公爵令嬢ヴァイオレット・グローリアの愛するもの
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「ヴァイオレット・グローリア! 貴様との婚約を破棄する!」
煌びやかな王宮の大広間に突如、穏やかならざる声が響きわたった。何事かと招待客が振り向いた先に仁王立ちしていたのは、この国の第二王子ライアンと、その側近候補の貴族子息数人と……あと、見慣れない少女が一人。
「貴様がメリリアーナに陰湿なイジメを働いていたことは調べがついている! おまえのような残忍な女は王族に相応しくない! 俺は今をもって、このメリリアーナと婚約する!」
と、第二王子ライアンはその見慣れぬ少女の腰を引き寄せて宣言した。少女はというと、媚びた笑みを浮かべて、ライアンの腕にべっとりと身体を……正確には胸元の開きすぎたドレスから覗く谷間を押しつけた。
これ以上ないほどわかりやすい色仕掛け。会場にいた誰もが抱いた感想である。
「まーぁ。よろしいの?」
ややあって会場に響いたのは、どこか上から窘めるような響きを含む問いかけ。声の主は余裕の笑みさえ浮かべて、ファサァと極楽鳥の羽根で拵えた扇で口元を隠した。
何を隠そう、彼女こそがライアンの婚約者で、国内でも屈指の権力を誇るグローリア公爵家の娘ヴァイオレットであった。
「私との婚約を破棄し、そちらの娘を婚約者になさると。本当によろしくて?」
彼女――ヴァイオレットは、困ったように眉を下げて今一度ライアンに聞き返した。その口ぶりは可哀想な者への憐れみそのもので、カッとライアンの頬に朱がはしった。
「貴様ッ、俺をバカにしているのか!」
わめくライアンにヴァイオレットは臆した風もなく、緑玉のような美しい瞳をわずかに細め、口元を隠していた真紅の扇を閉じた。
「あら。それともやっぱり私がよろしいのかしら?」
艶美に弧を描く唇と、思わずドキリとしてしまうほど蠱惑的な声音。さしものライアンでさえ一瞬継ぐ言葉を失い、ヴァイオレットを手放していいか考え直しは…………
「ハッ。そんなわけないだろう。この毒婦が」
しなかったようだ。ライアンは見せつけてやろうとばかり少女の腰を抱き寄せた。それが合図であったかのように、ライアンに侍っていた側近候補たちも口々にヴァイオレットを責め始めた。
メリリアーナをお茶会に招待しなかったとか、夜会に招いてやらなかったとか。
話しかけても無視したとか、口汚く罵ったとか。
挙げ句、メリリアーナの身の回りの品を盗んだり、壊したり、階段から突き落としたりとか。それでは飽きたらず暴漢をけしかけたとか。
(まーぁ。素敵な想像力ですこと。でも……)
公爵令嬢であるヴァイオレットを陥れるにはぜんぜん足りない罪状だ。
害されたと主張しているのが、ロクに力も持たない男爵家の、それも庶子で。前半のお茶会や夜会云々は、貴族社会のルールを鑑みれば当然の対応で。後半に至っては、本人の訴えだけで客観的な証拠もない。
一言でまとめれば、お粗末が過ぎる。
(その気になれば、国家転覆罪の言いがかりだってつけられますのに。残念なこと)
燃え盛る焔のように鮮烈な極楽鳥の羽根扇をふわりと開き、ヴァイオレットは嘆息した。しかし、敢えてヴァイオレットは彼らの提案に乗ることにした。
「よろしくてよ」
ヴァイオレットは猫のような緑玉の瞳でライアンたちをひたと見据えた。
「殿下の申し立てによる私との婚約破棄、謹んで承りましたわ。お集まりの皆様?」
ワインレッドのドレスの裾を摘まんで、惚れ惚れするような美しいカーテシーを披露した後、くるりと振り返って、自分たちを眺める招待客一人一人にヴァイオレットは微笑みかけた。
「皆様、どうか証人になってくださいまし」
大広間が水を打ったように静まり返る。が、ややあってヴァイオレットの後方から一人が拍手しだしたのを皮きりに、パラパラとまばらな拍手が起こり、やがて讃えるかのごとく大きな拍手が婚約破棄の当事者たちを包み込んだ。
「なっ?! え、何を企んで……」
狼狽えるライアンを置いてきぼりに、ヴァイオレットが極楽鳥の羽根扇をパチリと閉じると、拍手はピタリと鳴り止んだ。
「では、契約の破棄につき、早速撤去作業を始めますわね」
ヴァイオレットが言うや、大広間の入口の扉から夜会の場には相応しくない作業着姿の人夫たちがなだれ込んできた。
彼らはあれよあれよという間に、大広間の壁を彩る有名画家の絵画を外し、自慢げに飾られた裸婦の彫刻を取り去り、挙げ句の果てに大窓を飾る天鵞絨のカーテンや細緻な刺繍を施されたテーブルクロスまで剥ぎ取っていくではないか。
「なっ?! おまえら何をやっている! おい! あの者共を捕らえよ!」
泡を食ったライアンが叫んだが、警備兵たちは誰一人として動かない。召使いたちも同様。それどころか侮蔑もありありとライアンを睨む始末。ライアンの額に青筋が浮かんだ。
「ヴァイオレット! 貴様の差し金かぁ!!」
いきり立ったライアンだが、ヴァイオレットに飛びかかろうとしたところで背後から何者かに羽交い締めにされた。
「アレックス?! おまえ、何をやって」
ライアンに侍っていた宰相子息が眼鏡の奥の目を白黒させ、
「放せぇぇ!!」
ライアンは顔を真っ赤にしてジタバタと暴れた。が、拘束してくる相手が騎士では勝ち目はない。
「見苦しいですわよ。王族でしたら、いかなる状況でも毅然となさいませんと」
大広間の撤去作業は順調に進んでいる。絵画や彫刻はきちんと梱包され、先ほど大広間に入ってきた専用の荷台に積まれ、次々に運び出されていく。
「殿下はご存知なかったのかしら? あれらはすべて公爵家が王家に『貸し出した』物ですの。私が殿下の婚約者である期間限定で、ね?」
ライアンとの婚約は王家からの強い要請によって結ばれた。グローリア公爵家が望んだものではない。
ライアンには優秀な兄王子がいる。ライアンは兄と比べれば凡庸以下だ。能力を補う優秀な妃を、と王家がヴァイオレットに白羽の矢をたてたわけだ。
賢いヴァイオレットには、遊び呆けるライアンの代わりに自分が使い潰される未来がはっきりと想像できた。だから先手を打った。
国内外の貴族や商人が訪れる王宮は、その国の財力と権力を示す場と言っても過言ではない。王宮の見た目は、その国が栄えているか否かのバロメーター――それが信用を生みもするし、壊しもする。
だから、公爵家の財力をもって、入手困難な有名画家の絵画や彫刻、異国から仕入れた稀少な布地で仕立てたカーテンやテーブルクロス、一流の職人が手がけた調度品をタダで貸し与えた。その代わり、ヴァイオレットは王妃教育という名の「嫁いびり付無償奉仕」を限りなくゼロにさせたのである。
要は、特大の見栄を張らせてやる代わりに、己の自由を勝ち取ったのだ。
(まあ、そんなことまで教えませんけれど)
「私との婚約が破棄されたのですから、リース契約もただ今限りで終了ですわ」
「な?! そんなこと俺は聞いていないぞ!」
顔を真っ赤にするライアンに、ヴァイオレットは困ったように眉を下げてみせた。
「あら。別に隠していたわけではございませんのよ? ちゃんと契約書も交わしましたし、そちらに控えもあるはずですわ」
しれっと答えて、ヴァイオレットは再び「皆様」と招待客に呼びかけた。
「せっかくの夜会に水を差して申し訳ございませんでした。私はこれにて退出させていただきますが、どうぞ皆様は今宵をお楽しみくださいませ」
見惚れるような笑みを最後に、ヴァイオレットは優雅にドレスの裾を捌き、呆然とするライアンたちに背を向けた。
珍しやかな彩りを失った大広間は、大勢の招待客がひしめいているにも関わらず、どこかがらんとして空虚に見えた。
◆◆◆
今をときめくグローリア公爵家のタウンハウスは、もちろん王都の一等地にある。敷地は王宮に次ぐ広さで、四季の花彩る庭園の中には、遊技場や美術館、コンサートホールまで存在する。
婚約破棄の翌日、かの邸宅をさっそく訪れた者がいた。この国の第一王子カインである。
紫檀を思わせる上品な濃茶の髪と王族の証であるアメジストの瞳、柔和な顔立ちには弟と違って華やかさこそないが、代わりに落ち着いた大人のオーラを漂わせていた。
庭園の一角に席が設えられ、ややあってヴァイオレットが姿を現した。グレーのオフショルダードレスの上に羽織る、ゆったりとしたガウンは真夏の糸杉を思わせる深みのあるグリーン。総レース仕立てのため、重くなりすぎず、特にパゴダ風の袖を飾るエキゾチックな意匠には思わず目を奪われる。
「いらっしゃいませ、カイン殿下」
昨日の婚約破棄などなかったかのように、ヴァイオレットは曇りのない美しい笑みを浮かべた。
「このような格好で申し訳ございません。突然のご来訪でしたから」
なにせアポなしだ。謝ることで暗にそれを咎め、なおかつ、豪奢なリラックスウェアを見せつけたってバチは当たらないだろう。
それに、リラックスウェアといえど、ゆったりしたシルエットと透けるレース生地がゆえに、ヴァイオレットのプロポーションの良さが強調されている。自慢の黄金を溶かしたような艶やかな金髪も、敢えて結いあげずに蝶の髪留めで一ヶ所留めただけ――華奢な肩を流れ、豊満な胸を縁取る豊かな金糸が、退廃的な色香を匂わせていた。
「貴女が謝る必要はないさ。充分貴女は美しい」
「まぁ。ありがとうございます」
香り高い紅茶を薦め、ヴァイオレットも席についた。
「突然来てしまったことをまずは謝ろう」
口火を切ったのはカイン。ライアンと同じアメジストの瞳が、探るようにヴァイオレットを見つめた。
「貴女を訪ねたのは、他でもない。愚かな弟の代わりに私との婚約を承諾して欲しい。これは私の誠意だと思ってもらいたい」
カインがテーブルの上で開いたジュエリーボックスには、金の台座に大粒のエメラルドとダイヤモンドをあしらった豪華なネックレスが輝いていた。ヴァイオレットは猫のような瞳をパチリと瞬いた。
「まーぁ。こちらは?」
「国宝。通称『女神の涙』だ。受け取って欲しい」
国宝――つまり、この世に二つとないモノ。その稀少さは説明するまでもないだろう。
だが。
「カイン殿下、こちらは謹んでお返しいたしますわ。王宮の宝物庫にお納めくださいまし」
ツゥ、とヴァイオレットはジュエリーボックスを押し返したではないか。
「私には相応しくありませんもの」
瞬間、カインの表情が歪んだ。しかし、あくまでも一瞬。すぐに彼は元の柔らかな表情に戻った。
「失礼。相応しくない、とは?」
そして硬質な声で問うてきた。
「カイン殿下は、ノルヴス鉱山をご存知?」
「あ、ああ。ノルヴスと言えばハールバッハ帝国の南部にある地名だが……鉱山?」
カインの答えにヴァイオレットは「ええ」と艶やかに微笑んだ。
「つい先日の地震で、エメラルドの大鉱脈が発見されましたのよ? ご存知なかったかしら?」
ヴァイオレットが合図をすると、黒服の執事がカインが出したものとは別のジュエリーボックスを持ってきて、恭しくヴァイオレットに手渡した。
「こちらは公爵家で取り寄せ、加工したものですわ」
現れたのは、国宝と大きさはさほど変わらないものの、透明度と混じり気のない濃く深みのある緑色が美しいエメラルドだった。
「これは……」
カインはそれを食い入るように見つめた。
素晴らしい色味だ。そして国宝に負けず劣らず大きい。いや、むしろ並べるとその差は明らかで、国宝の方は色が薄くやや青みが強い。
カインのこめかみをツゥと汗が伝った。
「こちらの国宝は残念ながら、ランクダウンを免れないと思いますの」
『涙』と称される青みがかった色は、ネックレスが作られた当時は珍重され、もてはやされたのだろう。しかし、時が経つうちに評価基準が変わり、より緑色の石こそ良いとされ、青みがかった色のエメラルドの価値はすっかり下がってしまった。
「おそらく、そちらはエメラルドではなく、ベリル扱いになると思いますわ」
「なっっ!」
ベリルとは、エメラルドの中でも色が薄く青みや黄みが強く出た石全般を指す。身も蓋もない言い方をすれば、くず石だ。
また、国宝となり長い年月が経ったからか。石そのものは無事でも、台座や複雑な装飾には落としきれない汚れや細かな疵も見受けられた。
色を失うカインに、ヴァイオレットは慈母の笑みを向けた。
「ですが、当時最高の職人が手がけた宝飾品で、国宝として歴代王妃の胸に輝いた歴史は変わりませんわ。ですから、どうぞ大切にお持ちくださいませ」
『女神の涙』は、確かに大粒のエメラルドとダイヤモンドを贅沢にあしらった一点モノには違いない。国宝なのも間違いない。ただ、宝飾品としての価値が下がってしまった。それだけ。
結局、婚約の申し出はうやむやになって終わった。
◆◆◆
すっかり冷めてしまった紅茶を、ヴァイオレットの横に控えていた給仕が回収し、新しく淹れなおした。
「思った通りでしたわねぇ」
先ほどとは打って変わって、緊張を滲ませた表情で、ヴァイオレットはカップを持ち上げた。
抜け目のないカインなら、少々強引にでもヴァイオレットを手に入れようとすると思っていた。ヴァイオレットへの誠意に、あの『女神の涙』を使うことも。
(お母様にエメラルドを借りておいて良かったですわ)
ライアンをダシにしたリース契約は、ただヴァイオレットを自由にするだけのものではなかった。高価で稀少な品物を餌に、王宮内部へ公爵家の手の者を堂々と踏み込ませ、情報を得る、という目的もあったのだ。そのときちゃっかり、宝物庫の中も確認させておいて正解だった。あの中で持ち歩きやすく、かつ見た目が最も高価な品が『女神の涙』だったのだ。
おかげでカインの鼻っ柱をへし折り、撃退することができた。
優雅な仕草でカップを置いた彼女に、心得たとばかりに差し出されたのは厚い紙束。
各地から届けられた『日報』である。
ヴァイオレットが最も重視するものは、情報だ。カインを撃退したのだって、この日報でいち早く、エメラルド鉱山の情報を掴んでいたからに他ならない。
ただ、カインに見せたエメラルドは件の鉱山から出たものではなく、もともと公爵家が保有していたものだ。が、黙っていればわかりやしない。件の鉱山から採れるエメラルドはかなり上質らしいから、そのうち大きな石も出るだろう。そうしたら、ヴァイオレットの発言も真実になるから問題ない。実際に、大きな石が出たら手に入れるつもりだし。
細かな文字がびっしり書かれた日報だが、ヴァイオレットは隅から隅まで目を通す。カイン相手に匂わせていた退廃的な色香はなりを潜め、代わりに怜悧な女実業家らしい近寄りがたさが漂う。
「便箋を」
彼女が求めると、給仕が素早くテーブルを片付け、代わりに上等な便箋と羽根ペンを置く。ヴァイオレットは、それにサラサラと文字を書き連ねては、丁寧に折り畳む作業をくり返す。
いかに早く、正確な情報を得られるか――。
お金を稼ぐ上で、ヴァイオレットが最も重視していることである。
だから、お茶会が終われば、わざわざ部屋に戻って着替えたりせず、そのままテーブルで事務作業に明け暮れる。マナー違反だが、ヴァイオレットは自分の家でまで「無意味でくだらないお作法」に従う気はなかった。
「ところで」
紙束から顔を上げずに、ヴァイオレットは背後に問いかけた。
「アレックス様、あなたはいつまで給仕の格好をしているのかしら?」
パサリ、と紙束をテーブルに置いて、ヴァイオレットはくるりと振り返った。その顔は微笑んでこそいるが、目はまったく笑っていない。
「あなたは私の部下でも使用人でもありませんのよ?」
平然と給仕になりすましている青年は、アレックス・ヒューイ。ヒューイ辺境伯の次男で、紛れもなく高位貴族子息である……のだが。
「騎士団には戻りませんの?」
アレックスは近衛騎士で、王族の護衛を任されるほどに腕が立つ。若く、見目だって整っている。実際、ライアンの護衛をしていた。彼はエリートなのだ。
「ヴァイオレット様をお守りしたいと思いましたから」
つまり、辞めてきたということか。ヴァイオレットはため息をついて、眉間を揉んだ。
「金目の物に目がくらんで、外部の者をやすやすと王宮深部まで入れる職場より、ヴァイオレット様の元で働きたいと思ったまでです」
それは確かに……護衛をしている身なら由々しき問題ではあるけれど。
でも、王宮である。国の中心にあり守りも万全で、幸いなことに戦乱の時代でもない。ここ最近は、物騒な事件もない。それなのにこの男は高給と積み上げたキャリアを捨てたらしい。
まあ……つまり。そういうことだ。
「……この方をしかるべき所へお返ししてきて」
ヴァイオレットはにべもなく、今度は本物の部下に命じて、アレックスをつまみ出した。
ため息を吐く。
高給と誰もが羨むキャリアを捨てて。そうすれば、ヴァイオレットが夫にしてくれるとでも思ったのか。そんな脅しじみた献身など不快でしかない。
ヴァイオレットを欲しがる人間は多い。なにせ権力者の娘で美しく、金持ちなのだから。
(結婚こそが女の幸せ? 気に入らないわね)
ヴァイオレットが何より嫌いなのは、求婚者が押しつけてくる『当たり前』だ。
妻は夫に従順であるもの。
妻は政治に口出ししてはならない。
妻は家のために子を産み、血を継ぐことが役目。
ヴァイオレットは男のために自らを犠牲にする趣味はない。
(私の主はあくまでも私。他の誰でもなくてよ?)
ヴァイオレットが尊ぶのは己の自由。
張り巡らせた情報網と美貌を武器にスリリングな駆け引きを楽しみ、得たお金で宝石や絵画に骨董品などあらゆる美しい物を買い集め、そして……
「あら」
お行儀悪くも、生け垣の隙間を潜って現れた彼に、ヴァイオレットは打って変わって花が綻ぶように笑った。
「今日は構っていただけますの? 私の陛下」
どんな毛皮よりもフサフサで極上な手触りの尻尾を、まるで誘うようにゆらりと立てて、彼はジィとヴァイオレットを見上げ、シャナリ、と片脚を踏み出した。
「あらあら、大変ですわ」
ヴァイオレットはころころと声をたてて笑った。あくまでも、気まぐれな彼を驚かせないように密やかに。
「御髪が葉っぱまみれですわ。どうかこの下僕めにブラシをかけさせてくださいまし」
膝の上に飛び乗ってきた愛猫に蕩けるような笑みを浮かべて、ヴァイオレットはブラシ片手に見事な毛並みを愛でる。
ヴァイオレットの愛するものは、自由。スリリングな駆け引きに、美しい宝石や芸術品。それからこの高貴で気まぐれな彼のみなのである。