第3章:仮面の下の情熱
サマセット・ハウスの壮麗なホール。数百のクリスタルが煌めくシャンデリアの下、ロンドンの社交界を代表する名士たちが集まっていた。その中央に、オリヴィア・テイラーは立っていた。ソフィーが選んだサファイアブルーのドレスは、彼女が歩くたびに夜の海のように波打ち、知的な魅力を湛えた背中のラインを大胆に描き出している。
「テイラーさん、先ほどのEUの市場動向に関するあなたの見解……非常に感銘を受けました。次はぜひ、我が一族の基金についてもご教示いただけないか?」
名門銀行の若き頭取が、熱烈な視線でオリヴィアの手を取ろうとする。
「光栄ですわ。でも、私が語れるのはデータに裏打ちされた現実だけ。あなたの夢を彩るような甘い言葉は、他のレディに求めてくださいな」
オリヴィアは鮮やかに、かつ完璧なマナーで彼の誘いをかわす。その凛とした佇まいに、周囲の男性たちの瞳には、もはや「秘書」への好奇心ではなく、一人の抗いがたい魅力を持つ女性への渇望が宿っていた。フランス語で経済を語り、イタリア語で芸術を論じる。彼女が口を開くたびに、オリヴィアの周りには紳士たちの人垣ができていく。
その光景を、ホールの端でキャサリンが忌々しげに睨みつけていた。
「ただの学問自慢よ。あんな堅苦しい女、すぐ飽きられるわ」
キャサリンは通りがかった給仕からグラスを奪うように取ると、オリヴィアに近づき、わざとらしく躓いてワインをぶっかけようとした。だが、オリヴィアは視線を合わせずとも、グラスが傾くわずかな角度を「予測」していた。彼女はアレックスをエスコートする時のような無駄のない動きで半歩下がり、逆にキャサリンの腕を優しく支えた。
「お気を付けて、キャサリン様。あなたのその美しいシルクのドレスに、安物の赤ワインは似合いませんわ。……それとも、注目を集めるための新しいパフォーマンスかしら?」
静かだが透徹した声。周囲から失笑が漏れる。キャサリンは顔を真っ赤にし、逃げるようにその場を去った。
一息つこうとバルコニーへ出たオリヴィアを、冷たく、そして熱い気配が追いかけてきた。背後に立ったのは、アレックスだ。
「……モテるな、君は」
彼の声は低く、地を這うような重圧を含んでいた。オリヴィアが振り返る前に、アレックスの逞しい腕がバルコニーの欄干を叩き、彼女を閉じ込める。
「アレックス……?パーティーはまだ続いています。婚約者同士として、中に戻らないと」
「戻る?他の男たちが君のその賢明な唇から溢れる言葉に、卑しく群がる場所へか?」
アレックスの瞳は、これまでの冷徹なブルーではなく、荒れ狂う嵐のような深い色に染まっていた。彼はオリヴィアの髪を一房、指に絡め、首筋に熱い吐息を吹きかける。
「僕の失態だ。君をただの『有能な盾』にするつもりだったが、君は美しすぎた。……あの銀行家が君の指に触れようとした瞬間、彼の指をすべて叩き折ってやりたいと思ったほどに」
「何を……っ、これは契約でしょう?」
オリヴィアの胸が、恐怖ではなく、かつて感じたことのない甘美な震えで満たされる。男性が怖い。はずなのに、彼の独占欲に満ちた言葉が、彼女の奥深くをくねくねと熱く溶かしていく。
「ああ、契約だ。だから今すぐ、項目を一つ書き換えさせてもらおう。僕の視界から一秒でも消えることは許さない。……他の男が君を見るたびに、僕は理性を保てる自信がないんだ」
アレックスは、彼女の腰を引き寄せ、密着させた。ドレス越しに伝わる、彼の硬い筋肉と激しい鼓動。
「……オリヴィア。君をこのまま車に押し込んで、屋敷まで一秒でも早く帰りたい。そこで、君のその賢明な言葉が、愛の囁きに変わるまで……死ぬほど深く、君を味わいたい」
「っ、アレックス……」
オリヴィアは彼の肩に手をかけ、押し返そうとするが、力が入らない。むしろ、もっと強く抱きしめてほしいと願う自分がいた。彼女の「鉄壁」が、彼の情熱の前で音を立てて崩れ去っていく。
月光に照らされたバルコニー。二人の影が、限りなく一つに重なろうとしていた。




