発露を、彼女は読み取ってきた。

 外で遊べず、本を読んで過ごすことしか出来ないヴィクトリアにとって、他者の心を読み取ろうとする行為は、自然なことであった。


 そんな彼女が、自分の父親から読み取った感情は――


(恐れ、焦り、そして悔恨――)


 エドワルドは何かを悔やんでいた。


(一体お父さんに何があったの? あの手紙には何が書いてあったの?)


 エドワルドは争いを嫌う。

 その原因は全面戦争の時の自身の失敗に起因していたが、ヴィクトリアがそれを知るはずもなかった。


 エドワルドは戦争で、自らの姉を失った。

 先程のアランドルのように、未熟だった自分の我が儘によって。

 だから、彼は息子を打った。

 その姿が、どこか過去の自分に重なったせいで。

 だが、そんな理由があることを子供達は知らない。


「……」


 アランドルが泣き止むと、子供部屋には静寂が訪れた。


「ふう……」


 ヴィクトリアも一息つく。

 その目が窓の外に向けられる。

 ポツンポツンと、天から水の雫が落ちてきていた。





 エルフの村は、森の中で木々に寄り添うように作られている。

 木々の根元や、大木の上など、森の自然の隙間に家が建てられ、そこに五百人程のエルフが暮らしていた。

 村には他にも、何人かの人間が住んでいた。

 人と亜人の壁を越え、エルフと夫婦になった者たちだ。

 村の外れ、森の終わりの近くにもそんなエルフと人の夫婦が住んでいた。

 彼らの家を最後に、森は終わり、そこから丘を二、三超えると、もう海に出る。

 島の北の海は特に潮の流れが急で、長い年月をかけ、海に削られた断崖がそこにはあった。

 外敵を阻む潮の流れと絶壁、そこを超えられる者などいないと、この夜までは信じられていた。



 雨が降り始めてしばらくすると、そのエルフと人の夫婦の家の扉を、トントンと叩く音がした。


「――?」


 こんな夜更けに、村外れの我が家を訪ねる者などいないはずだと思ったエルフの亭主は、人間の妻と顔を見合わせた。


「?」


 その妻も首を傾げていた。

 風が扉を叩いたのだろうか、と思っていると、トントンとまた扉が叩かれた。


「こんな夜更けに誰だい?」


 エルフの夫が、そう言って扉を開けた。

 まだ年若く、二十年前の戦争には幼くて参加していなかった、このエルフの青年は警戒心というものが希薄だった。

 ましてや、ここは森の終端――その先には海しかなく、内陸からも最も遠い比較的安全な場所のはずだった。

 この時までは――。



 扉を開けると、そこには美しい少女が立っていた。

 美男美女が多く、美しい者には見慣れているはずのエルフの青年でも、一瞬見取れてしまうほどの美しい少女だった。

 降り始めの雨をはじく銀の髪、夕焼けのように赤い緋色の瞳、それらを際立てる白磁の肌――それらを持った、この世ならざる美しさの少女が笑顔で立っていた。


 その少女はとても幼く見えた。

 客観的に見て、まだ十かそこらの子供の様で、実際にその少女は十歳だった。


 だが、もしそれをエルフの青年に教えても、彼は信じなかっただろう。

 彼には少女が、とても大人に見えたのだ。

 自分より遥かに色々な経験をしてきた、とても落ち着いた、大人の女性に見えたのだ。


 それもそのはず。


 少女は、生まれた時から様々な権謀術数が渦巻く宮廷で暮らしてきた。

 十年という青年に比べると短い時間ではあるが、その密度は青年のそれを遥かに凌ぐ。


 この少女こそ、王国の第二王位継承者 ――ソエル・テクシスリウス。


 そして――





「こんばんは」


 少女の声は、静かで落ち着いた美しい声だった。

 少女が無邪気な満面の笑みを浮かべる。


「そして、さようなら」


 エルフの青年とその妻が聞いたそれが最期の声だった。





 十歳にして、テクシスリウス王国で最も多くの亜人を斬っている生粋の“亜人斬り”――。


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