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8.

「っひ、い……」


 完全に足が竦んでしまって動けない弥生に、その人間がよろめきながら近づいてくる。暗闇の中で、人間にその姿を見ることは出来ないだろう。けれど弥生にはハッキリと見える。農具で頭を勝ち割られた人間の顔も、腹からこぼれた臓物の色さえも。


「や、いやだ……来ないで」


 後ずさる弥生の足が木の根っこに引っかかり、尻もちをついてしまう。その弾みで手から離れた木箱の中身が地面に散らばった。

 木箱の中身は──。


「う、お……ごおおおッ!」


 突如、血まみれの人間が頭を押さえて悶え始める。原因が木箱にあることは明らかだった。木箱から漏れてきた黒い煙が、人間の耳や口、鼻から入っていく。

 呆然としている弥生の目の前で、人間の体は不気味に変貌しようとしていた。


「おっ、ごお……おおお……」


 化け物の手が、弥生に伸びてくる。その白い首に化け物の手がかかった。


「うぁッ……」


 弥生の体は難なく持ち上げられ、その獣のような手で首を絞め上げられる。必死にもがこうとするが、化け物はビクともしない。

 きっとこれは罰なのだと弥生は思った。ケモノミコの役目から逃げ出したい、外の世界に行きたいと思ってしまった自分への。


「ごめん、なさ……」


 弥生はしゃくりあげながら、朦朧とした意識の中で懇願した。


「許し、てぇ……オオカミ様……」


 次第に意識が薄れていく。

 弥生の脳裏に浮かんだのは、タイガの顔だった。


「ごッ!」


 不意に化け物の呻き声が聞こえて、弥生の首を絞めていた力がゆるむ。


「退けよ、化け物」


 まだ声変わりしていない少年の声と共に、化け物の体が蹴り飛ばされる。

 月明かりに照らされた蜂蜜色の髪が揺れていた。


「うぁッ!」


 地面に投げ出された弥生の体を、彼女と大差ない体つきの少年が受け止める。タイガの友達だ、と弥生はすぐに分かった。確か、イヴと呼ばれていた少年だ。彼からは、微かにタイガの匂いがする。


「大丈夫? 怪我は?」


 弥生がふるふるとかぶりを振る。イヴは『そっか』と少しだけ微笑んで弥生の体を下ろす。


「とりあえずこのデカいのを何とかしなきゃ」


 イヴは背伸びをして肩を回したりしながら、化け物が起き上がってくるのを待った。


「だ、ダメだ! それはオオカミ様の祟りなんだ。私があの箱を開けたから……」

「御神体ってやつのことか?」


 イヴはそう言って、足元に散らばるそれを見た。それは、いくつもの子供の骨。歴代のケモノミコの成れの果て。


「悪趣味な村だな」


 イヴはリュックから何かを取り出しながら言った。それは白いラベルの貼られた小さい緑色の酒瓶だ。


「知ってる? 酒の歴史は古いんだ。縄文時代には酒壺が発掘されてるし、平安時代には造酒司(みきのつかさ)っていう酒造り専門の役所が作られた。八つ首の大蛇を酔わせたこともあるんだ」


 イヴが慣れた手つきで酒瓶のキャップを外す。


「俺んちは、造酒司の末裔──粟島家。大蛇どころか、鬼も酔わせたことがある」


 よろめきながら化け物が体を起こす。その身に纏っている服装を見てイヴが目を細めた。


「そっか、あんた……俺たちよりも前にここに来てたのか。あんなに派手にスリップしてピンピンしてるわけないもんな」


 イヴが呟いた意味は、弥生には分からない。体を起こした化け物が唸り声を上げながらイヴに襲いかかってきた。


「requiescat in pace(安らかに眠ってくれ)」


 イヴが何かを呟くと共に、手の中の酒瓶を化け物へ振りかける。それを浴びた化け物の体から白い蒸気が立ち上った。


「ッア、ああああ!!!」


 苦しみ、悶えながら化け物の体が崩れていく。やがてその場に残されたのは白骨化した遺体だった。


「弥生ッ! 今の悲鳴ッ……」


 遅れて木から降りたタイガが駆けつけると、その場にはバラバラの骨を前にした友人と、へたりこんだ弥生の姿があった。

 白骨死体を前にしてそっと手を合わせたイヴは、酒瓶にキャップをしてリュックに仕舞いながら振り返る。


「タイガ、お前遅ぇよ」


 そう言って笑った顔は無邪気な子供のものだった。すぐにひっくり返った箱を手に取って、地面に落ちた小骨を拾っていく。


「や、やめッ……祟られるッ!」

「祟られない。オオカミ様は何もしてないだろ」


 イヴはそう言って、スマホの光で地面を照らしながら骨を拾った。


「ウカイさんに色々聞いたんだ。この村の言い伝えとか、五家がオオカミ様にした酷いこととか」


 弥生が気まずそうに視線をうろうろと揺らす。


「要は良心の呵責ってヤツだろ? 悪い事をした自覚があるから、全部祟りのせいにしたくなる。そうすれば楽だもん」


 どこの部位か分からない骨を丁寧に拾い上げたイヴは、それを箱に戻して弥生に差し出した。


「こんな風習良くないってウカイさんも言ってた。いつかこの村を子供でいっぱいにしたいんだってさ」


 弥生は、箱をおずおずと受け取る。


「じゃあタイヤを隠してたのはどういうことだよ? オレたちを皆殺しにしようとしてたんじゃねェの?」

「それは……」


 イヴが何かを言いかけたその時、背後で物音が聞こえた。すぐにイヴとタイガが弥生を守るように身構える。彼らの後ろで、弥生は箱を抱きしめたまま強く目を瞑った。

 再度オオカミ様に助けを乞おうとした弥生だったが、少し離れた場所からタイガの間延びした声が聞こえる。

弥生が目を開けると、化け物の死骸があった後ろの草むらでバイクを起こしているタイガの姿だった。どうやら化け物が人間だった時に乗っていた物のようだ。


「イヴ、これ鍵刺さってるぜ。乗ってみろよ」

「えっ」


 イヴは少し躊躇うような様子を見せたが、タイガに急かされてしぶしぶバイクに跨った。どうやらガソリンが残っているらしく、問題なく動くようだ。思いのほか大きな排気音が聞こえて弥生がビクッと震える。


「サマになってるじゃん。これ貰ってこーぜ」

「あのな……」


 呆れた様子のイヴが、化け物の死骸を見下ろして少しだけ頭を下げた。タイガは、やにわに弥生の手から木箱を取り上げてイヴの後ろに跨る。


「この箱、オレたちが置いてきてやるよ。今朝と同じ場所にヒースとタルが待ってるから、アンタなら走って行けるだろ?」


 弥生は少し心配そうにタイガを見つめたが、小さく頷いてバイクに近づいた。

 ほんの少し背伸びをして、弥生の唇がタイガに口付ける。


「……ありがと。大好き、タイガ」


 弥生はそう呟くと、すぐに顔を赤らめて駆け出した。両手に木箱がないだけでずいぶん身軽だ。これなら、大人に追いかけられてもすぐに逃げられるだろう。

 案の定、自分を探している大人たちの姿が村のあちこちで見られた。弥生は気配を殺して、闇夜に隠れながら村の入口を目指す。

 村の入口までは隠れるところが何も無い田んぼ道だ。隙を見て一気に駆け抜けようと弥生が草むらから顔を覗かせる。


「ヒースとタル……あれだ」


 田んぼ道の先、村の入口よりも少し手前で二人の少年が見えた。近くにはバイクもある。安心して草むらから出た弥生は彼らに駆け寄った。


「ヒース、タル!」


 村から出られる嬉しさで、弥生が弾んだ声を上げる。暗がりの中、二人の少年が俯いていた。


「すぐにタイガとイヴも来るぞ。イヴ、とっても強かったんだ!」


 弥生が興奮気味に説明する。けれど少年たちは返事をしなかった。怪訝そうに弥生が目をこらすと、そこに立っていたのは……。


「大ばばさま、ケモノミコ様がいらっしゃいました」


 その言葉に、弥生がビクッと身体を震わせる。ヒースとタルだと思って話しかけていたものはそこに生えている幼木だった。弥生の周囲には村人たちが集まっている。


「弥生、アンタ本気でこの村から出ていけると思ってたのかい?」


 低くしゃがれた声が村人たちの中から聞こえる。それは彼女が最も恐れた、猫屋敷家の長。


「あ、ぅ……」


 弥生は恐怖のあまり失禁してしまう。

 彼女にとって、祖母とはそれほどまでに恐ろしい人だった。人間の父を村から追い出し、悲しむ母を責め続けて廃人状態にした張本人。そして弥生にとっては、幼い頃から異常なほどに厳しくされ続けた過去を持つ。


「人間の男にたぶらかされるなんて──情けない。あんたも母親と同じだ。人間の馬鹿な血が入った薄汚い畜生だよ。恥さらし!」


 祖母は手に持った杖で弥生を強く打った。


「あんたみたいなゴミクズの子はね、ケモノミコになってこの村のために死ぬくらいしか価値がないんだ。今日のために生かしておいてやった恩も忘れて!!」


 狂ったように叫びながら、祖母は何度も何度も杖で弥生を叩く。弥生は体を丸めながら震えて謝ることしか出来なかった。


「ごめんなさい、ごめんなさい。良い子にします。弥生はみんなのために死にます。だから叩かないで、お願いします……」

「当たり前だろうが!」


 祖母は唾を吐き捨てて杖の先をぐりぐりと弥生の頭に押し付ける。

 痛いという感覚は既になかった。彼女の中には、その身に刻まれてきた恐怖だけがある。


(終わるんだ。全部終わる。私が死ねば、もう怖くない)


 村人の手が、弥生の髪を無理やり掴んで顔を上げさせる。


「あの人間のガキどもはね、鳥飼(ウカイ)に始末させるから安心していいよ。どうせ何も知らずにたらふく食ったんだろう? 遅効性の毒料理をさ」


 その言葉に弥生が青ざめた。

 鳥飼は村で唯一の医者だ。そして、彼は薬や毒にとても詳しい。人を殺す毒も、彼なら気付かれずに食事に混ぜることができるだろう。例えば、毒茸など──。


「タイ、ガ……」


 弥生の両目から、ぽろぽろと大粒の涙が流れてくる。

 初めて話した人間だった。初めて好きになった男の子だった。彼を知れば、人間のことが理解出来る。顔も知らない父親のことも理解できる気がした。どうぶつと人間のハーフである半端な自分も、生きていていいのだと思える気がした。

 そんな希望すらも、この村はズタズタに引き裂いていく。


「う、う……うううッ……」


 血が滲むほど唇を強く噛んで、弥生が泣き言を押し殺す。祖母に許しを得た村人が、農具を高く掲げて弥生の前に進み出た。

 きっと楽には殺してくれない。オオカミが長く苦しんだように、その身を生きたまま五つに裂かれたように、弥生にも同じことをするのだろう。

 そうやってこの村は繁栄していく。


(大っ嫌いだ……こんな村)


 弥生の頬を涙が伝ったその時、耳をつんざくようなバイクのエンジン音が近づいてきた。

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