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冷徹なボスと偽りの花嫁  作者: Lucy M. Eden


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第2章:伯爵夫人のプロデュース

契約書にサインした翌日。


オリヴィアを待っていたのは、山のような書類ではなく、メイフェアにある完全予約制の高級ブティックのVIPルームだった。


「仕事はどうしたんですか、アレックス」


「これも仕事だと言ったはずだ、オリヴィア。僕の隣に立つ女が、既製品のブラウスでは格好がつかない」


アレックスは、シャンパングラスを片手にソファに深く腰掛けている。その視線は、まるで値踏みをする投資家のように冷ややかで、同時に恐ろしいほど熱を帯びていた。そこへ、嵐のような足音と共に一人の女性が飛び込んできた。


「まあ!この子が例の『運命の人』なの!?」


シルクのストールを華やかにたなびかせ、年齢を感じさせない輝くような肌と瞳を持つ女性――アレックスの母、ソフィー・キングスレイ伯爵夫人である。彼女はオリヴィアの周囲を蝶のように舞いながら、値踏みするどころか、宝石でも見つけたかのように目を輝かせた。


「お母様、彼女は僕の秘書の――」


「黙ってなさい、アレックス。あなたの審美眼がこれほど確かだとは思わなかったわ。見て、この理知的な瞳に、鍛え抜かれた姿勢。最高にクールで……そして、なんて可愛いらしいの!」


ソフィーは、男性に触れられることを極端に恐れるオリヴィアの肩を、驚くほど自然に抱き寄せた。不思議なことに、ソフィーの温かくて柔らかな香水の香りに、オリヴィアの体からすっと余計な力が抜けていく。


「さあ、始めましょう!この子をロンドン中の男が溜息をつくような、最高に洗練されたダイヤモンドに磨き上げるわよ」


次々と運び込まれる、溜息が出るほど美しいドレスの数々。アレックスが無言で見守る中、ソフィーはオリヴィアを試着室へと押し込んだ。


一時間後。


試着室のカーテンが開いた瞬間、室内の空気が凍りついた。纏ったのは、オリヴィアの瞳の色を強調する、深いサファイアブルーのイブニングドレス。デコルテは大胆に開いているが、仕立ての良さが彼女の知性をより際立たせている。


「……信じられない」


アレックスの声が、かすかに震えていた。彼は立ち上がり、無意識のうちに彼女へ歩み寄る。


「テイラー秘書。君は、自分の価値を低く見積もりすぎていたようだな」


その時、ブティックの入り口で高いヒールの音が響いた。


「あら、アレックス。こんなところで何をしているの?」


現れたのは、プラチナブロンドを完璧にセットした女性、キャサリン・ウェントワース。彼女はアレックスの婚約者候補筆頭であることを自負しており、その特権を隠そうともしない。彼女はオリヴィアを一瞥すると、扇子で口元を隠してクスクスと笑った。


「まあ、そこにいるのはアレックスの『優秀なタイプライター』さんじゃない。ドレスなんて着て、一体何の冗談かしら?仕事しかできない女性が無理をして着飾るなんて、まるで借り物の衣装を着た子供みたいで滑稽だわ」


オリヴィアの指先が、冷たくなる。幼少期のいじめの記憶――「お前は勉強だけしてろ」という声が、キャサリンの言葉と重なる。だが、その震えが伝わる前に、ソフィーがオリヴィアの前に立ちはだかった。


「あら、キャサリン。あなたにはこのドレスの美しさが分からないの?伝統と気品、そして自立した精神。それが揃って初めて着こなせる、最高難易度の一着なのよ」


オリヴィアは深呼吸をし、ソフィーの背中から一歩前に出た。彼女は「秘書」としての、最も冷徹で完璧な微笑をキャサリンに向けた。


「キャサリン様。ご心配ありがとうございます。ですが、仕事ができることと、美しさを楽しむことは相反するものではありません。むしろ、複雑なプロジェクトを管理する知性があれば、自分の見せ方を管理するのも容易いことですわ。……あ、そういえばウェントワース家が支援されているチャリティの収支報告書、昨晩拝見しましたが、計算に数万ポンドの『遊び』があるようです。もし宜しければ、私の余暇にでも精査して差し上げましょうか?」


キャサリンの顔が屈辱で赤く染まる。彼女には、オリヴィアの知性と凛とした佇まいに太刀打ちできる言葉がなかった。


「……失礼するわ!」


捨て台詞と共に去っていくキャサリン。その背中を見送りながら、ソフィーは歓喜の声を上げてオリヴィアの手を握った。


「最高よ、オリヴィア!あなた、あのアレックスに勿体ないくらい素敵だわ!」


ソフィーに褒められ、オリヴィアは生まれて初めて、鎧としての服ではなく、自分を輝かせるための服に自信を持てた気がした。ふと視線を感じて振り返ると、アレックスがじっと彼女を見つめていた。その瞳には、もはや契約相手を見る冷徹さはなく、一人の男としての隠しきれない独占欲が渦巻いている。


「オリヴィア……」


彼が名を呼んだ瞬間、彼女の胸の奥で、契約書にはない何かが熱く疼いた。

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