吹奏楽と雨とあたし
放課後、校舎から漏れ出す様々な楽器の音。フルート、クラリネット、トランペット、チューバ、コントラバス……
あたしの心を乱す音。
「吹奏楽、か……」
吹奏楽なんか……大嫌い。
***
「ねぇなんで吹奏楽辞めたの?」
ここ最近、毎日のように同じ質問を受ける。同じ中学出身の桐崎萌衣に。
「別に…辞めるのはあたしの勝手じゃん…」
「まぁそうだけど…でも勿体ないなー。梨華子、めちゃくちゃ上手かったのに!」
その萌衣の何気ない一言があたしの心を傷つけた。
「……にも…」
「えっ?」
「なにも知らないくせに…分かったようなこと言わないで!!」
「り、梨華子…!」
萌衣の呼びかけに反応せず、その場から走り去った。
***
雨の中、傘も差さずにただトボトボと道を歩く。
雨の日でも吹奏楽部は部活をしている。楽器の音がいつものように外に漏れている。
今日は楽器の音を聞きたくなかった。今日だけは、雨の音で楽器の音をかき消して欲しかった。
あたしの嫌な過去を思い出してしまうから。
吹奏楽が嫌になったあの頃を。
***
「今回ソロコンに出場する部員は山内梨華子さんに決まりました」
それはあたしが中3の時、丁度ソロコンテストの時期の話。
「山内さん、頑張って下さいね」
「はい」
あたしは校内オーディションを勝ち抜き、念願のソロコンへの出場権を手に入れた。
「頑張ってね、梨華子!」
「うちらの分も頑張ってね!」
同学年の部員はあたしを祝福してくれた。
「ありがとう!うん、頑張るね!」
それからあたしはソロコンと夏のコンクールに向けての練習を始めた。
そんなある日、あたしは見てしまった。
同学年の部員があたしの楽譜を切り刻んだり、落書きしていた現場を。
思わず荷物を落としそうになってしまった。
まさか彼女達が、あたしを祝福してくれた彼女達がこんなことをするなんて思ってもいなかったから。
そしてあたしは彼女達に問いつめた。
どうしてあんなことをしたのかと。
「どうしてって…あんたが嫌いだからに決まってるじゃん」
「!?」
「もしかして自分が嫌われてるってこと、気づかなかったの?幸せだね」
嘘だ…絶対嘘だ!彼女達がそんなことするわけない!
「あたし達、納得いかないの。あんたより上手い人はいくらでもいるのになんであんたが選ばれたのか」
「あんたはあたし達の中で1番下手なくせにね!」
そんな……
「こっちはあんたの下手な音を聞くのはもううんざり!音が汚いから」
「さっさとソロコン辞退しろよ」
散々言って彼女達は帰った。
その後、ソロコンを辞退することはなかったが、頭の中に彼女達の言葉が響いて演奏することが出来なかった。
そしてある雨の日、彼女達に体育館裏に来いと呼び出された。
「あんた結局吹けなかったんでしょ?」
体育館裏に着いた途端、初めに相手が発した言葉はそれだった。
「だから辞退しろって言ったのに」
「これで分かったでしょ?下手なくせに調子にのるからこうなるのよ!」
肩を思いっきり押されて地面に倒れる。
「二度と調子のんな!」
捨て台詞を残し、彼女達は去っていった。
雨はやみそうになく、ただ強く降っていた。
***
そしてあたしは吹奏楽を辞めた。
未練は残ってるけど仕方ない。自分の実力をはっきり見せつけられたから。
でも実は彼女達が怖いというのも事実。部活に行ったらまた嫌がらせされる、そう思っていた。
吹奏楽から離れるために吹奏楽の演奏を聴かないように努力した。でも聴かないなんて絶対無理。
そして考えた。どうすれば吹奏楽への未練を断ち切れるか。
辿り着いた答えはただ1つ。
吹奏楽を嫌いになればいい。
ただそれだけ。けれどそれはとても辛いことだ。
結局今になっても未練はある。吹奏楽なんか大嫌いと自分に言い聞かせても言うことをきかない。あたしが吹奏楽を嫌いになることは無理かもしれない。
離れることは出来ても……
***
萌衣にはなにも分からない。 あたしがどんなに苦しい思いをしたか、下手だと言われてどれだけ傷ついたか。
例えお世辞でも『上手』なんて言葉は聞きたくない。
友達だからこそ、そのことを察して欲しかった。
「……!」
雨音の中、幽かに聞こえる誰かの声。聞き覚えがあって安心感のある声。
「梨華子!」
空耳じゃない。これは間違いなくあたしの名前を呼ぶ友の声だ。
「め…い……?」
「梨華子!よ、よかったー……見つけた!」
萌衣は差していた傘をあたしに差し出した。
「ごめんね、梨華子。あたし、梨華子のことなんにも分かってやれなくて!」
「別にいいよ…どうせもう、昔のことだし……」
「よくないよ!」
珍しく萌衣が声を上げた。
「あたしはなにも知らないもん…知らないままは嫌だよ。だから教えて?梨華子が話してくれるのであれば……」
「萌衣……」
あたしはなんてバカなんだろう……
こんなにあたしのことを思ってくれる人が傍にいたのに気づかなかったなんて……
「教えるよ。なにがあったのか」
萌衣になら話せる。萌衣なら信用出来る。
だって萌衣はあたしの大切な親友だから。
***
あたしの部屋で萌衣にあたしの過去を全て話した。
「そんなことがあったなんて……あたし、梨華子の傍にいたのに全然気づかなかった……本当にごめん…!」
「もう過ぎたことだから気にしない…!あたし…ちゃんと萌衣に話すべきだった。相談するべきだった。最初から萌衣を頼りにしてたらこんな……」
「もう過ぎたことだから気にしないの!これから困ったことがあったらあたしを頼りにしてくれればいいんだから!」
「そうだね。……ん?『もう過ぎたことだから気にしない』ってついさっき、あたし言ったような……?」
「えっ?そうだっけ?」
「そうだよ!」
「あはは。忘れてた!」
萌衣ったら忘れんの早いよ!
「ちょっと、そんなんで頼りにしていいの?頼りに出来ないよ……」
「えぇ!?ひどいよー!」
萌衣はぷうっと頬を膨らませた。
その顔が余りにも面白く、余りにも可愛かったのであたしは思わず吹き出した。
「なっ!?なんで吹き出してるの!?」
「だってさっきの萌衣の顔が……!!」
「……やっと笑顔になったね。梨華子」
「えっ?」
何故いきなり?
「最近、梨華子ずっと笑ってなかったよ?笑ったとしても作り笑いとかだったし……」
そっか……気づいてたんだ。あたしの作り笑いに。
「放課後が近づくと顔が暗くなっていったし……でも、まさか吹奏楽が原因とは思わなかった」
「……本当は大好きだよ、吹奏楽。でも大嫌いって自分に言い聞かせないと吹奏楽への未練が……」
「別によくない?未練を断ち切らなくても」
「へっ?」
思わぬ答えに間抜けな声が出てしまった。
「好きなら好きなままでいいじゃん。今まで好きだったものは急に嫌いになれないんだから」
「萌衣……」
確かにそうだ。どんなに頑張っても吹奏楽を嫌いになることは出来なかった。
「ねぇ……家に楽器ある?」
「えっ?あ、あるけど……」
「吹いてくれない?あたしの為に」
「えっ!?」
吹くの!?もう2年も吹いてないのに!?ブランクありすぎだよ!
「話を聞く限り、本当に梨華子が下手だったとは思えないんだよねー」
「えっ?なんで?」
「だって上手くない人がソロコン出れるわけないじゃん!オーディションに受かるのは頑張って練習した努力の結果だし!」
「それはそうかも知れないけど……あたし、そんなに上手く……!」
「だーかーらー!彼女達はただ梨華子を僻んでただけだと思う!それを確かめる為にも梨華子の音、聞かせて?」
「わ、分かった……」
クローゼットの戸を開き、楽器を探す。
「あっ……あった!」
もうずっと吹かないでクローゼットの奥深くに眠ってたあたしの楽器。それが今、あたしの目の前にある。
変わらずシルバーに輝く管体。その細く美しい管体を目にし、顔を綻ばせる。
「やっぱり綺麗だね……楽器そのものも」
「うん」
楽器を手にしたときのひんやりとした感触、今でも染みついている。
あのときの感じが甦る。
歌口に口を当て、楽器に息を注ぎ込む。
すると高く、美しい音色が部屋に響き渡った。
「これが……梨華子のフルートの音色……」
約2年ぶりのフルートの音色。音は2年前と変わらず透き通っていた。
「嘘……音が汚くない……!」
「ほら!やっぱり梨華子は上手いんだよ!彼女達の嫌がらせだったんだよ!」
本当にあたしは下手じゃないの……?
「あたしを信じて。もう一度吹奏楽始めよう?フルートを吹いている梨華子の顔、いきいきしてるもの。自分に自信を持って……ね?」
「うん……!あたし、またフルート吹く……ありがとう、萌衣」
今度は間違えない。あたしはフルートを吹き続ける。誰になんと言われても……
「あっ、雨が……」
外を見るとさっきまで降っていた雨が嘘のように止んでいた。
「梨華子。もう一回吹いて!」
「うん!」
青く澄んだ空にフルートの音が広がる。
そしてその空には七色の虹がはっきりと架かっていた。
この物語はわたしの吹奏楽に対する想いから生まれました。本当は吹奏楽が大好きだけど未練を断ち切るため嫌いになろう……ずっとそう思ってきました。そして遂に想いが爆発し、自分を押さえるため書きました。この物語は正直思いつきで書いたようなものです。