32. 再会の喜びと涙
その姿が目に飛び込んできたとき、レイラは頭の中が真っ白になった。
汗と泥に汚れすすけた服。
記憶の中よりも伸びた長い髪。
無精ひげに覆われた顔は蓄積した疲労で随分草臥れて見えた。
それでも、見た感じはひどい傷がある様子もない。
少なくとも、見えるところは一つも欠けることなくそろっているし、疲れた表情ではあるものの仲間に囲まれてほっとしたように笑っていた。
胸の奥から込み上げてくる激情を飲み込むように歯を食いしばり、最後の距離を駆け抜けるレイラをすれ違う人たちが驚いたように見ているけれど、そんな視線に頓着している余裕など、どこにもなかった。
(後、少し……。もうちょっと!)
息が苦しい。
久しぶりの全力ダッシュで胸が張り裂けそうだし、疲労のたまった足がもつれてしまいそうだった。
それでも、足を止めるなんて思いもつかなかった。
一分でも一秒でも速く、相手の元へとたどり着くことしか考えられなかった。
「マリオ――ン!!」
声が飛び出したのは、愛しい存在へ指先が届く二メートル前で。
「レイラ?!」
その声に驚いたように振り返ったマリオンの目が大きく見開かれる。
無意識のうちに広げられた腕の中に、レイラは飛びこんだ。
勢いに少しよろめいたものの、マリオンはその体を大切に抱きしめた。
「マリオン!どこにいたの?怪我は?どうやって戻ってきたの?」
「レイラ!なんでこんな所にいるんだ!?城で待っていると思っていたのに!?」
そうして顔を合わせた途端、同時に相手への質問が飛び出して、一瞬沈黙が生まれた。
「それはあなたが心配で、居ても立っても居られなくて」
「ケガはないよ。森にすむ人たちに助けられたんだ」
さらに同時に相手の質問に答えようとするものだから、声がぶつかって訳が分からなくなっている。
「二人とも落ち着け。すっごく見られてるぞ?」
今度は互いに「先にどうぞ」と譲り合いアワアワしている2人に、横から声がかかった。
「フィリアスさん!久しぶりです」
振り返った先にあきれ顔のフィリアスが立っていて、レイラはハッと我に返った。
「少し落ち着いてください、レイラ様」
そこに苦虫を噛み潰したかのような顔でユリアがゆっくりと歩いてくる。
レイラに声をかけにきたユリアは、走り出した主人に最初はどうにか着いて行こうと頑張っていたのだが、すぐに振り切られて置いてけぼりになってしまったのだ。
行き先は分かっていたので、その後は諦めて無理のない速度で向かったのだった。
「すでにマリオン様ご帰還の伝令が、前線の司令官迄走っています。戻ってこられる間に、身なりを整えて一息ついていた方が良いでしょう。どうぞ、お連れ様共々おいでください」
そして、出来る侍女の顔で次の行動を促す。
「レイラ様も、どうかその間に身だしなみと心を整えてください。ここから先は、医師助手ではなく元の立場へと戻っていただきますよ」
「はい!」
言外にしっかりしろと言われて、レイラは反射的にマリオンの腕から飛び出し背筋を伸ばした。
一人になったマリオンが、寂しそうに空っぽの腕をワキワキさせていたけれど、レイラは侍女モードになったユリアに逆らう事ができなかった。
その後、侍従に促されて連れ去られていくマリオンの背中を、寂しそうに見送るレイラをユリアがそっと押した。
「マリオン様はこれから、湯浴みをして身だしなみを整えた後、医師による診察が入ると思います。その後にお話しする時間は取れるので、用意して待ちましょう」
「……うん」
コクリと頷いて、レイラはギュッと自分の手を握り締めた。
「マリオン、温かかった。ちゃんと、生きて戻ってきてくれた」
指先に残る温もりを逃さないように、握りしめて呟くレイラの瞳は涙に揺らいでいた。
「はい。マリオン様もフィリアス様も、生きて戻られました」
そっとハンカチでその雫を吸い取ると、ユリアはレイラを優しく抱きしめた。
「レイラ様も、よく頑張られました。ユリアは、レイラ様の事を誇らしく思います」
「……ユリア」
優しい声に、レイラの頬を再び涙が伝う。
衝動的に城を飛び出して、こんなところまで来てしまった。
自身で探しに行く事など出来ないと分かっていても、少しでも近くにいたかった。
そんな短絡的な行動を諫めても、結局は共に居てくれたユリアの存在は、レイラにとって救いだった。
いや、今だけの話ではない。
誰も知る人がいない他国へ花嫁という名の人質へ出された時も、ユリアだけが自分から手をあげて付いてきてくれたのだ。
あの日からいつだって、ユリアはレイラの側にいた。
「ユリア、ありがとう。私、幸せだわ」
ポツリと腕の中で呟かれたことばに、ユリアは微笑んだ。
「何をおっしゃっているのですか。これから、もっともっと幸せになるに決まっているではないですか」
もう一度顔をあげさせて涙をぬぐうと、ユリアはレイラの手を引いて歩きだした。
「さぁ、レイラ様も湯浴みをして、綺麗にいたしましょう。久しぶりの恋人との再会なのですから、とびきり美しい姿をお見せしなければ」
「……うん!」
柔らかな手に促され、レイラは嬉しそうに頷いた。
その日、最前線の砦は旗印であった王子を取り戻し、喜びに沸いた。
少しやつれた感はあるものの、自身の足で堂々とまっすぐに立ち、急の不在を詫び戦線を維持してくれたことを労う姿に、集まった人々は歓声をあげる。
その隣には美しい金の巻き毛を結い上げて控え目な微笑みを浮かべるレイラの姿があった。
見慣れたエプロン姿ではなく美しく着飾ったレイラに、人々は驚きの声をあげたけれど、下働きの間から広がった恋物語は貴族たちの耳まで届いていて、そういう事だったのかと納得したような顔を見合わせて頷きあった。
そうして、尊い身でありながら、愛する人のために平民に身をやつし、こんなところまで来てしまったレイラの愛と献身の素晴らしさを称えたのだった。
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