生まれて初めての(ルル)
ルルは空を揺蕩っていた。風の流れに身を任せ何も考えずに空を飛ぶ。
そんな事を3日程続けているうちに、ここだ!と強く直感が告げる一帯を見つけた。急いで降下し地上に降り立つと、そこは林の中であった。
周囲を意識を集中させると北に数キロ先、何やら騒がしい気配を察知した。感覚を研ぎ澄ましてみると、嗅いだことのない匂いや忙しない震動をごくわずかに感じ取る事が出来る。
そこが噂に聞く、人間の暮らす“街”だろうか。
ルルは期待に胸を高鳴らせると、風のような速さで北へと駆け出した。
しばらく走ると、長く大きな壁のような物とそれを前にした人々の長い列が見えてきた。
ここが街への入り口だろうか?
よくは分からないが、とりあえずルルもその列の最後に並んでみる事にする。列に並ぶなんて初めての経験だ。
「ひっひぃぃ!もしや竜人族!?本物か!?」
すると人の気配に後ろを振り向いたらしい、ルルの前に並ぶ男がこちらに話しかけてきた。
「そうだよ」
そう答えると、列に並んでいた人々は一斉にこちらを振り向いた。そしてルルを見つけると、皆驚いたような表情を浮かべる。
それからはもう蜂の巣をつついたかのような大騒ぎだ。
「本物の竜人族?なぜこんな国に…」
「なんて美しいの!伝承で聞いた通りだわ!」
「これは吉兆か?凶兆か?」
「神の使いだ!この国は栄えるぞ!」
いっせいに話しかけられたら返事が出来ないよ、とルルが困っていると、前方から鎧を着た二人の男が走ってきた。
「お前たち何を騒いでいるんだ!列を乱すんじゃない!」
しかしその男たちはルルの姿を目にとめるとビシリとその歩みを止めた。二人は顔を見合わせひそひそ何か話し合った後、おずおずとこちらに近づいてきた。
「えっと……あなた様は?」
「ルルだよ」
「もしかして……竜人族であらせられる?」
「そうだよ」
「やっぱり!どうしよ!」
男二人は手を取り合って叫んだ。
「俺たちの手には負えん…騎士団本部に伝達だ!騎士団長に知らせろ!」
「はいっ!」
しばらく話し合った末、二人の男は結論を出したらしかった。一人が門の方へ駆けていく。
「えー……竜人族サマ。この国への入国を希望されているので?」
この場に残った一人は大量に流れる汗を拭きつつそう尋ねた。
人間は体温が上昇すると汗を流して熱を冷ますのだと聞いた。今は秋だがきっと鎧は暑いのだろう。体温調節機能のないルルにはわからない話だが。
「この街に入ってみたいな」
「そうですか……何か身分証などはお持ちですか?」
「これがあるよ」
ルルはポケットの中から沢山のガラス玉と鉱石、文字の書かれた金属タグのついた首飾りを取り出した。
これは竜人族が自分の所属を示す際に使う伝統的な装飾品で、ルルも200歳の誕生祝いで里の皆から受け取った。
「えっとこれは……すみません私はこの文字は読めませんで」
男は手渡された首飾りを恐る恐る触りながら、そこに書かれた竜人族の文字を読もうと顔を近づけている。
「これがあればどこにでも行けるって長は言ってたよ」
なんでも地上ではこれさえ見せればどんな場所にだって出入りできるとか。御年2800歳の長が言うのだから間違いは無いはずだ。
「もしかして昔そんな取り決めが国同士で?俺が無知なだけなのか?うーん、竜人族を入国させていいものか…いや断ったりしたらそれはそれで国際問題になりかねん…とりあえず通して後は騎士団に任せるのが得策か?」
男は額に手を当て、目を閉じたまま小さく何かをつぶやき続けていた。思考に熱中する男に、ルルは放置される。
「ねぇ、ルルこの中に入っていい?」
待ちきれなくなって、ルルは口を開いた。初めての“街”に気が急いているルルはもう、一秒の猶予だって惜しい。
すると考え込んでいた男はしばらくの間の後に、絞り出すような声で答えた。
「……分かりました。どうぞお入り下さい。」
「やったー!ありがとね」
こうしてルルは見事、険しい山々に囲まれた小国ネルケへの入国を果たしたのだった。
街は見たこともないほど色鮮やかで、狭い範囲にたくさんの人や物がひしめいていた。
物売りは大声で客を呼び込み、女性は花のような強い香りをまとい、人々は本の挿絵で見たような派手な服を着ていた。全てが混み合っていて騒々しい。
未だかつてない五感への情報の多さに、ルルは一瞬ぼうっとなった。
これが人間の暮らし…と静かに感動していると、なんだかとても良い匂いが一つ、辺りに漂っている事に気がついた。
ルルはその匂いのもとを目指して歩き出した。物珍しげにキョロキョロ辺りを眺めながら進むルルを見て、周囲の人々はこれまた驚いたような顔で道を空けてくれる。人間はとても親切だ。
「あ!これだ!」
少し歩くと、ルルは匂いの発生源を見つけた。
それは食べ物のようだった。穀物の粉を膨らませて焼いたそれは、確かパンと呼ばれる人間の主食ではないだろうか。なんとも言えない甘く刺激的な香りに、うっとりと目を閉じる。
「店員さん、これ何?」
しばらくその香りを堪能したルルはその出店の店員らしき人物に声をかけてみた。
「シ、シナモンロールというこの国のお菓子です」
「シナモンロール……」
シナモン、というのは確かスパイスの一種であったはずだ。
ルルはお菓子というものもスパイスというものも食べた事がなかった。シナモンロールに俄然興味が湧いてくる。
「これ、一つ下さい」
「は、はい!一つ150ゴールドです」
ここにきてルルはしまった、と思った。まだ人間のお金を用意できていないのだ。
本来ならまず、旅費として竜の里で集めてきた鉱石を質屋なる場所でお金に変えてもらわないといけない。
「えっと……これでも支払えたりする?」
ルルはとりあえずポケットからほどほどの大きさの金塊を取り出すと店員に渡してみた。
「金塊!?この大きさの!?う、受け取れません!こんな物……」
「足りなかった?駄目かな?」
ルルは不安気に眉を寄せると店員の顔を覗き込んだ。とたん店員の顔がぽっと耳まで赤くなる。
「だ、駄目じゃないですぅ。ぜひ!いくらでもお持ち下さい!」
「本当?ありがとね!」
ルルはしきりに金塊を返そうとしてくる挙動不審な店員にそれを押し返しつつ、シナモンロールを一つ受け取る事に成功した。
「どこで食べようかな……」
シナモンロールに相応しい食事場所を求め出店からしばらく歩いていると、何やら開けた場所にでた。
噴水、と呼ばれる魔法仕掛けの水も見える。
陽光を受けて舞う水飛沫は水晶のようにきらきらと輝きを放っており、その光景は絵画の中で目にしたどの噴水よりもはるかに鮮やかで、美しい。
ここで食べよう!とルルは大きく決意し、シナモンロールを袋から出した。
そしてまさにそれに口をつけようとしたその時、ルルは自分が同じ服を着た多くの人間に取り囲まれている事に気がついた。
「貴方が……我が国にいらっしゃった竜人族だろうか?」




