30. 一人じゃないから大丈夫
「レイラ様!いらっしゃいますか!?」
悲鳴のような声と共に飛び込んできたユリアに、調薬室で薬草を計っていたレイラの手元が驚きでぶれ、辺りに粉末をまき散らしてしまう。
「ユリア、脅かさないでよ!せっかくの薬が台無しになる所だったじゃない」
「それどころではないんです!」
頬を膨らますレイラの手を、ユリアが強い力で引っ張った。
「ちょっと、どうしたっていうのよ?」
ユリアらしくない乱暴な仕草に、グイグイと引っ張られて歩かされながらもレイラは眉をひそめる。
「帰ってこられたんです!」
そんなレイラの様子に気づく余裕もなく、ユリアは半ば走り出しそうな速度で進んでいく。
「帰って来たって、だれが?」
「マリオン様が、帰ってこられます!!」
首を傾げたレイラは、ユリアの返事を聞いた瞬間、引っ張られる力を追い越して走りだした。
マリオンが行方不明になってからすでに一月以上が経つ。
マリオンが行方不明になって、マリオンを慕う一部の部下たち主導で、少人数での捜索はすぐさま出されていた。
すぐに見つけ出せるのではないかという希望は、すぐに消えた。マリオンたちが落ちたと思われる川は、森に入ったところでいくつもの支流に分れていたのだ。
何処に流されたか不明な以上、ひとつずつ潰して行くしかない。
しかし、夜半の襲撃で受けた大打撃を立て直すのに時間がかかり、本格的に捜索を始める事ができたのはレイラたちが前線へ辿り着いた頃だった。
しかも、最後のあがきとでも言うように、敵国の攻撃は日々激しさを増しており、なかなかそちらばかりに人手を割くわけにもいかないのが現状である。
結局、捜索は思うように進まず、手がかりすらも見つけられぬまま時間だけが過ぎていった。
もう駄目なのではないかという絶望の色が日々濃くなっていく中、レイラは、やみくもに飛び出していきたい気持ちを患者に向ける事で必死に抑えていた。
それでも、ふとした瞬間、叫びだしたいような焦燥感に襲われる事がある。
押し寄せてくる焦燥感を封じるように、レイラはただじっと空を見上げた。
共に過ごすことの多いユリアは、その見上げる方向がマリオンが消えた森の方向だという事に気づいて、ただ俯く事しかできなかった。
安易な気休めを口にする気にはならなかった。
何を言っても、むなしさと悲しみが募るだけのような気がしたからだ。
ただ無言のまま側に寄り添う。
そんなユリアに、レイラは少し困ったような顔で笑うと、自分を鼓舞するようにほほを一つ叩き、再び患者へと向き合う。
無理を言ってこんな場所まで来てしまった以上、泣いて蹲っているわけにはいかない。
マリオンに再会した時に、胸を張っていられる自分でいたいと、それだけを心の支えに日々を過ごしていたのだ。
そんなレイラの姿を見ていたのは、ユリアだけではなかった。
医療団の中でも、レイラは少し異質の存在だった。
まだ年若い少女のように見えるのに、薬草の知識は一人前。
大声で指示を飛ばしては自分自身も走り回り、誰にでも気さくに声をかけ、汚れ仕事も率先して動く。
それでいて、ふとした仕草に平民ではありえない美しい所作が混じり、髪や肌は艶やかで傷一つなく美しい。
どこかの高貴な血筋のご落胤か貴族の娘が、傷ついた兵士に同情して、奉仕活動に飛び出してきたのではないかというのが、周囲のひそかな話題だった。
「お嬢様の気まぐれでも、文句ひとつ言わず誰よりも働いているんだから、大したもんだ」
最初は警戒していた周囲も、すぐにレイラの存在を受け入れ、仲間の一人と認めていた。
そんなレイラが、沈んだ顔で空を見上げる姿は、人々の興味をそそった。
けれど、深刻な様子になかなか声をかける勇者は現れず、ヤキモキしつつも見守る日々。
そんな、一種の膠着状態を破ったのは、砦に着いた日に怪我人を集めたテントの前で固まっていた青年医師だった。
「あの、レイラさん。少しいいですか?!」
人気のない裏庭でぼんやりとしていたレイラは、突然声をかけられてきょとんと眼を瞬いた。
菫色の瞳にまっすぐ見つめられて、少し怯みながらも、青年はどうにかその場に踏みとどまって言葉を探すように声を絞りだす。
「あ……あの!何か困っていることがあるなら……。僕じゃ頼りにならないかも、だけど……。話聞くくらいはできるし、あの……、えっと……。僕は話を聞いてもらって、すごく楽になった……、から………」
でも言葉にするごとに、自分が図々しい人間に思えてきて、その声はどんどん小さくなっていく。
医師を目指していた青年は、学校では優秀な成績を修め、将来有望だともてはやされていた。
それゆえにおごり高ぶり、理由のない全能感に突き動かされるまま、止める手を振り切って最前線までやって来た。
そして、見事に鼻っ柱を叩き折られたのだ。
心が折れかけた瞬間に飛び込んできたレイラの行動に心を奪われ、医師を目指した幼い頃の気持ちを思い出した。
そして、初心に戻って目の前の患者に向き合い、分からない事は素直に年長者に師事した。
そうして同じ時間を過ごすうちに、いつの間にか平民も貴族も関係なく、みんなの輪に溶け込んでいることに気がついた。
その輪の中心にいたのはレイラで、レイラがいたからこそ、その場の空気が柔らかく一つになっていると感じた青年は、明らかに自分より年下の少女を素直に尊敬し感謝していた。
その恩人が浮かない顔をしているのに気がついた時、おこがましいと思いつつも、少しでも力になれないかと思い切って声をかけた次第だった。
「あ……、やっぱり僕なんかじゃ話しづらいよね……。あの、老師とか……なら……」
だけど、振り絞ったはずの勇気はあっという間に尽きてしまったようで、青年は徐々に俯いてしまう。
「そんなこと、ないです。心配して、声をかけてくれて、ありがとう」
レイラは、急いで声を返すと、ほんの少し笑みを浮かべた。
「私、本当はここに来ること、反対されてたんです。でも、大切な人が行方不明になったって聞いて、居ても立っても居られなくて……。我がまま言って、無理やり来ちゃったんです」
迷うように視線を揺らしながら、レイラはぽつぽつと語りだした。
「ちゃんと役に立つからって、無理言ってここまで来たくせに……。どうしても彼の事が気になって気もそぞろになって……情けないですよね」
「そ……、そんなこと……」
いつでも真っ直ぐに前を見て、みんなを励ましていた菫色の瞳に、うっすらと水の膜が張るのを見つけてしまった青年は驚き過ぎて言葉に詰まる。
それでも、何とか声を振り絞ろうとした時、背後から複数の声が上がった。
「そんなこと、あるもんかい!」
「そうよ!レイラちゃんはいつだって一生懸命だったじゃないか!!」
茂みの中から、建物の陰から次々と人影が飛び出してくる。
それは、共に治療にあたっていた仲間達だった。
医師や看護人の他にも、下働きのおばちゃんや力仕事を請け負ってくれていた退役兵の爺ちゃんまでいた。
みんな、日に日に元気のなくなるレイラを心配していた面々で、何かを決意したような顔でレイラの後を追った青年医師に気がついて、それぞれにこっそりと後をつけて物陰に潜んでいたのだ。
「あたしだって、一緒だよ!あたしの旦那も兵士として、あっちにいるんだ。いつここに運び込まれてくるかって、毎日不安でしょうがないよ」
「そうよ。私はここの人間だけど、レイラちゃんはそうじゃないだろう?安全な場所から、その彼のためにこんなところまで来ちゃったんだから、すごいよ!」
「そうそう。旦那冥利に尽きるってもんだね!」
そして、泣きそうな様子のレイラにたまらず飛び出してきた面々は、口々に言いたい事を言いつのる。
突然飛び出してきた複数の人間に詰め寄られて、驚きのあまり目を丸くしていたレイラは、なんだか胸の奥から熱い思いがこみ上げてきた。
薬師としての仕事は、この場所に来るための理由だった。
だけど、来た以上はきちんと働こうと思ったのは、傷ついた人を癒したいと思う薬師の本能のようなものだった。
「……私、不安を誤魔化すために、みんなと向き合ってたのに……」
それでも思わずネガティブな言葉がもれるのは、レイラ自身が始まりが不純な動機だと感じているからだ。
「それの何が悪いんだい」
だけど、その言葉はあっさりと遮られた。
「レイラちゃんは、怪我人相手してるときは、きちんとその人だけ見てたじゃないか」
「そうそう。うちらはお医者さんじゃないからね。何の薬なのか、何の治療してるのかなんてなんも分かんないよ。でも、どんな仕事だって半端なことしてたら雰囲気で分かるもんだ。バカにするんじゃないよ」
「ワシらはレイラちゃんが頑張ってるのをちゃんと知っとるからな」
胸を張る面々に、気がつけばレイラの頬を涙がぽろぽろと伝わっていた。
「こんなにレイラちゃんが頑張ってるんだもん。きっとその彼だって大丈夫だよぅ」
「そうそう!神様はちゃんと見てるさ!」
慌てたように駆け寄ってきたおばちゃんが首にかけていた手ぬぐいでレイラの涙をぬぐい、もう一人が肩を抱いて励ましている。
流れるような連係プレイに、いつの間にか輪の外にはじき出された青年の肩を、老医師が慰めるようにポンポンと叩いた。
「まぁ、最初のきっかけを作った勇気は表彰もんじゃ」
「ハハハ……」
乾いた笑いをあげながらも、青年は涙をこぼしながらも微笑んでいるレイラにほっと肩を撫で下ろすのだった。
その一幕の後、レイラは休憩時間には女性陣に囲まれることが増えた。
いくつになっても、女性は恋話が好きなものなのだ。
しかも、主人公はとびきりの美少女で、身分を隠して危険な戦場まで相手を追いかけてくるというドラマティックな物語。
盛り上がらないわけがないのである。
レイラも、さすがに相手の正体を話すわけにもいかないけれど、聞き上手のおばちゃん集団にちょこちょことなれそめなどをオブラートに包みながらも漏らしてしまったのはしょうがない事だった。
やがて、その物語はほんの少しの脚色を加えながらも素敵な恋物語として広がっていくのであった。
お読みくださり、ありがとうございました。




