9. 情報収集は侍女の仕事です
侍女ユリア視点です
少し時を戻そう。
森へ出かけていた主人が帰ってきた事を、ユリアは、バタバタという激しい足音で気がついた。
そして、バルコニーから直接室内に駆け込んでくる気配にユリアは眉を顰めた。
(これは説教コース確定ですね。外から駆け込んでくるなんて、年頃の娘がはしたないと何度も注意してますのに)
ため息とともに刺しかけの刺繍を机に置くと、ユリアは主人の元に足を向けた。
硬い床材の上でも足音を立てない所作は流石である。
レイラと共にこの国へ来て4年。
レイラの破天荒な行動に振り回されつつも、いざという時に主人が馬鹿にされない様に、コツコツと侍女としてのスキルを磨いてきた。
幸いにも後宮は常に人手不足であり、主人のレイラは自分の事は自分でしてしまう。(なんなら、料理などはユリアよりも上手かった。屈辱である)
これ幸いと、空いた時間を「お手伝い」と称して色んな場所に入り込み勉強させてもらった。
無口で勤勉なユリアは使い勝手が良かったらしく重宝され、最近では正妃様の周辺にまで呼ばれる始末だ。
お陰で高級女官としての所作もしっかりと身につけさせていただいた。
それもこれも後ろ盾のない健気な主人の為。
ユリアはレイラとともに過ごすうちにすっかりと絆され、親バカならぬ主人バカへと進化ていた。
「レイラ様、おかえりなさいませ」
さて、説教後は再度マナー教室かな、と今後の予定を立てながらレイラの部屋に顔を出したユリアは、振り向いたレイラの顔を見て目を丸くした。
真っ赤な顔にうるんだ瞳。
泣き出す一歩手前のその顔は初めて見る表情だった。
「うえぇ〜〜ん、ユリア〜〜」
その上、まるで幼子の様に半泣きで抱きついてこられては、困惑も深まるばかりだ。
「どうされたのですか?レイラ様」
とりあえず、抱きとめた背をポンポンと叩きながら慰めて、ソファーへと誘導する。
「わかんないの。でも、なんだかムズムズして、じっとしてられないというか、どこかに閉じこもってしまいたいというか……」
両手で赤い顔を抑え身悶える様子に「どこかで見た様な?」と内心首を傾げ、すぐに思い出した。
井戸端ではしゃぐメイド達。若い女の子の話題といえば「誰が素敵だった」「最近あの人が気になるの〜〜」な、恋話がメインで、これも情報収集の一環と生暖かく聞いているのが常だった。
その彼女たちの表情と酷似していたのだ。
「今日、何かあったのですか?」
確か、今日は王宮の薬師の使いと薬草採取をしに行くと言っていたはず。
最近よくレイラの話に出てくる騎士の話を脳内で検索する。
真面目で誠実そうな模範的な騎士の様に聞いていたが、よもや不埒な行いでもしたのだろうか?
「うう……。別にいつも通りよ……いつも通りなんだけど……」
悶えるレイラの話を根気よく聞き、意味不明のところはうまく誘導し……、だんだんユリアの目が半眼に変化していく。
どうにも、愛だの恋だの一欠片も興味のなかった主人に春が訪れようとしていたらしい。
しかし、本人無自覚。
おまけに、多分、相手も無自覚。
高級女官のスキルとしては、主人の話を聞くのも仕事のうち。
さらには主人のとりとめない思考を、誘導して纏めて理解するのも大切なお仕事だ。
けど、なんだかそのスキルを磨いた事を、心の底から後悔したくなってきた。
主人ではあるけれど、時には姉の様な気持ちで接してきたレイラの「初恋」。
甘酸っぱい。
なんならこっちが悶えたくなるほど甘酸っぱく、恋と呼んでもいいのか迷うほど淡い想い。
一瞬迷ったユリアの脳裏を様々な思いがよぎる。
一応、仮にも「側妃」という立場ではあるけれど、現状真っ白どころか、もはや透明な存在のレイラである。
そして、今後も色がつく事は無いだろう。
最悪、王の崩御までこの生活が続くか、誰かに下げ渡されるか。
レイラの未来予想図としては、そんな所だと侍女でしかないユリアでもたやすく想像がついた。
16で近衛にまで上がった将来有望な騎士。
………大いに結構なのではないだろうか?
だがしかし。
「昨夜は遅くまで調合されていたから、暑気あたりでもされたのでしょう。お茶をお入れしますから、それを飲んで涼しくされてみてはいかがでしょうか?」
姉の様な柔らかな笑みを浮かべ、ユリアはとりあえず、結論からレイラの目を逸らせることにした。
まだ今は時期尚早。
ひとまず、大切な主人を任せられる人物か、見極めなくては。
そんなユリアは、ひとつ失念していたのだ。
時として、恋の芽は瞬く間に成長するものであり、相手あってのモノだという事を。
そして、大切な主人であるレイラは、時に驚くほど引きが良いトラブルメーカーである、という事。
「……どうしましょう」
ほんの少しだけ。
情報収集をするつもりで、混乱していたレイラをベッドに押し込んだ後、ユリアは行動を開始した。
レイラに聞いて知っているのは、名前と年齢、近衞騎士である事と後は瞳の色くらいだ。
近衞とは言え、怪我を負うほどには現場に出ているみたいだし、ほぼお飾りの高位貴族の子息ではなく、叩き上げの平民に近い存在だろうと楽観的に考えていた自分を殴りたい。
出てきた情報はとんでもなかった。
まさに藪をつついて蛇が出てきたと思ったら、その蛇がやけに長かった………みたいな。
(ダメだわ。私まで混乱してるみたい。落ち着かなきゃ)
空転する思考回路に気づいたレイラは、深呼吸を1つすると、情報を整理するためにも、先ほどまでの出来事をゆっくりと反芻した。
そもそも情報集まるのかしら?と思いながらも、いつもの井戸端恋話の輪に素知らぬ顔で混じり「気になる方を見つけたのだけど、どんな人かしらない?」と水を向けてみたのだ。
「近衞の制服姿で、確か「マリオン」と呼ばれていらっしゃったみたいなのだけど」
あくまでレイラの名は出さず、自分の事として聞いたユリアに、その場にいたみんなの注目が集まった。
突然、シンと静まりかえった場の空気に、ユリアは首を傾げる。
「みなさん、ご存じないですか?」
キョトンとした顔で重ねて尋ねるユリアに、ワッと場が湧いたのは次の瞬間だった。
「ユリア、すごい人に目をつけたわね!」
「今まで、話を聞くだけだったから、恋愛なんて興味ないんだと思ってたら、大物狙いだったの?!」
「待って待って。「どんな方?」って聞くくらいだから、知らずに恋しちゃったのよ!」
「え〜〜!それってすごくな〜い?!」
キャァキャアと頬を赤く染めて大騒ぎするみんなの様子に、ユリアの頬が引きつる。
どうにも、おかしな反応だ。
「え……と、有名な方、なのですか?」
少なくとも、ここで「マリオン」の名を聞いたことがなかったユリアは、そういえばそのこと自体が「おかしい」という事にようやく思い至った。
レイラの語る「マリオン」は若くして近衞に入った将来有望なエリートであり、恋の欲目を抜きにしても若い女性の気を引きそうな容姿をしていた。
すなわち、ここに集まる女性陣の「格好の的」というやつなのだ。
なのに……。
ツッ………と、背中を嫌な汗が伝っていく。
顔を見合わせるメイド仲間たちの楽しそうに細められた目が、さらにレイラの悪寒を増幅した。
嫌な予感しかしない。
どう考えても、厄介ごとの気配だ。
(聞きたくない)
しかし、心の底からそう思った次の瞬間には、爆弾は投下されていた。
「「「有名よ〜〜。なんてったって我が国の王子様ですもの!!」」」
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