嘘つきな客・6
襖を開けた麗美と亜加里を待っていたのは、意外なものだった。
しかし同時にそれは、亜加里が望んでいた展開でもあった。
「──悪かった!」
浴衣姿の涼也が布団と布団の間で、こちらに向かって土下座をしていたのだ。
「涼也、なにをしてるの。悪かったって言われても……」
麗美は手にしていた洗面道具や衣類を部屋の隅に置くと、慌てて涼也の傍に行き、その隣にしゃがみ込んだ。
「ねえ、顔を上げて。いったいどういうこと?」
麗美は涼也の顔を、覗き込むようにして尋ねる。
亜加里はできるだけ邪魔にならないよう、部屋の隅で息を殺してじっとしていた。
「実は俺……麗美に、嘘をついていたんだ」
麗美は一瞬ドキリとした様子だったが、黙ったまま次に涼也がなにを話し始めるのかと、緊張した面持ちで身構える。
涙混じりの声で、涼也は話し出した。
「俺はあの合コンの日、先輩と仲が良かったから入れてもらえただけで……ほ、本当は、僕は……僕の行ってるのは、東帝大じゃない。私立野山大学だ。三流もいいところだよ。……親は、中小企業のサラリーマンをやってる」
「涼也……それは、本当なの?」
麗美は驚きと不審の混ざった、複雑な表情を涼也に向ける。
涼也は怯えているように、身を縮こまらせた。
「ほ、本当だよ。きみに振られるならせめて最後に、事実を話そうと思ったんだ。隠していることが辛かった。別れるとしても真実を話すことが、きみに対して誠実なんじゃないかって、ずっと考えていた」
唇を震わせながら、涼也は潤んだ瞳で麗美を見つめる。
「ごめん。こんな僕を、君は嫌いになっただろう。だけど……いずれにしても振られるんなら、これであきらめがつく」
眉を八の字にしながら、涼也は唇を必死に笑みの形にした。
「きみみたいな高嶺の花と、恋人になる夢を見れた。短い間だったけど、嬉しかったよ」
「高嶺の花。……私が」
つぶやくと、麗美はぺたんと涼也の前の畳に腰を下ろした。
「私立野山大学……」
麗美は俯いて言うと、肩を震わせる。
「ほ、本当に悪かった。ごめん。でも、きみに対する気持ちは本物なんだ! 嫌われても、呆れられても、それでも僕は……」
「野山大! 聞いたことないわ、知らないわよそんな大学!」
必死に言い募る涼也の隣で、麗美はくすくすと笑い始めた。
「だ、だから謝ってるだろ、ごめん、僕は」
「いいの! 全然いいのよ、涼也!」
次に顔を上げたとき、麗美の顔には明るい笑みが浮かんでいた。
「だって私もあなたに、嘘をついてたんだもの!」
「ええ? 嘘? ど、どういうこと?」
目を真ん丸にした涼也に、麗美は自分の本当の出自を話し出した。
しかし亜加里に話した時の沈痛な表情とはまるで違う。
輝くように晴れ晴れとした様子で、歌うように生い立ちを涼也に語る。
それを聞くうちに、涼也の瞳もらんらんと輝きだし、曇っていた表情はみるみる明るくなっていった。
「なんだって。じゃあ成王大っていうのも嘘なのか?」
「あんなとこに通う頭、私にはないわよ! っていうかもう、別世界。それっぽく振る舞うのが大変だったんだから」
ふたりは頬を火照らせ、満面の笑みを浮かべて夢中で話す。
「なんだよもう、早く言ってくれよ! それなら僕はいったいどうして、緊張しながらバカみたいに高いコース料理の店を予約したんだ? ホテルもスイートばっかり探して……きみはブランドものが好きだと思って、プレゼントだってバイト代じゃ足りなくて、兄貴に借金したんだぞ」
「なによそれ、本当にバカみたい! 高学歴のエリート様が相手だと思って、私だってどれだけ化粧品や服にお金をかけたと思ってるのよ!」
麗美はけらけらとお腹を抱えて笑い、笑いすぎて目に涙を浮かべた。
「私なんて、チェーン店の居酒屋で充分だったのに。っていうか、むしろそっちのほうが落ち着くくらいよ」
「嘘だろ? 僕だって同じだよ。高いスーツでのデートなんてもう堅苦しくて、うんざりしてたんだ」
「私も同じよ。ブランドの服で気取って食事なんかして、ソースの染みでもつけるんじゃないかって頭はそればっかり」
「じゃあ今度、ジャージでカレーうどん食べに行くか?」
「行く行く! それとおでん屋さんがいいな、私!」
「おでんならいい店知ってるよ。なんだ、こんなに話がわかる人だったんじゃないか。お嬢様なんかより、よっぽど今のきみのほうが……いや、ますますきみに惚れ直したよ!」
楽しそうに会話が弾み、それを見ている亜加里まで嬉しくなってしまった。
亜加里はそっとポットを座卓に置く。
「……それでは私はこれで失礼します。朝ごはんは七時半になりますので」
頭を下げると、麗美の明るい声が返ってくる。
「わかったわ。あの……いろいろと、ありがとう」
とんでもない、と亜加里はにっこり笑う。
「では、失礼いたします」
「おやすみなさい」
「……ごゆっくり、おやすみください」
これでもう麗美は大丈夫だ。
亜加里は心の中でそう確信しながら襖を閉め、廊下へ出た。
(つり合い……お金とか家柄とか、なんでもかんでも持ってればいい、ってものでもないのかもしれないなあ)
思っていたとおりの展開になったはずなのに、なぜか亜加里の胸は痛んでいた。
(嘘で自分を追い詰めて、嘘で救われる……なんだか、悲しい)
そしてなぜかふと、これまでなるべく考えないようにしてきた、両親のことを思う。
(私の両親も、いっときはあんなふうに、相手を好きだと思ったんだろうか。……愛情ってなんだろう。……一度は手に入れたと思っても、大切に持っていないと、いつか消えてしまうものなのかな……)
亜加里は天井を見上げ、じわりとこみ上げてくる涙を飲み込んだ。
──翌朝。朝食の支度ができたと部屋に知らせに行ったとき、すでに『芦の間』には誰の気配もなかった。
ただ、ぴったりと隙間なくくっつけられた二組の布団の上に、小さな人の形の紙が一枚、落ちているだけだった。




