4. 森林浴は健康によい……らしい
ヒーロー視点です。
「普段は面倒なことはやりたがらないくせに、興味があればこんな所まで来るのも平気とか、本当になんなんだよ、お前は」
マリオンの口から思わず零れた愚痴は、笑顔のフィリアスがきっちり拾い上げた。
「いやぁ〜、だって気になるだろ?人気の無い森の中を彷徨う正体不明の魔女。しかも効能確かな秘薬付き、とか」
ニコニコ楽しげなフィリアスの横に並んで足を踏み入れた森は、思っていたよりは歩きやすく居心地も良かった。
中に分け入るほどに人のざわめきも遠くなり、緑の匂いがより濃密に感じられた。
ともすれば、ここが王宮の敷地内だと忘れてしまいそうになる。
徹夜明けのいささか重たい体を引きずって、それでも1時間ほどは歩き回っただろうか。
くだんの魔女どころか、不意に足元に飛び出してきたウサギくらいしか生き物を見ることはなかった。
当然、他に人影もそれらしき痕跡も見つけることは出来ない。
「やっぱり、そうそう簡単に会えないよね〜」
少しがっかりしたような雰囲気を出しながらも、潔く切り上げの号令をかけたのはフィリアスだった。
まぁ、大方何も無い森の中をただ歩き回ることに飽きたのだろう。
痕跡すら見つけられなかった以上は、噂の域を出ない不審者情報で忙しい上官の時間を取ることも憚られて、結局マリオンは報告することができずにいた。
しかし、真面目ゆえに放って置く事も出来ず、仕事の合間をみては森を歩き回るのが日課となった。
最初にこの話を持ってきたフィリアスなど、最初の一回でなんとなく満足してしまったようで、その後は一回も付き合おうとしないという、なんとも理不尽な仕打ちにあったりもした。
もっとも、マリオンとて、2度3度と散策を重ねるうちに、森の中でお気に入りの休憩場所を見つけるなど、結構楽しんでいたりもしたのだが。
それが起こったのは当初の目的も薄れ、スッカリ森の散策がマリオンの息抜きの時間と化していた頃、だった。
その日は、初めて森に入った日と同じように夜勤明け、だった。
小規模の夜会があり、酔いの回った貴族たちの小競り合いを治めたり、王宮内に不審者が侵入したと呼び出され、夜の闇の中命懸けの鬼ごっこをしたりとなかなかスリリングな夜だった。
どうにか取り押さえたものの、下手を打って二の腕に一太刀浴びてしまい、マリオンはひっそりと落ち込んでいた。
侵入者ごときに遅れをとるとは情けない。
こんな事では王宮の平和を護れはしない。
まわりからは殺さずに捕まえた事を褒められたが、マリオンの気持ちは少しも晴れなかった。
もっと強くなりたい。
落ち込む気持ちを振り払うように、痛む腕を無視して日課の鍛錬をしていれば、直属の上司に帰宅命令を出されてしまった。
曰く「自分の体のケアをするのも仕事のうちだ。眠らず、手傷を負った今の状態で剣を振るっても身にはならん。サッサと帰って休め」
もっともな訓戒に、しかし若いマリオンの意地が素直に頷く事を良しとしなかった。
しかし、理性では理解していたので、素直に修練用の鉄剣を収め一礼してその場を去った。
その足で、森の中へと入り込んだのだ。
森の静けさが、この猛る心を鎮めてくれる事を願って。
マリオンが、いつの間にか決まっていた散策ルートを外れたのはなんとなくだった。
足の向くままに初めて通る場所をどんどん進んでいく。
獣道とすら呼べない様な場所をかき分ける様にして歩いていくうちに、小さな小川に行き当たった。
川幅はマリオンならまたぎ越せてしまえるのではないかと思えるほど細く、深さもさほど無さそうだ。
川というより、雨水の通り道と言った方が良いのかもしれない。
何気なく手の平で掬えば、ずいぶん冷たく澄んでいた。
マリオンの歩き通しで乾いた喉を涼やかに通り過ぎていく。
ほぅっとため息がこぼれた。
なんとなく張っていた肩の力がスッと抜けていくのを感じ、マリオンは苦笑した。
そうして冷静さを取り戻してみれば、自分がいつの間にか森のずいぶん奥深くまで来てしまっていたことに気付く。
「………困った。ココはどこら辺だろう」
つぶやきはとても気の抜けた響きを持って、森の中に消えていった。
空を見上げれば、梢の陰から見える太陽はいつの間にかほぼ中天に達している。
思っていたよりも長く歩き回っていた事にマリオンはもう1つため息をついた。
もう少しすれば、太陽の傾きで方角もわかるだろうと気楽に考えたマリオンは、何気なく小川を辿って川下へと歩き出した。
そうして幾つ目かの張り出した木の枝を避けるようにして進んだ時、突然鮮やかな黄金色の煌めきが目に飛び込んでくる。
思わず息を飲み踏みしめた足の下で川辺の砂利が大きな音を立てた。
その音に黄金が揺れ、綺麗な軌跡を描いて振り向いたのは1人の少女だった。
足元までを覆う黒いローブに美しい髪が緩やかな弧を描いてこぼれ落ちていた。
驚きに見開かれた大きな瞳は、春の野辺にひっそりと咲くスミレの花の色。
髪よりも少し濃い色の睫毛がその紫を縁取っていた。
少し小振りの唇は、警戒した様にきゅっと噛み締められ、その紅色を増していた。
森の妖精だと言われれば、思わず信じてしまいそうになる程、可憐で美しい少女だった。
思わず、息をするのも忘れて見とれるマリオンの視界の中で、少女はジリッと後ずさり、次の瞬間にはパッと踵を返して走り出してしまった。
そのあまりの素早さに、マリオンは追いかけるのも忘れて呆然と見送ってしまう。
走りながら少女がローブのフードを被ってしまったせいで、黄金は黒い布の中に隠されてしまった。
自分よりも随分と小柄な黒い影が木立に隠れて見えなくなってしまった頃、ようやく我に返ったマリオンはパチパチと瞬きをした。
時間にしたらほんの僅かな時だった。
あまりにもあっけなく消えてしまった姿に、少女は疲れたマリオンに森が見せた幻だったのでは無いかとすら思える。
だが、小川を飛び越え少女のいた場所に行ってみれば、湿った土の上、確かにあの少女が存在したのだという様に小さな足跡が残っていた。
そして……。
「コレは、薬草?」
残されていた籐のカゴの中に入っていたのは数種類の草の束だった。
専門外のマリオンには殆ど分からなかったが、その中に1つだけ見覚えがあるのに気付く。
痛み止めの作用がある薬草で、野営訓練の時、役に立つから覚える様にと先輩から昔教わっていたものと同じだった。
黒いローブにカゴいっぱいの薬草………。
「もしかして、彼女が噂の魔女、なのか?」
そう、つぶやいてマリオンは首を傾げる。
「魔女」というどこか暗い印象を受ける言葉とは正反対の様な可憐な少女だった。
マリオンはそっとカゴを持ち上げるとしげしげと眺めた。
手作りらしい少し形が歪んだそのカゴの中身は、少女の集めたものに間違い無いだろう。
驚かした為に逃げてしまったけれど、ここに置いておけば、そのうち取りに来るはずだ。
そう、わかっているのに何故か手放すことができず、マリオンはカゴを手に歩き出した。
「王宮の森の中にいた不審人物の証拠だ。これを持って帰って検分するのは、俺の仕事上、当然だよな……」
誰も聞いていない言い訳を口にしながら、マリオンは黙々と歩いた。
小川を辿っていけば、次第に広くなっていく川幅とともに、見知った風景の場所に出る。
それは、森のそばの水路の中へと流れ込んでいった。
思わず持ち帰ってきたものの、そのカゴをどうしていいのか分からず、マリオンはそのまま自室へと帰ることにした。
その間にも、脳裏に少女の顔がチラチラとよぎっていく。
その度に何故か激しい運動でもしたかの様に胸がドキドキと騒ぐのだが、朴念仁のマリオンにはその意味がわかるはずもなかった。
マリオン、18歳。
幼い頃より騎士を目指し、剣術一筋に生きて来た彼が、その胸の騒めきを遅い初恋だと気づくのは、もう少し後の事。
完全な一目惚れ、だった。
読んでくださり、ありがとうございました。
お医者様でも草津の湯でも〜、ってやつですね。
しかし、一目惚れって本当にあるのでしょうか?




