第二百五十九話 妹にとっては最良だったが
「ありがとう」
感謝の言葉に、俺はつい笑ってしまった。
やっぱりこの人は、あまりにも『お姉ちゃん』すぎる。
「ひめちゃんを助けてくれて、ありがとう」
ほら。これだ。
ひめが転んだ時、俺がいち早く駆けつけたことに、彼女は感謝しているみたいだった。
「いえいえ。気にしないで」
そろそろ、謙遜はやめておこう。
今は聖さんの本心からの思いを、ちゃんと受け止める場面だと思った。
「ううん。気にするよっ……だって、私にはできないことだったから」
「立場上、それは仕方ないと思うけど」
あの時、敵という立場にいた聖さんがひめを助けるのは、ちょっと違うと思う。
もちろん、心情的には助けたかったはずだ。だが、恐らくひめはそれを望まなかったはずだ。
「でも、よーへーがいなかったら、私はたぶん駆けつけてたと思う」
もちろん、聖さんならそうしたはずだ。
そして、なんだかんだ、ひめは素直で優しい子なので、聖さんの助けにも感謝していただろう。文句は言わなかったと思う。ただ、敵であるはずの姉に自分の失敗を背負わせることに、自責することは間違いなかった。
そうなっていたとしても、誰もひめを責めることがなかったことは間違いない。
だが、当の本人であるひめ自身は違う。自分に厳しいあの子は、自責することを避けられなかったはずだ。
「よーへーがいてくれたおかげで、ひめちゃんにとってすごくいい体育祭になったんじゃないかな? 転んだ時は心臓がギューってなったけど、結果的には良かったと思う」
「……ひめにとっては、ね」
少し、含みのある言い方をしたが、それ以上先に踏み込むことはためらってしまった。
『聖さんにとっては、どうだった?』
そう聞きたかったのだが、ふと周囲の生徒の視線を集めていることに気付いてから、言葉が出なくなったのである。
そうか。下校中の生徒の邪魔になっていたので、深い話をするのはまだか。
そう考えて、その場からちょっとだけ移動した。
――夕暮れ。
体育祭の後はさすがに部活動も休みなのか、いつもよりこの時間帯に帰宅する生徒が多い。邪魔にならないように端の方に移動すると、後ろからゆっくりと聖さんもついてきた。
「よーへーは気を遣えて偉いね~」
と、褒めてくれているわけだが。
しかし、俺の意図を察したということは、聖さんにもちゃんと周囲が見えている証拠だ。
この人はおっとりしているが、ちゃんと空気を読んでいる。ゆるゆるに見えて、意外とガードが堅いタイプなのは、他者を丁寧に観察しているせいだろう。
「……聖さんも、意外と他人に気を遣うタイプだと思うけど」
「うふふ。ひめちゃんにはそんなこと言われないけど?」
「ひめは、聖さんにだけは少し厳しいタイプだからなぁ」
「そうだよねっ。ひめちゃん、私にだけちょっとナマイキだよねっ」
俺も、あの子にとって特別な存在であることは、なんとなく感じ取っているが。
もちろん、聖さんも俺とは違う意味では、ひめにとって特別な存在であることは間違いない。
ひめが唯一、気を遣わずに接することのできる人、とも言えるかもしれない。
「――聖さんにだけは嫌われない、っていう自信があるからこその態度だと思うよ。信頼の証でもある」
「ほほう。よーへーは本当に、察しが良いよね」
「まぁ、その自負はある」
だから、あの件についてもそろそろ真相を明らかにしておこうか。
恐らく、ひめは気付いてない、俺だけが感じ取った聖さんへの『違和感』を。
「……リレーの時、わざと負けた?」
切り出し方が分からなかったので、率直な言葉をあえて投げた。
先程聞きたかったのだが、ためらってしまった問いでもある。
迂遠な言い回しができるほど器用ではないところが、残念である。もうちょっと丁寧な流れを形成できたら、聖さんも話しやすくなったかもしれないけど。
対人関係の希薄な俺にはそのスキルが養われていないので、申し訳ないが分かりやすく聞くことにした。
はたして、聖さんはリレーの時、何を考えていたのか。
その真相を、明らかにしたかった――。




