27. 救いの手はギリギリに訪れるものだ
ちょっと具合悪くて寝込んでて、いつもの時間に遅れてしまいました
寒さで強張る体を奮い立たせて、フィリアスはマリオンの背後から腕を回し抱えるようにして引きずり始めた。
本当なら背負えればよかったのだろうが、そうするにはフィリアスも消耗し過ぎていた。
状況が許すのならば、フィリアスとて、そのまま倒れ込んでしまいたいほどだったのだ。
だけど、その誘惑に負けてしまえば、自分はともかくマリオンの命は途絶えてしまうだろう。
できるだけ乾いた場所で。
そして、隠れられる場所へ………..。
震える足を叱咤して、霞む視界で一歩、また一歩と進んでいく。
ようやく川岸にある茂みの下へと体を潜り込ませ、フィリアスは、大きく息をついた。
そして、改めてマリオンの様子を観察する。
ぐったりと目を閉じたまま意識の戻らないマリオンの肩と脇腹あたりには、いまだ矢が突き立ったままになっていた。
抜くか、そのままにするか…………。
水に溶けたのもあるだろうが、出血はそれほど多くはない。
それなのに、意識がなく、体が燃えるように熱いのは、おそらく矢尻に毒が塗られていたのだろう。
予想外の夜襲に、なんの装備もなく飛び出してしまったことが悔やまれる。
とはいえ、せいぜい一般的な毒消と傷薬程度を持っていたからといって、なんの役にも立たなかったかもしれないが………。
迷ったのは一瞬だった。
どれほど流されたのかも曖昧で、ここがどこかも分からない。
人里に無事辿り着けたとしても、それが味方とは限らない。
はっきり言って状況は絶望的ではあるけれど、だからと言って、ただ指を咥えて友人が死神に連れ去られるのを見ていることはできない。
どうせ、何もしなければ取られてしまう命なら、できるだけのことをして足掻こう。
マリオンを追って飛び込んだ時に、剣は投げ捨ててしまった。
かろうじて、腰に装備していたベルト付きの小刀が、激流にも流されることなく残っていたのは幸いだった。
フィリアスは、慎重にマリオンの服を脱がせると、矢尻の根元へとその刃を向けた。
「耐えろよ、マリオン」
ふと思いついて、脱がした服の端をその口へと押し込み、ぐったりと脱力した体へとまたがった。
反射で暴れられて、傷を広げるわけにはいかない。
集中するように大きく息をつくと、フィリアスは、矢尻を抉るように刃を突き立てた。
そうして、傷口を広げ、矢を抜き出す。
もう一本の矢も同じように抜くと、溢れる血を止血することなくしばらくそもまま流すに任せる………というか、むしろ助長するように傷口を押して血をあふれさせた。
幸い意識を失ったマリオンが暴れることはなく、しばらくそうした後、フィリアスは、今度は強く服で傷口を押さえて止血した。さらに、自分の服を引き裂いて作った簡易の包帯で、傷口をぐるりと縛る。
フィリアスは、どれくらい効果があるかは分からないと思いながらも、少しでも体内に入った毒を外に出そうとしたのだった。
「…‥冬じゃなかったのが、せめてもの救いだな………」
フィリアスは小さくつぶやくと、疲れ切った身体を木の幹にもたれかけ、未だ意識の戻らないマリオンの体を引き寄せた。
地面に寝かせるのとどちらがマシだろうと思いながらも、燃えるように熱いのに、ガタガタと震える身体をぎゅっと抱きしめる。
本当なら、火を熾して濡れた服を乾かし身体を温めたい。
だけど、火をつける道具もなく、一から火を熾すには、フィリアスの体も限界だった。
「少し……だけ。きゅーけぃ……」
自分に言い聞かすようにつぶやくと、フィリアスは意識を飛ばした。
けれど、大切にマリオンを抱えた腕から、力が抜けることはなかった。
ジャリッ、と川辺の砂利の鳴る音で、フィリアスは微睡から覚醒した。
明らかに、人の足音、だった。
そっと音がしないように、抱き止めていたマリオンの体を地面に横たえ、軋む体に鞭を打って背後へと隠す。
低木の影から息を潜めつつ、音の鳴る方を睨みつける。
敵か?味方か?
そろりと茂みを掻き分け、目を凝らすと、中肉中背の男性が、こちらに背を向けて水を汲んでいた。
(こんなところに、人が………?)
短刀……というか、ナタのようなものを腰に差しているが、それ以外に武器を持っている様子はない。
体つきも武人という感じでもない。
(どうする……?)
一か八か、助けを求めるか………。
フィリアスは、チラリと背後に寝かせたマリオンを見た。
今は顔の赤みはひいているけれど、顔色は青く、息は細い。
素人目から見ても、悪化しているようにしか見えなかった。
(迷ってる、暇なんてない………か)
フィリアスは覚悟を決めると、ナイフを腰のケースへと戻して、わざとガサガサと音を立てて茂みの中から、姿を現した。
敵意がないことを示すために両掌を肩の位置まで上げ、無手であることをアピールする。
水を汲んでいた男が、手を止めて、ゆっくりと振り返る。
フィリアスの姿を見て、驚いたように大きく見開かれた目が、パチリと1つ瞬いた。
「血の匂いがすると思ったけど、意外と元気そうだな」
ボソリと呟かれた声は小さく聞き取り辛かったが、確かに母国語である事に気づき、フィリアスは一縷の希望を持つ。
「友が怪我をしている。助けて欲しい」
懇願の響きに、目前の男が何か言おうと口を開きかけた時、だった。
「おマエたちを助けて、コチラにナンノ利がアル?」
少し訛りのある低い声が、フィリアスの耳元で囁かれる。
予想外のところから響いた声に、フィリアスの目が驚きに見開かれる。
いつの間に背後に立たれたのか、少しも気づかなかった。
「ウゴクナ」
ピクリと体を震わせたフィリアスの動きを制するように、スッと首元に細身のナイフが添えられた。
「なんでもする。国に戻れば、どんなものでも用意できる。
頼む、友を助けてくれ」
「はっ!おマエたちのカネなど、ここではナンノイミもない」
言われた通り、ナイフを突きつけられたまま、フィリアスはもう一度懇願するが、背後からの声はにべもない。
「まぁまぁ、ベック君。素直に自分から出てきてくれたんだし、そんな一方的に切り捨てちゃダメでしょ」
取り付く島もない対応に、フィリアスが唇を噛み締めた時、水を汲んでいた男が、軽い調子で声をかけながら近づいてきた。
「そこに怪我人いるんでしょ?み〜せ〜て」
「もうムシのイキだ」
耳元では嫌そうな声が響くけれど、男は頓着ない様子で、フィリアスの横を通り抜け、茂みへと顔を突っ込んだ。
そのまま、茂みの中へ潜り込んでいく男を横目で見送っていると、フゥ、とため息がつかれた。
「スコシでもヘンナコトしたら、コロス」
スッと喉元に添えられたナイフが引っ込められ、背後の人の気配が消えた。
瞬間、踵を返したフィリアスは、男の後を追い、マリオンの元へと駆け寄った。
そこでは、男が慣れた仕草で意識のないマリオンの顔を覗き込み、瞼を捲り、フィリアスが施した応急処置を解いていた所だった。
「矢尻に毒でも仕込まれたかな?」
振り返った男の目が淡い紫であることに、フィリアスはその時初めて気づいた。
「川を流れてきたおかげで体が冷やされて毒が回るのを防いだみたいだねぇ。その後、抉って血を流したのはいい判断だ」
ニッコリ笑った男が、立ち上がった。
「ベック君、連れて帰るから手伝って」
そうして、立ち尽くすフィリアスの背後に向かって声をかける。
「ナゼ」
明らかに嫌そうな声が、再びフィリアスの背後で響いた。
「イヤァ〜、僕だってこんな明らかに厄介事を背負ってそうな患者、お断りしたいんだけどさぁ」
困ったように男が、ポリポリとこめかみを人差し指で掻いた。
「ではホオッテおけ」
冷たい声に、男はひょいと肩をすくめると、再びマリオンの側にしゃがみ込むと、意識のないマリオンの手を無造作に掴んで掲げてみせた。
「どうも一族の縁者みたいなんだもん。手作りの守り紐着けてる。こんなもの持ってる患者、何もせずに見捨てたら祖霊に祟られちゃうよ」
そこには紫の石が編み込まれた組紐がしっかりと結び付けられていた。
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