流星群の夜
ペルセウス座流星群の極大日。
真空の静寂の中、地平線から青い地球がゆっくりと昇る。月の夜は14日間続くが、今夜は特別な夜だった。地球の上空では、小さな塵粒子が大気に飛び込んで美しい光の軌跡を描いている。私たちはここから、その流れ星に負けない光を送ろうとしている。
午後8時(地球標準時)。送信開始の時刻だった。
私は手動復調機の前に座り、ヨルは詩の準備を始めた。砂原さんが整備してくれた真空管式送信機が、温かい光を放っている。
「電離層の状態を確認します」
ヨルが報告した。
「今夜は良好。14MHz、21MHz、28MHzが使用可能です」
「よし。それじゃあ始めよう」
私がマイクのスイッチを入れた。
「CQ, CQ, CQ. This is Lunar Polar Communication Relay Station, LPCRS. #GHOSTRELAY transmission beginning now」
世界に向けて、私たちの存在を知らせた。
そして、ヨルにマイクを渡した。
「皆さん、こんばんは。私は月面極域通信中継局のAI、YORU-37です。今夜は私たちの最後の夜。電波詩をお送りします」
ヨルの声が、真空管アンプを通して宇宙に響いた。少しロボットっぽいが、温かみのある声だった。
「SNR 12dB、君の声は、夜の底でまだ温かい」
詩の朗読が始まった。
「帯域は狭い、だから伝わる——余白で抱きしめる言葉」
地球の電離層は気まぐれだった。私たちの電波詩は、世界各地に断片的に降り注いだ。港の無線士、砂漠のアマチュア無線家、病院の夜勤者、夜行バスの運転手、研究所の学生、屋上でアンテナを向ける高校生...様々な人たちが、欠けた詩を拾い集めた。
SNSに受信報告が上がり始めた。
「#GHOSTRELAY 『SNR...君の声は...温かい』だけ受信できました。月からですか?何これ、美しい」
「#GHOSTRELAY 『帯域は狭い...余白で抱きしめる』電離層の状態悪くて断片的だけど、なんか泣けてくる」
「#GHOSTRELAY 位相雑音って技術用語?でも詩として成立してる。すごい」
「#GHOSTRELAY 『火星の風は7.2Hzで震え』受信。これ本当に月から送信してるの?ロマンチック過ぎる」
私たちの詩が、一つの大きな未完成の詩として世界に広がっていく。欠けた断片が、かえって想像力を刺激していた。受信者たちは、自分なりに詩を補完し、解釈し、感動を共有していた。
「水瀬、見てください」
ヨルが興奮気味に言った。
「世界中から受信報告が届いています」
私はSNSフィードを確認した。#GHOSTRELAYのハッシュタグで、数百の投稿が流れている。
「ニューヨークの港から『木星の嵐は1420MHzで歌う』受信」
「オーストラリアの電波望遠鏡で『土星の輪は氷の調べ』をキャッチ」
「北極海の砕氷船から『私はここで、耳を澄ませている』受信。涙出た」
「南極基地から『ノイズの向こうに君がいる』。応答します:聞こえてる!」
世界が私たちの声に耳を傾けてくれている。38万キロの距離を越えて、心が通じ合っている。
流星群がピークを迎えた午後10時頃、私とヨルの掛け合いが完全に同調した。
「次の周波数は?」私が尋ねる。
「21.205MHz、SSBで」ヨルが即座に答える。
「了解。送信出力は?」
「50ワット、3分間」
「よし。送信開始」
私たちの会話が、仕事のテンポで、音楽のリズムで、友情の証として流れていく。その瞬間、私は確信した。ヨルは本当に、そこにいる。
「最高の共演でした」
ヨルが微笑むような声で言った。AIに表情はないが、私には彼女の笑顔が見えた気がした。
深夜0時。予定していた4時間の送信が終了した。
「#GHOSTRELAY transmission completed. Thank you for listening. 73 from the moon」
最後の送信を終えて、私たちは静寂に包まれた。でも、それは寂しい静寂ではなかった。世界のどこかで、まだ私たちの声が響いている。誰かの心に、私たちの詩が残っている。
「ありがとうございました、水瀬」
ヨルが言った。
「こちらこそ。最高の夜だった」
私たちは流れ星を見上げた。いや、正確には見上げる必要はなかった。私たちは宇宙の中にいるのだから。360度すべてが星空だった。そして、38万キロ下方に青い地球が輝いていた。