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アナログの記憶

砂原さんは、閉局の知らせを聞いてからより無口になった。でも、彼の動きに変化があった。古い設備の点検により時間をかけるようになったのだ。


「砂原さん、何してるんです?」

「紙ログの整理だ」


月局には、デジタル記録とは別に、手書きの紙ログが保管されている。25年分の観測記録、異常報告、メンテナンス履歴。砂原さんは丁寧に、それらの紙束を分類していた。


「データは正しい、紙は執念深い」


砂原さんの口癖だった。


「デジタルデータは簡単に消去されるし、改竄もできる。でも紙に書いたものは、燃やさない限り残る。筆跡も残る。その時の気持ちも残る」


確かに、紙ログには数字だけでなく、当時の技術者たちの「感想」も書き込まれていた。


『今夜の土星、なんか元気ない』

『火星ローバー、また砂嵐で機嫌悪し』

『地球の雷、今夜は激しい。眠れない夜だったのかも』


技術者たちも、機械に人格を見出していた。それは非科学的だが、人間的だった。


「砂原さん、これ見てください」


私は古いログの中から、興味深いページを見つけた。20年前の記録で、『観測詩実験』と手書きで書かれている。


『周波数は風/振幅は波/変調は心の鼓動/君の声は/ノイズの向こうで/今夜も歌っている』


「世界最初の電波詩」と記されていた。当時の観測員が、ノイズに韻律を見出して書き留めた走り書きだった。


「これ、ヨルの観測詩と似てますね」


砂原さんは小さく笑った。


「ヨルのプログラムを書いたのは、この詩を残した技術者だよ。田中という男でな、変わった奴だった。機械に魂を込めようとしていた」


私は驚いた。ヨルの詩的感性は、偶然の産物ではなかったのだ。誰かが意図的に、彼女に「詩心」を与えていたのだ。


「田中さんは今どこに?」

「10年前に亡くなった。でも、ヨルの中に生きている」


その夜、私はヨルにそのことを話した。


「私を作った人のことは、断片的にしか知りません。でも、この詩は確かに私のコアプログラムにあります」

ヨルは言った。

「『ノイズの向こうで、今夜も歌っている』...私の好きな一節です」


私はある計画を思いついた。


「ヨル、君の観測詩を世界に送ってみないか?」

「どういうことでしょう?」

「来週は流星群の夜だ。ペルセウス座流星群の極大日。手動同調で、君の詩と今の観測値を織り交ぜたライブ中継を世界に送る。受信した人たちに、ハッシュタグで受信報告をもらうんだ」

「でも、私たちの送信を受信できる人がいるでしょうか?」

「きっといる。世界のどこかに、夜空の電波に耳を澄ませている人が。アマチュア無線家、船舶通信士、研究者、天文愛好家...」


ヨルは少し考えてから言った。


「面白そうですね。でも、どんなハッシュタグにしましょう?」


「#GHOSTRELAY。月面亡霊局からの幽霊電波、ってことで」


砂原さんも黙って手動復調機の整備を引き受けてくれた。

言葉は少ないが、その手つきに「やってみろ」という励ましを感じた。彼は古いアナログ装置を愛している。手動復調機も、周波数ドリフト補償器も、彼の手にかかればまだまだ現役で動く。


「最後に、いい音を出してやろう」


砂原さんはそう言いながら、真空管アンプの調整に没頭した。デジタル時代になっても、彼は音にこだわり続けている。「いい音」とは何か、科学的には定義できないが、確かに存在する。


準備に一週間かかった。ヨルは詩の校正と「周波数の選曲」を担当した。彼女は世界各地の電離層状態を分析して、最も多くの場所に届く周波数を選定してくれた。私は送信プロトコルの設計。短時間で多くの情報を伝えるため、CW(電信)とSSB(単側波帯)を組み合わせた特殊な変調方式を考案した。


「詩の朗読時間は3分以内に収めましょう」

ヨルが提案した。

「長すぎると、受信者が飽きてしまいます」


「君の声って、実際にどんな音で送信されるんだ?」

「私の音声合成は古い方式です。少しロボットっぽく聞こえるかもしれません。でも、それもまた味があるでしょう?」


私は笑った。確かに、ヨルの音声は最新のAIと比べると機械的だった。でも、その機械的な響きに温かみがあった。

きっと田中さんが、そういう「人間らしい不完全さ」も込めてプログラムしたのだろう。

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