異世界で 鏡
ヒミリアさんがいそいそと和室にやってくると、大抵ロクなことがない。
「ミチト、これを見てほしい」
「なんですか?」
差し出してきたのは、一見普通の手鏡だ。
円型の鏡面はくもりなく磨かれて、裏面には立派な宝飾がされており、高級そうではある。
ヒミリアさんにうながされ、受け取った手鏡をなにげなくのぞきこみ。
「鏡なんて見てなにが……うわぁあああ!」
心臓が止まるかと思った。
転生前の僕の顔が映っていたのである。
これは驚きだ……!
ヒミリアさんは企みが成功したイタズラっ子みたいに、喜色満面だ。
「へええへええ、ミチトって転生前そんな顔だったんだね。今とあまり変わらないね。へええ、ふーん、ふへへ」
「き、気色悪いですヒミリアさん」
確かに、久々に見た転生前の僕は、今と外見上はさほど差異がない。
スペックは明らかに違うのだけど、外見にチートは機能してくれないらしい。年齢も変わらない。
しかし転生前の僕を見られたことがよほど嬉しいのか、ヒミリアさんは横から鏡をのぞきこみ、ほくほくしている。
中身はアレだけども、綺麗な人なので、あまり近くに立たれると良い匂いとかするので、さりげなく距離を取った。
「ともかく、これ、なんなんですか? 転生前の姿が見える鏡とか、すごすぎますけど」
「フフ、よくぞ聞いてくれたね。これは我が教会に太古の昔に奉納され、封印されてきた伝説の神器のひとつなのだよ。真実の姿を映し出す鏡、と言われているが、もしかしたらこれでミチトの転生前の姿が見られるんじゃないかと思ってね」
「そんな伝説級のものを、そんな理由で持ち出していいんでしょうか」
「まぁまぁ。封印しとくだけなんてもったいないだろう。使用してこそ伝説の神器は伝説の神器だと証明されるのだよ」
勝手な理屈だなぁ。
僕は鏡を何度かのぞいてみて、自分の昔の顔に見飽きて、ヒミリアさんを映してみた。
ヒミリアさんはヒミリアさんのままだった。
まあ彼女、この世界の人だし、裏表なさそうだし。
少しヒヤヒヤはしたのだけど。
「試してみたくはないかい?」
内心を見抜かれたみたいに、その問いかけは核心をついていた。
僕ら帰宅部には、転生者が他にもいる。
実際、彼女らが転生前何者だったのか、どういう人生を送って、その記憶を引き継いでこの世界にやってきたのか、そういうところは謎のヴェールに包まれたままなのだ。
なんだか、そういうのは聞いてはいけない暗黙のルールがあるような気がして。
しかし、この鏡で対象を映し、コソッとのぞいてみたら、転生前の姿が拝めるのだという。
試してみたくない、わけがない。
「……い、いやいやいや、女の人って海より深い秘密を持っているって言いますし、そういうのを勝手に見ちゃうのは、やっぱりよくないと思います」
僕は煩悩を振り切り、ヒミリアさんにキッパリ言い切った。
「ふむ、では持ち帰るとしようか」
「いや! でも!」
「んん? どうしたいのか言ってごらん?」
ねっとりした声で聞かないでほしい。
ヒミリアさんは僕と年齢が変わらないし、人生経験年数でいったら、確実に僕の方が上だというのに。
「す、少しだけなら、見てみても、いいかなぁ……とか」
「ふへへ」
「その笑い方やめてください」
*
僕らは、和室で待ち受けた。
正面からだと、後々面倒なことになりそうなので、押入れの中に身を潜めて、だ。
僕だけでいいって言ったのに、ヒミリアさんも一緒だ。
「なんだかかくれんぼみたいで楽しいね」
ヒミリアさんは格式張った法衣みたいなのを着ていて、露出している部分はほとんどないのだけど、体つきは女の人そのものなので、薄暗い中で密着されると少々困る。
「息を荒くしないでください……あ、だ、誰か来たみたいです」
僕は声を潜め、薄く開けた襖の向こうをこっそりとのぞいた。
ミフユさんだ。箒を手に「レレレのレー」とか言ってる。古い。
ミフユさんに関しては、現在金髪くるくる縦ロールの美少女メイドだけど、なんとなく転生前は予測がついている。
てゆうか、おばさんだよね?
のぞいていいものか。見たら、色々何かこう、夢みたいなのが砕けてしまうのではないだろうか。
僕は逡巡した。
鼻歌をうたいつつ、和室のお掃除をしているミフユさんは、僕らの方に近づいてきた。
ええい、見てしまえ。
好奇心を前に、自制心は勝てず、僕はソッと鏡をミフユさんの方へと翳した。
映った。
……何か……こう……見てはいけない……サタン的なものが……
鏡が、伝説の神器が、邪気の波動に負けたのか、ひび割れて砕け散った。
固まっている僕とヒミリアさんに気づかないまま、鼻歌のミフユさんが退出していく。
僕らは押入れから出た。
「い、今のは一体……?」
「考えるなミチト。女は海より深い秘密を持っているのだよ」
僕は考えるのをやめた。