第2話 応用編 汚れはため込まない。
「お嬢様、お部屋のお掃除に参りました。入ってもよろしいでしょうか?」
「・・・いいわよ。」
お嬢さまの部屋は可愛らしく整っている。
あと3か月ほどで結婚式だと伺っております。お相手はお隣りの領地の子爵家の嫡男。3つ上。ちょうどよろしいですね。
お嬢さまはベッドの中にいらした。本を読んでいたらしい。
「はあああ…。」
ため息?まあ、気にせずそのままあちこち片づける。主に本。あちこちに散らばっているが、恋愛小説の様だ。
「ねえ、あなたはどう思う?」
「はい?」
「恋を…してみたいわよね?あなたはどなたか好いた方がいらっしゃるのかしら?」
「・・・・・」
クリクリっとしたリスのような可愛らしい茶色の瞳。
本の世界に、どっぷりと浸っていたらしく、うっとりとした表情。
「やはりね、盲目的な恋をして、身も心も燃え尽きたいわ!!」
「・・・・・」
これは…いわゆるマリッジブルー?でしょうか?
「・・・燃え尽きた後、どうなさるおつもりで?」
「え?…あなたって…超リアリストなのね?」
そう言った後、お嬢様はまた妄想の世界に入って行かれました。
翌日、衣装室に置いてあった旅行用の大きなカバンがなくなっておりました。
その翌日、普段着が何着かと履きやすそうな靴が何足か。
そのまた翌日、いくつかの宝飾品が。
そして一週間後、お嬢様のベッドの下にしまい込まれた旅行カバンの準備は整ったようですね。なかなか、ユニークな女性の様です。
はたきを掛けながら、いつものようにベッドの中で恋愛小説を読んでいるお嬢様に話しかけて見ます。
「・・・お嬢様?ここを出て行ったあと、身を寄せる《《あて》》はございますので?」
「あ、あら?ばれてた?誰も気が付かなかったのに。うふふっ。」
「・・・・・」
「あてなんか、無いわ。まずはね、窓から逃げるでしょう?それから、宝石を換金して旅費にして、旅に出るわ!あなた、秘密にしてよね?」
「・・・換金した質屋で変な男たちに目を付けられて、身ぐるみお剥がされますね。」
「あら?この国の治安はそんなに悪くないわ。」
「そして…金ぐらいならまだしも、何も知らないお嬢さま、と思われて、誘拐?下手をしたら、娼館に売り飛ばされることもあるらしいですよ?」
「そういう時にね、助けて下さる騎士の方がいるのよ!」
「いますか?そんなにちょうどよく?」
「それでね、その方と恋に落ちて、手に手を取って駆け落ちするんだわ!!」
「・・・・・」
ダメだわ。
「それで?その先はどうやって生活をするおつもりで?何か特技とかをお持ちなんですか?家事が出来るとか、事務仕事が出来るとか?」
「うーーーーーん。特にこれと言ってはないわね?」
「刺繍がむちゃくちゃ上手だとか?商売になるほどのお菓子が焼けるとか?」
「うーーーーーん。ないなあ。でも、お相手の騎士さまが何とかしてくれるもんじゃないの?」
「はあ。」
お嬢さまは、3日ほど風邪で寝込んだことにして、3日目に家出するらしい。
「夜だと、換金するための店も開いておりませんから、朝の、店が開くぐらいの時間がお勧めです。」
「まあ。そうね、そうね。」
初日。
ワザとらしい咳と、むちゃくちゃ厚着して出した熱。
「うつるといけないから、誰も入らないでね?」
と、周りをけん制するのも忘れない。
2日目。
婚約者の方がお見舞いに来た。
お花と、食べやすいだろうとムース系のお菓子。いい奴ですよ?お嬢様。
お花を預かって、花瓶に生ける。匂いを抑えめにした花束。
まあ、確かに少し愛想はないが、真面目そうな方だ。花束をお預かりした時に、掌に剣だこがあるのが見えた。
「長居をしては、君が疲れてしまうだろうから。ね、フローラ?」
そう言って、早々に席を立った。
お見送りと称して、お相手の方を追いかける。
もともと使用人はそんなに多くないらしく、古参のメイドさんは奥様と買い物に出かけている。
「・・・あの、どうしてもお伝えしたいことがございまして…。」
驚いた顔で振り返った婚約者殿。なかなかにいい男だと思うけどなあ。
3日目。
お嬢さまの家出決行日。
普段通り、朝食を部屋まで運び、お食事。今度いつ食べれるか分かりませんからね。
「あらまあ、それもそうね。」
たくさん召し上がった後、動きやすいワンピースにお着替え。
「髪はどういたしますか?庶民ぽく、三つ編みでよろしいですか?」
「ええ。そうしてちょうだい。」
お嬢さまの頬が赤いのは風邪をひいているわけではない。これからの新しい世界に興奮なさっていらっしゃるのでしょう。
鏡の向こうで、満足そうにうなずくお嬢様を見る。
「お教えした質屋の場所はわかりましたよね?」
「ええ。わかったわ。書いてくれた地図も持ったし。ありがとうね、アーダ。」
「いえ。カバンは庭の植え込みまで運んでおきましたから。」
「ありがとう。じゃあ、行ってくるわね!!」
赤毛の三つ編みを揺らして、窓から出て行ったお嬢さまが走り去るのを見送る。
さて。
*****
その夕方は、旦那様も奥様も長男夫婦もお揃いです。
用意された椅子は6つ。
灯りが点される頃、来客がございました。
「ただいま帰りました!!」
「・・・お帰り、フローラ、お前風邪はもういいのかい?」
と、旦那様。
「あら、ちょうど夕食の時間よ?」
と、奥様。
「あら、お客様をお連れなのね?フローラ?」
と若奥様。
「お父様、お母様、私、この方と結婚いたします!私の運命の人なんです!!」
フローラお嬢さまが手を引いて迎え入れた人は、深々と騎士用のフード付きコートを羽織っている。片手に持ったお嬢様の大きな旅行カバンをそっと置く。
「・・・・・」
「・・・・・」
「紹介してくれないかい?」
と若旦那様。
お嬢さまの手を握りしめたままの騎士は…フードを取って…。
「改めまして、グレオンです。この度、お嬢様と結婚することになりまして。」
仕事用の騎士の制服を着た黒髪の婚約者殿は、普段着より五割り増しくらいいい男に見えるね。これはいわゆる、制服効果?
しかし…みんな…大根だな…。
「グレオンさまが、変な男たちに絡まれそうになった私を、たまたま助けて下さって!それから、お昼ご飯を食べて、お茶をして、いろいろとお話しましたの。もっと怖い方かと思っておりましたわ!!」
お嬢さまは心底嬉しそうに笑っている。
さあ、皆さんお揃いなので、晩餐を始めましょう。
フィン子爵邸、清掃終了です。
ため込んだ想いは、一度吐き出すと、また新しい風が入りますから。