31. 回復は一歩ずつ焦らずに
「傷の経過も順調だし、体内に残った毒物もあらかた解毒されたみたいだねぇ」
包帯を外して傷の様子を診ていたディアンは、薬をたっぷりと塗り付けた布を貼り付けると、満足そうにつぶやいた。
「もう、動いても良いってことですか?」
大人しく治療を受けていたマリオンが、パッと顔色を輝かせる。
「そうだね。とりあえず、部屋の中でゆっくり体を動かすところかな。毒の影響で体は弱ってるし、ずっとベッドの上だったからね。急に無理をしたら、また倒れちゃうよ?」
釘を刺されたマリオンはしょんぼりと肩を落とす。
「きっと心配されていると思うから、早く戻りたいんです」
襲撃の中姿を消したマリオンとフィリアスが、どのような扱いになっているか不安だった。
心配をかけているのは間違いないが、山の中にひっそりと暮らす少数民族の村から連絡を取る術はない。
マリオンの意識が戻ってすぐに、フィリアスだけでも仲間と合流して現状を伝えてほしいと願ったが、フィリアスは決して首を縦に振らなかった。
ディアンたちを信用していないわけではないが、村があるのは両国の狭間にある森の中だ。
マリオンたちが辿り着いたように、敵国の人間が偶然にたどり着かないとは限らない。
その際に、命を懸けてまでマリオンを守る義理は村人たちにはない。
この村でのマリオンたちの立場は、村の客人の好意で拾われた存在でしかない。
自分たちの立場を守るために負傷兵を差し出すことは、最も簡単で安全な方法だろう。
そんな不安定な状況に、満足に一人で動くこともできないマリオンを残していくなど、フィリアスにはできなかった。
せっかく助かった命を、再び危険にさらすわけにはいかないのだ。
「まぁ、ここまではなかなか情報が届かないし、気になるよね。かといって、戦時中に下手に様子を窺いに行ったら敵兵の斥侯だと勘違いされそうだしなぁ」
ちょっと困ったように肩を竦めるディアンに、マリオンも顔を俯かせた。
「私の身元を証明するものを持っていかせても、拾ったと言われたら反論できないでしょうし、手紙も、今の混乱時では私の筆跡をはっきりと判断できる者もいないでしょう。フィリアスが行ってくれたらいいけれど、本人が納得してくれないですし……」
頭が痛いというように顔をしかめるマリオンに最後の包帯を巻きつけたディアンは、慰めるように肩を叩く。
「まぁ、この調子なら後十日もすれば歩くのに支障はなくなるはずだ。その時は、心配だし僕もついていくから、ゆっくり帰ろう」
「はい。ありがとうございます」
励ましの言葉に礼を言って、マリオンはその日からゆっくりと体を動かし始めた。
最初は、ベッドの側に立ち上がる所から。
情けない事に、すぐに体がふらついて倒れそうになり、横に控えていたフィリアスを慌てさせた。
二人が思っている以上に、マリオンの体に入った毒の影響は大きく、少しでも無理をすれば回転性の眩暈が襲ってきた。
焦りは禁物と自分に言い聞かせて、苦い薬を飲みながらゆっくりと体を慣らしていくしかない。
まずは、ベッドサイドに立つところから。
1分間ふらつかずに立つ事ができるようになったら、次は慎重に壁まで歩く。
普通なら5歩も歩けば辿り着くはずの壁は、そのころのマリオンにとって途方もない距離に見えていた。
それでもめげることなく続ける事ができたのは、献身的に支えてくれるフィリアスと諦めずに探しているであろう仲間達、そして何よりもヤキモキしているであろうレイラの顔が脳裏に浮かんでいたからだった。
そうして、ついに小屋の周りを問題なく歩き回れるようになり、軽い素振りを始めたのは、ディアンの予想通り10日後の事だった。
「本当に先生も一緒に来るんですか?」
フィリアスが交渉の末、手持ちのナイフとマリオンの体から出てきた矢じりと交換で手に入れてきた食料入りの袋を手にマリオンは少し困ったように首を傾げた。
「うん。乗り掛かった舟だし、そのブレスレットをつくった子も気になるしねぇ」
そんなマリオンの困惑顔などどこ吹く風で、ディアンが笑顔で背中に背負ったリュックをゆすり上げた。中には愛用の道具が詰まっている。
「イイダシたら、ヒカない。止めるだけムダ」
どこかあきらめたような瞳でつぶやくベックもまた旅装に身を包んでいる。
マリオンにはどういう契約になっているのかは分からないが、ディアンの護衛をしているベックも、共に行く事になっていた。
「まあ、正直森に慣れているベックがいっしょに来てくれるのはかなりありがたい。俺たちだけならただ川を辿るしかなかったから」
やみくもに川を流されてきたフィリアスは、現在地がどこなのか認識していなかった。
とりあえず大まかな方角を見ながら、川の流れを辿っていこうと考えていたのだ。
マリオンの看病をしながらも、どうにか村人から情報を得ようと努力はしていたのだが、警戒心の強い村人は、そもそも近くに寄ろうとすると逃げて行ってしまう。
よそ者の自覚があるフィリアスも、無理に追いかけ回してこれ以上立場を危うくすることもできず早々に諦めた。
そもそもディアンやベックにも質問したのだが、村の正確な位置を教える事は掟に反すると口をつぐんでしまう。
村長にかけあって物々交換で革袋や食料を分けてもらえただけでも僥倖だったのだ。
森の中で質のいい鉄製品は貴重だったようで、フィリアスのナイフはもちろん、マリオンの体内から取り出した矢じりも良い取引材料となった。
「場所を教える事はできないけど、僕が一緒に出ていく分には問題ないからね」
ニヤリと笑いながら歩き出したディアンを、マリオンは慌てて追いかけた。
「でも我らのせいでディアン殿の立場が悪くなるのではないかと思うと……」
「僕の立場?」
眉を下げるマリオンに、ディアンはきょとんとした顔で首を傾げた。
「ディアン、すきなトキ村に来て、すきなトキ村をさる」
見つめあう二人の横を、ベックがさっさと通り過ぎ、先に立つ。
「ミンナ気にしない。いつものこと」
「だね。礼の薬はたっぷり置いてきたし、問題ないよ。あ、でも戻るときに適当な手土産を持たせてもらえたら格好着くかな?」
うんうん頷くディアンに、マリオンは肩の力を抜いた。
「命の礼もある。私に手に入れられる物なら、何でも用意しよう」
「だってさ。ベック君、なんかおねだりするもの考えておこう」
生真面目な表情のマリオンに対して、ディアンの反応はあくまでも軽い。
それに振り返りもせずに小さく鼻を鳴らすベックも相当だが……。
「行こう。みんなが待ってるはずだ」
「……ああ」
フィリアスに軽く肩を叩いて促され、マリオンは小さく頷くと足を踏み出した。
(今から帰るよ、レイラ。待っててくれ)
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