vs バイオ部 ②
額に浮かんだ汗が周囲の汗と合体し、自らの重さに耐え切れず流れ落ちてくる。
そのほとんどが鉢巻に吸収されるんだが、ごく稀にしわの間を通り抜ける奴がいる。
そしてそれは決まって俺の目に入ってくるのだが、これがまた痛いの何のってもーたいへん。
「……あっちいなぁ」
カガク部員が一人、俺こと千葉勝彦は、薄っすらとした地下室で一人、実験を繰り返していた。
地下室と聞くと、じめじめしてて薄暗い所を想像するだろうが、ここ『カガク部・地下実験室』はそんな生易しい場所ではない。
まず、窓が無い。これはまあ、一応地下だから納得できなくも無い。
次に空調設備が古い。記録によると、空調が設置されたのはカガク部が発足された次の日らしい。だいたい一五〇年ほど前だな。
この空調機、二、三〇年ほど前から調子が悪くなり、一時間しか使用できなくなってしまったそうだ。しかもこの空調機、空気の入れ換えはするのだが、それと同時に自機の熱で地下室をサウナにしてしまう。脱水症状で病院に運ばれた部員が過去に何人もいるらしい。
そして最後、それはこの地下室が狭い事だ。
カガク部の部員は、俺を入れてたったの六人とこの学校では少ないほうだが、この地下室、五人全員が入る事ができないのだ。そのため、誰か一人は外に出ている必要がある。
しかしそれでも五人は結構きつい。
そのうえ、その五人中三人はそれぞれ違う実験をしているのだから性質が悪い。ただでさえ狭いのに、皆がみんな違う事をしていたらもっと狭くなる。
結果、空調機の発熱作用も重なって、地下実験室は煉獄の間と化すのである。
「しかし一人でも熱いんだよなー」
眼をこすりながらぼやいていると、室内に心地よい風が吹き込んできた。
「ふぃー」
吹き付ける風が体中の汗を乾かしていく。生き返るー。
「こんちはー、って暑!」
風とともに入ってきたのは俺と同じ時期に入部した女子生徒、北村美代だった。
中学の頃は運動部だったという北村は、やや日焼けの残る健康的な肌の少女だ。俺より頭一つぶん背が高く、おまけにスタイルもいい。中学では運動部だったらしいその体は一般の女子より幾分か引き締まっており、無駄な肉など一つとして無い。
……テニス部とかに入っていれば、二年後の今ごろは美少女プレイヤーとか言われてもてはやされていただろうに。
そんな彼女がどうしてカガク部に入ったのかは、今のところまったくの謎だ。
「やっほー、千葉くん。ここはいつ来ても暑いね~」
「ま、地下だから」
俺の姿を見つけ近づいてきた北村と、もはや決まり文句となりつつある挨拶を交わす。
「今日はなに作ってンの?」
俺の手元を覗き込みながら北村が聞く。
「ん? まぁ一言で言っちまうと『スーパー防護服』だな」
「スーパー……プッ、ダッさい名前」
「うるせー」
「だってスーパーよ。……プッ。今どきちょっと古くない?」
「そんなの分かってらい」
俺だって、自分のネーミングセンスの無さは自覚している。それに『スーパー防護服』という名前も決定版じゃない。完成後にカガク部の皆で決めようと思っているんだ。
「でもそれほんとに防護服?」
作業中の手元を凝視しながら北村は言った。
「……なんだよ。なんか文句でも?」
俺が細心の注意を払って二時間以上続けているこの作業を馬鹿にされた気がして少々むっときたので、無意識に棘のある言葉で返す。
「いや、だってそれ…………セーターじゃん」
「セーターゆぅなああぁぁぁぁ!」
即答、いや即叫だった。
「セーター言うなっセーター! 俺の使ってる編み棒だけ見てセーターって決め付けるな! だいたいどいつもこいつも、俺が休み時間返上で編物してるのを見て冷やかすだけ冷やかしてがんばれの一言もかけてくれないし! 別にそんな事が言われたいからやってる訳じゃないけどさ!」
半ば自暴自棄になって叫び続ける俺を「どうどうどうどう」と言って落ち着かせようとする北村。十分後、ようやく落ち着いてきた俺は、水筒のお茶を飲み、とりあえず事情を話す事にした。
「で、いったい何があったのさ?」
「じつは……」
* * *
昨日の夕方、俺は昆虫同好会に入っている友人の所を訪ねた。簡単な挨拶を交わし、しばらく雑談などをしていたとき、友人が思い出したように言った。
「そういえばカッつん。頼まれてたあれできたぜ」
そう言って立ち上がると、保管庫――虫の餌などを入れとく大きな箱――の前まで行き、がさごそと漁ってその中から一抱えほどの瓶を持ってきた。
「ほらよっ……と」
机の上にトンと置かれたそれは、一週間ほど前に昆虫同好会の部長に掛け合って頼んだものだが、俺自身そのことを忘れていたので初めのうちはそれが何かわからなかった。
「いやもー大変だったぜー」
苦労話を始めた友人を華麗に無視して、俺は机の上の物体をガン見していた。
「どうだ?」
「……問題ない。協力感謝する」
今後の作業プランを立てながら、礼だけ言って瓶を抱え出て行った。
「アイツってもちーと愛想良くできないのかねぇ……」
友人の呟きは昆虫たちだけが聞いていた。
* * *
「それから家に帰った俺は――――」
「ちょっと待って! その材料って一体何なの!」
ことの始まりを話し始めると、北村がもの凄い勢いで質問してきた。なんだよ、これからが大事だっていうのに。
「ねぇ、材料って何なの!」
「……何って、蜘蛛の糸だよ」
しかたなく答えてやった。
「ク、クモ…………」
「そう、クモ。スパイダー。しかも絶滅危惧種に指定されててなかなか手に入らない品種のやつなんだ。どうやって昆虫同好会が入手したのか分からないけど、ようやく手に入ったんだ。これで俺が作りたかったものが作れるんだから、そんな事いちいち気にしてられるかっておい聞いてるのか?」
北村からの反応が無い。
「おい、どうしたんだよ急に黙りこくってぇぇええ!?」
隣にいるはずの北村が、白目をむいて気絶していた。
「おい! 大丈夫か! しっかりしろよ! 起きろ! 寝たら死ぬぞ! 北村!」
肩を掴んでガクガク揺らしたり、頬をペシペシと叩いてみたが何の反応も無い。……一体どうしたってんだ?
考えたって答えが出てくるわけでもないので、俺は北村を抱えると部屋の隅の長椅子に寝かせてやった。そして何事も無かったかのように俺は作業を再開した。
* * *
「うぃ~っす」
部室のドアを辛気臭そうに開けて入ってきたのは、副部長の宮原沙耶加だった。
「やは、これはまた一段と辛気臭い顔で」
「あぁ?」
他の三年女子よりも幾分か幼い顔を、酔っ払いのオヤジみたいに歪めて唸る。
「その様子だと、また何か厄介ごとを押し付けられたようで?」
「ああ。またバイオ部の奴らが作ったバケモノを退治しろってさ。これが辛気臭くならずにいられるかってのよ」
えらく不機嫌な宮原は近くの椅子にどっかりと腰掛けると、全力を出し切り燃え尽きたボクサーのような体勢でため息をつく。
「またですか~。大変ですね~」
メガネを拭きながらそう返すと、重いため息が返ってきた。
正式名称、バイオテクノロジー研究部ことバイオ部。昨年までは二年生二人で同好会として活動していたが、今年に入って三人の一年生が加入したため正式に部活扱いとなった。
主な研究内容は、「荒廃した土地でも強い繁殖力を持つ新たな生命の誕生」とかそんな感じだったのだが、代が変わるにつれてあいまいになっていき、現在は「強い繁殖力をもった新たな生物の誕生」となっている。
「あの迷惑な部活、いつになったら廃部になってくれるのかしらね?」
顔に似合わず棘のあることを言う宮原副部長。
「生徒か教師が何人か捕食されればいいんじゃないでしょうか」
アルコールランプに火をつけながら無責任なことを言う自分。だって他人事だし。
「いやいやいや、既に十人くらいの生徒が被害に遭ってるらしいのよね……」
「へ~」
「だから早急に対処するべしって言われちまったのよ。まったく、相手するこっちの身にもなれっての!」
「まあまあ、そう言わずに……」
机の引き出しからお茶菓子を取り出し、アルコールランプとビーカーで淹れた紅茶を手際よくカップに注ぐと、流れるような動作で宮原副部長にお出しした。我ながら見事な手際だ。
「まぁ、これでも飲んで少し落ち着いてください」
「お、サンキュ」
カップを受け取った宮原君は、そのまま口元に持っていきいっきにグイッと飲み干した。
……風呂上りのオッサンみたいだなぁ。
「熱っ!!」
「そりゃそうでしょうね。淹れたてですから」
これが鉄也君なら、「口の中が火事だ! 誰か消火器! いや消防車!」とか言って騒ぎまくるんだろうか。
「それで、これからどうするんですか?」
「うーん、正直言うとめんどくさいんだよな、これ。でもうちがやらなきゃどこもこんな事しないだろうし…………」
幼い顔立ちのわりに長くてほっそりとした足を組み、今度は『考える人』のポーズを決める副部長。こめかみを押さえて考え込む姿はとても絵になっている。次にこのポーズを見れたら、写真でも撮って美術部や新聞部に売りつけよう。そのためにまず、カメラを買わねば。
そんなことを考えていたら、いつの間にか立ち上がっていた副部長が叫んだ。
「よし! アレを使ってみよう!」
「アレですか?」
「そう、アレよア・レ。こないだ出来たばっかりだからデータ採集もまだでしょう? だったら渡りに船。面倒ごとと一緒に片付けちまおう」
そう言うと、先ほど美代君がしたように、部屋の奥にある机の上の試験管を手際よく並べ替え、地下室へと降りていった。
もうしばらくすれば、地下室から美代君たちが出てきて怪物退治に出かけるだろう。
「では、その前にお茶でも淹れてあげるとしようかな~」
再びアルコールランプに火をつけると、ビーカーでお湯を沸かし始めた。
* * *
「美代! それと勝彦! いるんだろう!」
さして広くも無い実験室に、副部長の声が響く。
「なんですか沙耶加先輩? そう大声で怒鳴らなくっても聞こえてますよ」
今日は俺がせっせと編物に励んでいるだけだったので驚くほど静かなのだが、いつもはいろんな機械がガコガコ鳴っているから大声を張り上げないと自分ですら聞き取れない。
よって、今日のように静かだと、この部屋は一転して地獄の反響部屋と化す。
「あー、もう、三半規管に狂いが生じちゃいましたよ」
椅子から立ち上がろうにも足がもつれて上手くいかない。
ぐわんぐわんと頭の中にまで響いてきた声にはそれだけの威力があったという事だ。
「すまんすまん」
平謝りする沙耶加先輩。
「それで、今日は何ですか?」
先輩が開口一番に北村の名前を叫んだという事は、また何か厄介な事を頼まれたのだろう。
ちなみに、先週は吹奏楽部の部室になぜか大量発生したゴキブリの駆除をさせられた。
「Bよ」
「Bッスか……」
Bというのはもちろんバイオ部のこと。
カガク部はバイオ部なら「B」、ミュータント部なら「M」、薬学部ならば「D」といったように、厄介事を持ち込む事の多い部活に呼び名をつけている。
「Bってことは、先月作り始めたっていうカニマジロくんでも逃げ出したんですか?」
「違う違う。てゆーかなによ、カニマジロくんって?」
「えーと、たしか『カメとカニとアルマジロを足して割った地球一硬い愛玩動物』とかなんとか……」
なんでもバイオ部の部長が、
『カニマジロくんが完成したあかつきには、ペットの主流であるイヌやネコ達はみーんな保健所行き決定だぜぃ!』
と息巻いているところを、たまたま通りかかった俺の友人が聞いていたらしい。
その話を耳にしたとき、俺は『鋏を振りかざしながらノロノロと横歩きするサッカーボール』を思い浮かべた。こんな動物誰も飼いたがらねぇよな。
「いやいやいや、ぜんぜん可愛く思えんし!」
隣では、おそらく同じ事を考えていたであろう副部長が、ものすごい勢いで頭を振って浮かんてきたイメージを必死に振り払おうとしていた。
その風圧で俺の前髪がスパッと切れた。体中からいやな汗が吹き出てくる。
「あ、あの、沙耶加先輩? 大丈夫ですか?」
このままでは耳まで切られそうな勢いだったので、とりあえず落ち着いてもらう事にした。
「え、ええ…………」
先輩の両腕が動きを止めたのを見て安堵の息をこぼすと、俺はこれからするべき事を確認するための質問をした。
「それで、今日はなんですか?」
「あれ、この台詞ってさっきも言わなかった?」
「気のせいです、先輩。ザッツ・イズ・デジャブ」
「…………そうかしら?」
腑に落ちない顔で首を傾げつつ、先輩はようやく話を進めた。
「実は……」
それから三十分後、俺たちが校内中を走り回る羽目になるとは、この時点では夢にも思っていなかった。