10.
村から出た後、とにかくめちゃくちゃ泣きわめきながら山道を走ったことだけ覚えてる。何から逃げてたのか、何に追われていたのかイヴとタイガは話してくれなかった。
タイヤをすり減らして地元に帰ったオレたちを待っていたのは、大人の説教だ。学童のセンセーと学校のセンセー。警察と、それからオレたちの父ちゃんと母ちゃんが待っていた。タイガだけは弥生ちゃんと一緒に先に家に帰っちまったからお咎めなしだったけど。
勝手に店のバイクを拝借したオレたちは、当然しこたま怒られた。父ちゃんにはゲンコツされるし、母ちゃんなんかわんわん泣いちゃってセンセーを殴ってたな。
イヴの母ちゃんは説教どころか『今日は、くーちゃんが大人になった記念日で赤飯にしてあげるゾー』なんて言って、青い目をキラキラさせながらイヴの頭を撫でてた。イヴの父ちゃんに至っては、マシンガンのように喋り続けるイヴの母ちゃんの話を無言で頷きながら満足そうに腕を組んでるだけだし! う、羨ましいよォ……。
タルの分もゲンコツを入れられたオレはとぼとぼと家に帰って、部屋のベッドに横になる。まだ夢を見てるみたいだった。あんなに長時間移動して、怖い思いをしたっていうのに実感がわかない。山道を降りる時、最後に見た眩しい光は何だったんだろう。
「あっちゃん」
開いたままのドアからタルが顔を覗かせてくる。オレは枕に顔を埋めたまま返事も出来ずに足を上下にバタバタさせた。
「タイガからメッセ来てる」
「うー……起きたくねえ。読んで」
タルがベッドに腰掛けた気配がする。スマホの画面を触る音が聞こえて数秒後、タルがいつもの声色で言った。
「死体埋めるの忘れた。オレが捕まったらアンタたちも同罪な」
「ふざっけんな!」
タルがメッセージを読み上げるのと同時に、オレは渾身の力を込めて枕をタルに投げつける。タルはそれを受け止めると、クッションみたいに肘当てにして続けた。
「今夜九時半、いつもの場所に使えそうなバイクのパーツ持ってこいよ──」
タルはそこまで読み上げると、横になっているオレの顔を覗き込む。
「あっちゃんが行かないなら俺も行かない。どうする?」
黒目がちのぼんやりとした瞳に見つめられて、オレは眠たくて目を細めながら答えた。
「行きたいなら行けば? オメェ、タイガに気に入られてたろ」
「俺にはあっちゃんが居ればいい」
ケロッとした顔でそう言った弟は、俺の返事を待ってる。今後、タイガと……ガッチェと付き合っていくか否か。
オレは小さく身震いした。
「……行かない」
「わかった」
タルはそう言ってオレの目の前でスマホを操作し、ガッチェのトークルームから退出した。オレも仰向けのまま枕元のスマホに手を伸ばそうとするけど、タルが覆いかぶさってくる。
「おやすみ」
タルはぽつりと呟いて、そのまま爆速で眠りについた。どうでもいいけど重すぎる。
「おやすみじゃねえ! 自分の部屋に行け〜ッ!」
大きな図体をしているタルの体を押しのけようとしながらもがくオレの耳に、階下から両親の声が聞こえてきた。よく聞こえないけど、母ちゃんがパートを辞めるとか、オレたちを学童に預けるのはやめさせるとか、そんな話をしている。
結局オレたちは親の許可なしじゃ何にも出来ない子供で、オレたちを繋いでいたガッチェも、互いの本名すら知らない不安定なチーム。
そんなチームは抜けて、普通に学校で遊んで、塾に通ってバイクを弄ってるほうが弟の──こーきのためなんじゃないのか?
オレはアニキなのに、弟にあんなことをさせちまった。今後、ガッチェに居ることで弟が真っ黒に染まるくらいなら……。
「決めた」
オレは天井に向かってぼそりと呟くと、枕元に転がるスマホを手に取った。
夜九時半、オレはバイクパーツを積んで海の見えるいつもの埠頭に訪れた。埠頭の倉庫。オレたちガッチェの秘密の場所だ。
「タルは来てねーの?」
「……アイツは一度寝ると起きねーんだよ」
オレはそう言って、布袋に詰めたバイクパーツを差し出した。適当に入れただけだから使えるものがあるかは分かんねーよ、って言うと、イヴは嬉しそうにかぶりを振った。
「そんなことない。ありがと、ヒース」
イヴは、パーツをタイガに渡してバイクの様子を見てもらっている。
あの村で手に入れたというバイク。あれも人を殺して奪ったのかな……なんて嫌な想像をしてしまう。
「親父にゲンコツ喰らったんだって? 泣いた?」
からかうようにタイガが話しかけてくる。オレは『どーでもいいだろ』と答えて空になった布袋をくしゃくしゃと丸めた。バイクの傍には弥生ちゃんが座ってて、オレとタイガのやりとりを眺めてる。
「弥生ちゃん、これからどうすんだよ」
「タイガの家に泊まってる。広くて凄いぞ」
弥生ちゃんはすっかり明るくなって、ニコニコしながら足を揺らした。足の動きに合わせて猫耳がぴょこぴょこと揺れている。
「そーじゃなくて、ケーサツとか……色々、さ」
オレは歯切れ悪く言いながらタイガを見上げた。
「大丈夫じゃね? あの猫ババアに関東まで来る体力があるとは思えねーし」
タイガはそう言って弥生ちゃんに近づき、白い髪を軽く撫でた。その手つきは一見乱暴そうだけど、弥生ちゃんのことを本当に大切に思ってるんだなっていうのがわかる。
そうだ、オレだって弟が大切だからこそここに来た。
「あのさ、タルもオレも……今日でガッチェ辞めたいんだけど」
みんなの顔を見たら決心が鈍りそうで、オレはギュッと目を瞑って言った。
「が、学童も行かなくなると思う。母ちゃんが、パート辞めて家に居る時間を作るって」
声が震える。悲しくないはずなのに、オレの両目からは涙がこぼれてた。
こんなに怖い思いするなら、行くんじゃなかったとすら思ってしまう。来年中学生だし、塾にも行かされるかもしれない。今しかできない、もっと楽しいことができるって思ってた。オレたちガッチェなら。
「……そっかぁ」
タイガの軽いため息が聞こえる。
「じゃあ殺すしかねーよな」
足音が近づいてきて、驚く程に呆気なくオレの腹部に包丁が突き刺さる。
何が起きたのか、わからなかった。ただ、腹が熱い。めちゃくちゃ、熱い……。
「ッあ、あああ……!」
嗚咽を漏らしてその場に膝をつくオレを、タイガがつまらなそうに見下ろしている。
そうだ、コイツは平気でそういうことが出来る奴なんだ。あの男を殺した時からそうだった。猫屋敷弥生なんか見捨ててオレたちだけで逃げればよかったのに。
「タルも殺しとくかぁ」
タイガはオレのスマホを勝手に操作している。こーきを呼び出す気だ。やめろ。それだけは絶対にさせない。
「グッ、が……弟に……手ェ出すなァッ……!」
「触んなって」
足にしがみつこうとするオレを、タイガが冷たく蹴り飛ばす。そんなオレの傍に弥生が近づいてきた。
「コイツまだ生きてる。舌を抜こう。目をくり抜いて鼻を削いでしまおう」
弥生の手には、アイスピックみたいな細く尖った刃物が握られている。
「動けないように両足も取れよ」
イヴの手に握られていたのは斧だった。
「いっそ両腕も切って達磨にしようぜェ」
タイガがニタリと笑う。オレは後ずさりながらその場から逃げようとした。
そんな俺の背中に、誰かの足が触れる。恐る恐る顔を上げると、弟の黒い目がオレを見下ろしていた。
「最後に首を切って、木箱に閉じ込めよう」
弟の歪んだ口が、耳まで裂けていく。やめろ。弟は、こーきはそんな風に笑わない。そんな酷いこと絶対に言わない。
オレは、ボクは、みんなと仲良くしたいんだよ。怖くて痛いのはやだよ。もっと楽しい遊びをしよう?
「楽しいよ、オオカミ。お前を殺して遊ぶのは」
みんなの顔をした何かが歪んで、目の前が赤く染まっていった……。