本音と建て前
家が震え窓が涙を流す。僕は吹雪の吹き荒れる今晩が一段と美しく感じていた。外の寒さは家の中にまで伝わり、暖を取るため火を起こした。木製のロッキングチェアに腰を掛け、僕は暖炉の前で本を読む。昔から好いている童話の本だ。モチーフがこのあたりの地方であることから親しみを感じ、愛読している。内容としては悪人が最後、魔法の力で醜い蜘蛛にさせられるという教訓じみた童話となっている。至極平凡な物語だった。それでも、この物語に出てくる浜辺は美しく描かれている。モチーフとなった、この近辺の浜辺よりも数段魅力的だった。
暖炉の温かさが僕の足元から入ってくる。少しずつ、眠気が強くなってきていた。僕は本を読む手を止めベッドに向かうことにした。
ベッドの外は異様なまで寒いのに、ベッドの中は至福と感じるほど暖かい。全身の筋肉を脱力させ深呼吸をする。リラックスした無防備な体に、一段と強い睡魔が入り込んでくる。
睡眠へと誘われているように感じるほどだった。
気づくと、からりと乾いた風が僕の体を覆いつくしていた。突然吹き出したかのように、もともと吹いていたかのように。辺りには草原が一面を覆いつくしている。前方には小さい丘の上に、古い石造りの邸宅が聳え立っているのが見えた。その邸宅は年月を感じさせる代物だ。玄関ドアには色鮮やかに彩る様々な花々が飾られている。既視感を感じさせるこの家は間違いなく僕の祖母の家であった。しかし、祖母の家は祖母が亡くなった数年後に取り壊されている。疑問が頭をよぎるとともに、直感的に夢の中であることを理解した。
これは初めての経験だ。いつもは夢の中でも、「これは夢だ」と自覚できたこともないのに。とはいえ自覚できたからと言って何か特別なことがああるわけではないが。
そんなことを考えながら、僕は祖母の家が建つ丘の上まで歩き出した。祖母の家は田舎の方にあり、静かな地域だった。整備されていない轍に足を踏み入れた。僕は自然と祖母の家へ向かっている。その時だった。突然後ろから声を掛けられた。
「よっ」
聞いたことのあるこえだが少し違う。それでいて嫌いな声でもあった。
振り返ると、そこには自分と同じ容姿をした人間が立っていた。
驚きはなかった。まるでここで会うことが分かっていたかのような感じな気がした。
「少し歩こうぜ」
「うん」
普段僕が使わないような口調だった。心のどこかで嫌っている人間のイメージ。しかし、僕のそっけない返事に対してもう一人の僕は目を細め、絵にかいたような笑顔を見せてくれた。そこまで悪い人間ではないのかもしれない。
「なぁ、ここがどこだか知ってるか?」
「えっと...おばあちゃんの家」
「ちげぇよ」
少し自慢げにに答えてきた。
「ここはなぁ、お前の思う『思い出』の景色だ。まぁ、言っちゃぁなんだがここはお前の記憶が創り出した夢だ」
「うん。何となく気づいたよ」
「そうか」
草木の生い茂る轍を二人で歩み続ける。祖母の家も、もう小さく見えるほどだ。
「お前、将来の夢はあるか?」
言葉に詰まる。
「...いや...今はまだない」
「バカだなぁ。お前はもうなりたいもの、いや...やりたいことを自覚しているはずだ」
「どういう意味?」
言葉の意味が理解できなかった。もう一人の俺は鼻でフッと笑いまっすぐに歩き続ける。沈黙が続いた後、もう一人の僕が口を開く。
「蜘蛛だ」
見ると前方に一匹の蜘蛛が止まっている。もう一人の僕はこれを躊躇せず踏みつぶそうとした。蜘蛛は避けようと必死で動いたが足を一本ちぎられた。
「チッ」
今度は勢いをつけて確実に踏みつぶす。
心が熱くなる。
もう一人の僕は何事もなかったかのように話を続ける。
「もう少しで着くぞ」
「どこ向かってるの?」
もう一人の僕はクスリと笑い、「つけきゃ、わかる」としか言ってくれなかった。しばらくの沈黙の後、道の開けた場所についた。
「着いたぞ。好きだろこの場所」
見ると浜辺に来ていた。一目でわかる。あの本だ。あの本の中の景色が目の前にある。夕暮れ時の日の光が海に反射して赫く輝いている。遠くから聞こえる波の音が朝風とともにやってくる。砂浜には白い砂粒が敷き詰められ、日の光に照らされ天然の宝石のようだった。本で読んだ内容のままであり、頭の中で想像していたよりも何倍もの美しさを持っている。
「あぁ、大好きだ」
「なぁ、あれ見ろよ。右にある丘の上」
そういうと、もう一人の僕は右の方を指さした。見るとそこには、白馬に乗った人物、その周りには鎧で身を包み剣を携えている人間が複数の女性を連行している。一人の女性が振り払うそぶりを見せたとき、周りにいた兵士たちが即座に斬りかかった。
「え...あの...い、今のは?」
「あれは、お前の記憶が創り出した人間」
「誰?」
「チンギス・ハーン」
「なんで?どういう事?」
僕の頭にはたくさんの疑問がわいてくる。言葉にしたい思いがたくさんあるが、うまく言語化できない思い。しかし、もう一人の僕は見透かしたような表情で僕の目を見てくる。
「いったろ。これはお前の中にある『思い出』が夢となって現れているんだって」
「思い出...。僕はあんな景色を見たことはないし、思い出として印象的でもなかったよ」
「あぁ、そうだな。でも、お前の本心はどうだ。そう思っていないんだろう。だから思い出となって現れてる」
「一つ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「あの女性たちは何なの?」
「捕まったんだろ」
「どうなるの」
「そんぐらい分かんだろ」
僕の中で、よくない想像が僕の思いを駆り立てる。僕の心をまた一段と熱くさせた。
日がかなり傾き始めあたりはだんだんと暗くなる。風が強まり、波が少し高くなる。
「そろそろか」
もう一人の僕は寂しそうにつぶやき、意思を強く持ったような口ぶりで話してきた。
「気づいてんだろ...もう。俺はなぁ、自分のやりたいことをやってほしい。社会とか道徳とかそういうしがらみにとらわれるのはやめろ。
まぁ、こんなこと言ってもどうせ、起きたら忘れるんだろうけど」
「・・・」
「自分に素直になれって。常識とか理性とか、そういうのにとらわれてたら見えるもんも見えないぜ」
僕は黙ってうなずく。もう、あたりの景色がぼやけてきている。聞きなれたアラーム音が遠くから聞こえてくるように感じる。
あぁ、もう起きる時間か。
そう心の中で思うのと同時に勢いよく海の波が押し寄せてきた。僕たちの体を隠すくらいの多くな波だ。
気づくと、僕はベッドで横になっていた。耳元のアラームが現実であることを理解せてくる。
「はぁ、だりぃ」
本音は案外自分では気が付かない物です。
PS,チンギス・ハーンをここで登場させたのは、彼の生涯はまさに暴君その者。女を喰い、逆らうものはみな殺す。これが彼の大雑把な人間性です。この欲にまみれた生き方を主人公の男は心のどこかで憧れていたのかもしれませんね。