渡り鴉は知っている
ダンジョンの底は湿っていた。
松明の脂の匂いと苔の匂いが混じる。
大昔に滅んだ文明の遺物が眠るこの手の遺跡は潜って持ち帰るだけで一財産になる。
名誉も金も遺物次第の稼業だ。
冒険者は皆その一攫千金を求めて危険な深部まで足を踏み入れる。
ガイのパーティは5人。
剣士が2人に魔術師と斥候。
そしていちばん後ろに鑑定士であるアレンがいた。
鑑定士は遺物の値打ちと危険性を見極める者だ。
見た目だけでは呪われているのかすら分からない。
遺物は鑑定士が鑑定書を出さなければ売り買いできない。
特に呪われていないことを示す安全保障書は必須だ。
危険な代物を市場に流させないためのギルドの決め事になっている。
鑑定士が判を押して初めて商品として値がつく。
祭壇にそれはあった。
宝石をあしらった首飾り。
松明の光が反射して燃えるように輝いている。
「見ろ。高そうな遺物があるぞ」
ガイが手を伸ばす。
「これが例の栄光の首飾りだろう」
高々と掲げてガイは笑う。
「栄光の首飾り」と呼ばれる遺物は身につけた者に富と地位をもたらすという言い伝えのある伝説の宝だ。
「これさえあれば富も名誉も思いのままだ」
ガイはそれをアレンに放って寄越した。
「さっさと鑑定しろ。今度こそまともな仕事をしてみせろよ」
アレンは首飾りを受け止め手をかざした。
アレンの鑑定スキルは独学で身につけたものだ。
遺物ばかりを相手に何年も鑑定の修業を積んだ。
値打ちを見る勘も魔力の質を読む勘も害意を嗅ぎ取る勘も全部そうやって身につけた。
安宿の隅で古い書物を漁りときには顧客に殴られながら学んだ。
積み重ねた経験の果てにようやく掴んだものだった。
その経験が警鐘を鳴らしている。
指先から悪寒が這い上がる。
今まで触れたどの呪物よりも深い。
輝きの奥で何かが蠢いていた。
美しいがまるでなにかを喰らおうとしているような光だ。
身につけて自分のものと呼んだ者の生命を芯からゆっくりと啜る。
持ち主が悦に入っているあいだに骨まで舐め尽くす。
その宝は飢えていた。
「駄目だ」
アレンの絞り出されたような声が響く。
「これは呪物だ。こんなもの着けたら持ち主が喰われる。安全保障書なんて出せない」
沈黙が落ちた。
安全保障書がつけられない、呪われた遺物はよほどでなければ高い値がつかない。
呪われている遺物は危険で扱いが難しいからだ。
その場合はギルドが安値で買い取ることになっている。
ガイの顔から笑みが剥がれ落ちる。
それから大きく舌打ちした。
「またそれか」
苛立ちを隠そうともしない声だ。
パーティのメンバーが気まずそうに目を逸らす。
何度もやってきた光景だ。
アレンが危険だと言う。
ガイが儲けを惜しんで文句をいいながら渋々従う。
優秀である鑑定士ほど事前に危険を察知するため問題を起こさない。
そのため鑑定士としての能力を疑われるのは悲しいことに珍しくはなかった。
「お前はいつも危険だ危険だと騒ぐ。そのたびに俺たちがどれだけ稼ぎを逃したと思ってる。本当に呪われた遺物なんぞ滅多にありゃしない。臆病者はすぐ影に怯える」
ガイは仲間を焚きつけるようにいう。
人前で格好をつけずにいられない男だ。
「なあ!そうだろう!」
誰も逆らわなかった。
パーティの他のメンバーはガイの声に頷く。
この場ではガイが先導者でありアレンは邪魔者だった。
ガイは首飾りを手に取り大事そうにしまうとアレンを指さして宣言する。
「臆病者の目はもう要らん」
ガイは犬でも追うように手の甲を振った。
邪魔だとばかりに顎で出口を示す。
「今日限りでお前はクビだ。その卑しい嫉妬で俺の栄光に泥を塗るな」
街へ戻るとすぐにガイはあちこちで吹聴してまわったらしい。
臆病な鑑定士を切ってやった。
代わりに優秀な鑑定士モーリスが鑑定書を作成した、と。
このモーリス、界隈では金で何でもする鑑定士としてにわかに有名だった。
だがギルドはガイとモーリスを信じた。
アレンの言い分を聞く者はいない。
数日のうちに彼は仕事を失い街の表通りから弾き出された。
◇
夜の街は冷える。
遺物で潤う表通りの灯は華やかだが裏路地に一歩入れば別の街だ。
アレンは行き場をなくして歩く。
やがて古びた看板の下で足が止まる。
掠れた塗りで鴉が1羽描いてあった。
渡り鴉亭。
扉を押すと煙草と安酒の匂いがした。
客はまばら。
カウンターの奥に無愛想な店主が立っている。
歳は読めない。
皆はただマスターと呼ぶ。
アレンが腰を下ろすとマスターは何も聞かずに一杯を置いた。
頼んでもいないのに。
「よう兄弟。まるでパーティでも追放されたって顔だな」
アレンは驚いて顔を上げた。
それを見ながらマスターは続けてはなす。
「いいか、追放される理由っていうのは2種類ある」
マスターは杯を布で拭きながら言った。
「追放したヤツが見抜けない愚かだったか、追放されたヤツが優秀すぎて邪魔になったか。その2つだ」
「……あんたにはどっちに見える?」
「さあな。だが呪われた遺物を売るなと言って追い出されたなら答えは決まってるだろう」
アレンの手から口をつけようとした杯が滑り落ちかけた。
首飾りのことは一言も話していない。
この店に来たのも今夜が初めてだ。
「なんでそれを知ってる」
マスターは答えない。
ただ妙に平坦な口ぶりでこう言った。
「よくある話さ。俺はそういう話を掃いて捨てるほど見てきたのさ」
見てきた?
よくある話?
こんなことがよくあってたまるものか。
マスターは杯を布で磨きながら軽い調子で付け加える。
「まあ心配すんな。こういうとき欲深い奴は放っておいても自分から転ぶもんだ」
マスターの言い方はどこか結末を知っている芝居でも眺めているようだった。
◇
それからアレンはたびたび酒場に通うようになった。
誰も自分に興味がなさそうな様子がアレンにとっては居心地がよかったからだ。
幸いなことに日銭は鑑定の内職で細々と稼ぐことができた。
ある夜、アレンは渡り鴉亭の扉を蹴るように開けた。
頬に殴られた痕がある。
カウンターに突っ伏すように座る。
マスターが杯を渡すなりすぐに呷って飲み干す。
「ギルドに行った」
アレンは吐き捨てるように言った。
「あの首飾りは危険だと訴えたがギルドの職員には鼻で笑われた。追放されたのに往生際の悪い鑑定士の嫉妬だとさ」
アレンは自分の潔白を自分の足で晴らそうとしていたのだ。
マスターが黙ってアレンの杯を酒で満す。
「衛兵の詰所にも行った。人が死ぬ前に止めてくれと頼んだんだ。治安を乱す虚言だと衛兵に凄まれた。殴られたのはその帰り道だ」
アレンは自分の頬を指でなぞった。
「競売を管理している商人にも会った。あんたたちが競売にだそうとしているものは呪物だと」
思い出したのかアレンの眉間にシワが寄る。
「その商人は笑ってたよ。『ちゃんと鑑定士の判が押してある。パーティを追い出された男の戯言なんぞ誰が信じるか』だとさ」
杯を握る手が震えていた。
「誰も聞かない。俺の言葉はもう何の値打ちもないんだ」
うなだれるようにしながら酒に口をつける。
マスターはしばらく黙っていた。
それから静かに口を開いた。
「そりゃそうだ」
アレンは顔を上げた。
「追放された男の言葉なんぞ端から誰も信じん。お前がいくら本当のことを叫んでも響くのは嘲笑だけだ」
その言葉に我慢できずアレンは激昂する。
「じゃあどうしろってんだ!黙って人が喰われるのを見てろってのか!」
アレンは暴れたくなる気持ちをどうにか抑え、代わりに残っていた酒をぐいと飲み干す。
「あんたは呑気に杯を磨いてりゃいいだろうよ。俺は誰かが死ぬのを黙って見てろって言われてるんだ」
マスターはなんとも言えない顔をしながら杯にまた酒を注いだ。
しばらくお互いなにも言わずにいた。
アレンは酒をちびちびと飲む。
「俺は遺物のことも喧嘩のこともよくわからんが……」
マスターはしばらく考え込んでから口を開いた。
言ってもよいのか迷っているようだった。
「賭け事はな、大きく出ると引っ込みがつかなくなるもんだ。デカく勝つにはまず相手に掛け金を積ませないとな。それがテンプレだ」
マスターはそれだけ言うと仕事に戻った。
アレンは長いこと黙っていた。
拳を握ったり開いたりを繰り返す。
何度も口を開きかけては閉じた。
黙っていられるかという苛立ちはまだ胸の内でくすぶっている。
しかし、さっきのマスターの言葉が妙に頭から離れなかった。
◇
半月ほど過ぎた頃。
噂が裏路地まで流れてきた。
ガイが栄光の首飾りを競売にかけるという。
場所は商人ギルドの大広間。
街中の名士と豪商が集まる年に幾度もない晴れの舞台だ。
それを知ったアレンは血の気が引いた。
今すぐ商人ギルドに駆け込んでガイの出品を止めさせたい。
その衝動をすぐに呑み込んだ。
そんなことをしても嘲笑われるだけだ。
もう身をもって知っている。
その夜アレンは眠れなかった。
どうしたら被害を止められるだろうか。
ふいにマスターの言葉を思い出す。
『欲深い奴は放っておいても自分から転ぶ』
『賭け事は大きく出ると引っ込みがつかなくなる。勝つにはまず相手に賭け金を積ませろ』
何を積ませろというのか。
あの遺物は持ち主を喰う。
ただ持っているだけでは何も起きない。
運ぶ手も検める指も喰わない。
商品として台に載っているあいだは誰も喰われない。
身につけてこれは自分のものだと主張したその瞬間に呪いは牙を立てる。
アレンは闇の中で目を見開いた。
そうか俺が証明する必要なんてなかったんだ。
証拠も要らない。
弁論も要らない。
ただガイ自身にやらせればいい。
◇
競売の日が来た。
商人ギルドの大広間は着飾った名士と豪商で埋まっていた。
天井から下がる硝子の灯が眩い。
壇上のガイは真っ白な礼服に身を包み栄光の首飾りを絹の台に載せていた。
隣で鑑定士モーリスが揉み手で愛想笑いを浮かべている。
競りが始まる。
司会者が煽ると値がみるみる吊り上がった。
前列の貴婦人が扇を挙げる。
恰幅のいい商人が指を立てる。
あの首飾りを競り落とした者が今夜の英雄で最初に喰われる獲物だ。
盛り上がりが最高潮へ達したその瞬間、アレンは人垣を割って進み出た。
ぼろの外套を纏ったアレンは眩い広間の中央へ飛び出し大声で叫ぶ。
「その首飾りは呪物だ!持ち主を喰らう!競り落とせば死ぬぞ!」
突然の乱入者に会場は騒然とする。
すぐにガイはその乱入者がアレンだと気がついた。
「おいおい、追放された無能鑑定士のアレンくんじゃないか」
「諦められずに乱入とは、鑑定士の風上にも置けませんな」
ガイとモーリスが近づいてくる。
「違う、俺は今日こそ鑑定士として真実を明らかにしにきただけだ」
その言葉を聞いたガイはやれやれといった小馬鹿にするようなポーズを取る。
ガイはアレンを指さし大きな声で会場に宣言する。
「見ろ諸君!これが私の栄光を妬む男だ」
朗々とした声が広間に響く。
「無能ゆえにクビにしてやったらこの様だ。嫉妬に狂って晴れの舞台を汚しに来た」
それから広間がどっと沸いた。
嘲笑だった。
ガイが追い出した無能の鑑定士だと誰かが吹聴する。
囁きが波のように広がった。
薄汚い負け犬だ。
臆病者だ。
逆恨みだ。
惨めな。
笑いがどっと膨らんだ。
ガイはその笑いを浴びてさらに酔う。
「そこまで大見得を切ったんだ。もし証明できなかったらどうしてくれる?」
「ガイさん、こいつには嘘をついた鑑定士としてギルドの資格を剥奪してもらい奴隷にでもなってもらいましょう」
ガイとモーリスはまるで結末はわかっているとでも言うように終わったあとの算段をしている。
顔にはニタニタと勝ち誇った笑みが咲いていた。
「ほらアレン!お前の人生最後の晴れ舞台だぞ!」
千載一遇の見せ場だと言わんばかりに煽ると会場は更に熱狂の渦に包まれる。
ガイを称える声とアレンを嘲笑する声の渦の中でアレンは立ち尽くす。
拳が震えた。
視界がゆがむ。
喉まで言葉がせり上がる。
あの時ダンジョンで確かに視たんだ!
俺は間違ってない!
思わずそう言いかけたときマスターの言っていたことを思い出す。
そうだ、証明するのは俺じゃない。
昨日考えたとおりにやればいい。
奴に証明させるんだ。
アレンは震える拳を解く。
せり上がる言葉を喉の奥へ呑み下す。
深呼吸。
そしてゆっくりと顔を上げた。
「証明は俺がするものじゃない」
ガイの眉がわずかに動いた。
「あんたがすればいい」
アレンはまっすぐ壇上を指した。
声はもう震えていなかった。
「お前が栄光の首飾りだと言っているものを今ここであんた自身の首に掛けてみせろ。呪いなど無いと言うなら造作もないはずだ」
広間がしんと静まった。
観客の目が一斉にガイへ向く。
ガイが動揺している。
アレンにはそれが見えた。
ここで首飾りを掛けなければどうなる。
呪いを認めたも同然だ。
この場末の無能の戯言に名士たちの前で屈したことになる。
せっかくの栄光の舞台で。
「……いいだろう」
ガイは笑った。
余裕の笑みだった。
「その安っぽい嫉妬を叩き潰してやる」
見栄っ張りの男はもう引けない。
ガイは首飾りを両手で高々と掲げ広間じゅうに宣言した。
「この栄光の首飾りは俺のものだ!」
そして自分の首に掛ける。
一瞬だった。
宝石の輝きが内側から色を変える。
燃えるような金から飢えた黒へ。
美しい光が喰らう光に変わった。
ガイの表情が凍りつく。
喉から掠れた悲鳴が漏れた。
首筋から黒い痕が蔦のように這い上がる。
生気が音を立てて吸い出されていく。
頬がこけ唇が乾き目の光が薄れていった。
広間が凍りついた。
次の瞬間、悲鳴と混乱が弾ける。
貴婦人が悲鳴を上げ商人たちが後ろへ雪崩れた。
ガイは首飾りを掻きむしっていた。
外れない。
喰われながら膝が折れる。
床に崩れ落ちて彼はもがく。
「た……たすけ……アレン……」
かつて邪魔者と呼んだ男の名をガイは縋るように呼んだ。
アレンはその声に逡巡する。
ガイは憎い男だ。
ここで見殺しにするのは容易い。
誰も責めはしない。
むしろ当然の報いだとすら。
その誘惑が脳裏をよぎる。
だがそれをすれば。
自分は人の命より欲を選ぶ男になる。
それではガイと同じではないか。
違う。
自分はあの男と違うのだ。
死は逃げだ。
ここで楽に死なせはしない。
この男には生きて償わせる。
奪った戦利品を剥ぎ取られ、群衆の前で正体を晒され、崩れた身で牢に繋がれる。
それがあの男にはお似合いだ。
アレンは駆け寄る衛兵に叫んだ。
「その首飾りを引き剥がせ!今すぐだ!」
衛兵が身を乗り出し首飾りを掴んで引き剥がした。
あれほどガイが掻きむしっても外れなかった首飾りがいとも簡単に外れた。
あの遺物は持ち主を喰う。
だが持ち主だと認識されなければそうはならない。
証拠品として首飾り取り上げられたガイは持ち主ではなくなった。
その瞬間、寄る辺を失った呪いは牙を収める。
ガイは体中に黒い痕を残して床に転がっていた。
息はある。
生きているようだ。
壇上の隅ではギルドの役員たちが顔を見合わせていた。
彼らはアレンの意見を切り捨て、ガイの言葉を信用した。
今ここで庇えば共犯にされる。
役員たちは我先にとガイから距離を取った。
衛兵がガイを縛り上げる。
いつの間にか逃げようとしたモーリスも捕まったようだ。
彼らは確かに見た。
首飾りが持ち主を喰う呪物だったこと。
ガイが私欲から金に換えようとしたこと。
そして、追放された鑑定士の目が最初からひとつも間違っていなかったことを。
先ほどまでアレンを嘲笑っていた観客は今やガイを罵倒しアレンを称賛していた。
化けの皮が剥がれたぞ。
人殺しの詐欺師め。
あの鑑定士が正しかったんだ。
たいした目利きだ。
罵声と称賛が入り混じって広間を満たす。
なんと身勝手な奴らだ。
アレンはあからさまな態度の変化に辟易する。
だが、これでようやく証明することができた。
アレンは無能だから追放されたのではなかった。
正しかったからこそ追放されたのだ、と。
◇
その夜アレンは渡り鴉亭の扉を押した。
「いらっしゃい」
マスターはそれだけいうと何も聞かずに一杯を置いた。
いつもと同じ無愛想さで。
「あんたのおかげだ」
アレンは腰を下ろした。
「マスターの話がなければあんなに上手くはいかなかった。俺は今頃は奴隷だったかもしれない」
マスターは肩をすくめた。
「俺はいつもどおり酒とつまみを出しただけさ」
そんなことない、反論しようと腰を浮かせたアレンをマスターが手で制した。
「俺の与太話からどうしたらいいのか決めたのはお前だ。呪いを暴いたのもそうだ。俺は指一本動かしちゃいない。全部お前の知識と経験と勇気の賜物だよ」
アレンはしばらく黙って杯の底を見つめる。
「そうかい」
小さく笑ってそれだけ返した。
素直に頷く気にはなれなかったが悪い気もしなかった。
「また鑑定士としてやり直すさ。今度は見栄っ張りじゃないヤツと仕事するよ」
アレンは残った酒を飲み干して立ち上がる。
「世話になった」
ほんの少しばかりチップを多めにおいて彼は店を出た。
扉が閉まるとしいんと静かになった。
マスターはひと息とばかりに酒を注ぐ。
杯を傾けながらカウンターの空いた席をしばらく眺める。
それから誰にともなく呟いた。
「……さて、追放モノの次は何が来るかね」




