客席に潜んでいた「怪物」
「おかしいな……D列の15番……。13、14……壁!? 15番、壁の中じゃん!」 ホール客席の端で、袋池テツオ(ふくろいけてつお)は数枚のチケットを手に右往左往していた。運営が座席配置を勘違いしているのか、指定された席はコンクリートの壁に阻まれている。 代わりのチケットを渡されて向かった先でも、先客と鉢合わせた。 「え、Cの10番? 僕もなんですけど……。ダブルブッキング!? 勘弁してよ、俺は静かに見守りたいだけなのに!」 そんな客席の混乱をよそに、ステージでは華やかな照明とともに司会者の声が響き渡る。 「さあ、やってまいりました!『第3回・全日本慌てんぼうグランプリ』決勝戦! 夢の切符が手に入る、今一番アツい大会です!」 ようやく8番の席に滑り込んだテツオを、司会者の鋭い視線が射抜いた。 「あれあれ? 客席にも慌てんぼうですか? 客席の方、席大丈夫ですか?」 テツオは慌てて「大丈夫だ」と腕で大きな丸を作ったが、司会者はそれを被せるように叫んだ。 「おお~客席にも慌てんぼう! 手を振ってくれました!」 「違う、振ってない!」 否定しようと振った手も、司会者には「ファンサービス」として処理されてしまう。
「それでは、決勝進出者の皆さんに加えて、今回新設の“推薦枠”で選ばれたお二人をお呼びします! まず、青森県から北東林檎さん! そして――」 司会者が一拍置いて、テツオを指さした。 「東京都から、袋池テツオさん!」 「ええええええ!?」 椅子に腰を下ろそうとした瞬間、自分の名前を呼ばれ、テツオのお尻は座面につく前に跳ね上がった。 「これはおもしろ~い! 決勝進出者が客席にいました! とんだ慌てんぼうですね~、どうぞステージへ!」 「は? 知らない! 俺、見学に来ただけだから! 上がらないからな!」
拒絶するテツオに対し、司会者は無慈悲な追い打ちをかけた。 「では、袋池さんが到着するまで、ご家族から届いたテツオさんの『慌てんぼうエピソード』を紹介しましょう! ……街でかわいい女の子がいるなーと思って、『お姉さんかわいいですね』と声をかけたら、バッチリメイクした実の妹だった。しかも、後ろで母親が動画を回してたそうです」 「おいー! 言うな、それを言うなって!」 絶望に染まったテツオは、着席している観客の膝をかき分け、狭い通路を強引に突き進む。 「会場のみなさん、袋池さんのエピソードまだまだ募集中です! 専用アカウントへどうぞ!」 「やめろー! もう送るなよー!」
這い上がるようにしてステージへ辿り着いたテツオは、怒りに震えながら客席をうろついた。あまりの剣幕と、次々と晒される「天然の慌てっぷり」に、舞台袖で控えていた他の出場者たちは震え上がっていた。 「おっと~、他の出場者の皆さんが『こんな怪物に勝てない……』と自信を失くして帰ってしまいました! というわけで、三代目王者は袋池テツオさんです! おめでとうございま~す!」
「どこにいるんだ! もう送るなよ~!」 テツオが叫びながら客席を覗き込んだその瞬間、足元が宙を舞った。 ――落下。 ステージから無様に転落したテツオの背中に、万雷の拍手と「王者誕生」のファンファーレが降り注ぐ。 本人の意図を1ミリも介さず、不運と勘違いに愛された「慌てんぼうの神様」は、非情にも彼に栄冠を授けたのだった。




