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公妾/maîtresse royales  作者: 水上栞
◆ 第二章 大老の庇護の下、蕾から大輪の花へ
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第二話/ 深き森の中の、美しき要塞



 シャオ大老からの迎えの馬車は、それから半月後にやってきた。娼婦たちも、使用人も、いつもは寝ている朝の早い時間にも関わらず、全員でラウラを見送ってくれた。



「おチビ、元気でな。そのうちリンと二人で会いに行くからな」



 強面を涙でぐしゃぐしゃにしながら、ロッカが名残惜しそうにラウラの頭を撫でる。情に厚いこの男は、いつもラウラをかわいがってくれた。



「ロッカも元気でね。お酒を飲み過ぎちゃだめよ」



 ラウラは精いっぱいの明るい笑顔を浮かべてそう言うと、マダムに向き直り深々とお辞儀をした。



「私、黒蝶館で暮らせて幸せでした。私をここに連れてきてくれてありがとう、マダム」



 そして辛抱たまらず、マダムの腰に抱きついた。嗅ぎ慣れた甘い香りを、忘れないように胸いっぱいに吸い込む。



「体に気をつけて、しっかりおやり」



 マダムはラウラをぎゅっと抱きしめて、馬車へと送り出してくれた。これから行く場所はこの国の東の果て。馬車で3日かかる距離だ。今度会えるのは、いつになるのか。



「みんな、元気でね。また、会いましょう」




 こうしてラウラは、娼館の小間使いからシャオ大老の養女となった。馬車が動き出し、黒蝶館の糸杉が見えなくなると、世界に一人ぼっちになったような気がしたが、人買いの荷馬車で運ばれたときとは訳が違う。今のラウラには、愛された記憶があった。


 きっと2年という月日は、一生の中ではほんの一瞬なのだろう。しかしラウラが黒蝶館で過ごした2年は、世界の何もかもを塗り替えてしまうような、特別な時間だった。あの日々を一生忘れまいと、ラウラは固く心に誓った。






「大老は少しお具合が悪くて、代わりに私がご同行します。遠慮なく御用をお申し付けくださいね」



 馬車の道中、ラウラの世話をしてくれたのがシャオ大老の従者である、ヤンという男性だ。年の頃は20代後半くらいだろうか。馬車の対面に座っている彼は、黒い髪をきれいに撫でつけ、腰を帯で巻くユマ国のガウンに身を包んでいる。細身で機敏そうな印象だ。



 彼は大老と一緒に街の薬局でラウラを見かけたそうだが、全くとんでもない所を見られてしまったものだ。しかしそのお陰で取り繕う必要がなくなり、ずけずけと質問できたのは幸いだった。



「シャオ大老って何をされてる方なんですか? なんでユマ国からバクリアニへいらしたの?」



 子どもの頃、シャオ大老と一緒にユマ国から移住してきたヤンは、東方の訛りもなくきれいなバクリアニ語を話す。顔立ちは東方人なので、なんだか不思議な感じがした。



「旦那さまは生薬の商いをされています。ユマでは国でいちばんの商会でしたが、そちらは息子さんが代替わりをして、この国では小規模な卸業をなさっています。バクリアニ国へいらした理由は、旦那さまから直接お聞きになった方がいいでしょう。それと、ラウラ様は養女におなりになったので、旦那さまのことはお義父さまとお呼びになるとよろしいかと」


「わかりました。でも、息子さんがいらっしゃるのに、私を養女になさったのはどうしてかしら」


「それもきっと、屋敷についたら教えてもらえますよ。ただ、ラウラ様の場合は事を急ぐ必要がありました。どこからかラウラ様の存在を知った良からぬ輩が、貴女を手に入れようと動き出していましたから」



 ラウラの背筋をぞくりと悪寒が這い上った。黒蝶館にいたときは安穏として忘れていた、幼い頃のおぞましい記憶が蘇る。マダムが10歳を待たずにラウラを手放したのは、そんな理由も大きかったのだろう。



「傾国、という言葉をお聞きになったことがありますか?」



 ヤンの問いに、ラウラはゆるゆると首を振った。娼館で読んだ本にはなかった言葉だ。



「非常に美しい女性を意味します。王が心を奪われ、国が傾いてしまうという例えです。旦那さまは、ラウラ様は傾国だと仰っていました」



「私がですか?」



「ええ。美しいだけの女性なら、世の中にはたくさんいます。でも、ラウラ様は知らずと人を魅了してしまう、不思議な力があるのです。だから、狙われる」



 ヤンが涼やかな目でラウラを見つめる。ラウラ自身には自覚がなかったが、彼の言葉は確信に満ちていた。



「大人になって貴女が自分を守れる力を持つまでは、王都を離れていた方がいいでしょう。旦那さまのもとにいる限り、誰も貴女に手出しはできません」




 ラウラは黙って頷いたが、胸の奥で疑問が渦巻いていた。旧知のマダムの養い子とはいえ、街で見かけただけの自分を匿ってくれる、特別な理由があるような気がしてならない。



 他にも多くの謎だらけだが、目の前にいるヤンは、核心の部分は答えてくれなさそうだ。結局、シャオ大老の屋敷に着くまで、ラウラたちは他愛のない話を繰り返し、家の周りに広大な薬草園が広がっていること、大きな図書室があること、ラウラのために優秀な家庭教師が用意されていることを知った。





 王都を出てから3日目。車窓の景色が森の緑に染まり、気温が心持ち肌寒く感じられるようになった頃、ようやくヤンが「間もなく敷地に入ります」と、ラウラに告げた。もういい加減馬車に揺られるのは飽きていたので、ラウラは安堵のため息を漏らした。夜は旅籠に泊まったとはいえ、長時間座ったままは体だけでなく精神的にもきつい。



 やがて積み石でできた高い塀の前で馬車が止まり、門番が車内を改めた後、広い敷地内に入った。驚いたことに、しばらく馬車で進んだ内側にも塀があり、そこにも門番がいた。



「ここから先は、限られた人しか入れないのです」



 そこでラウラたちは馬車を降り、東方風の様式に設えられた庭園を通って母屋へ向かった。平屋建ての2棟の家屋が並び建ち、渡り廊下でつながっている。ラウラの部屋は西側の建物に用意されていた。 



 さっき見た塀が物々しかったので、どんな建物が現れるか身構えていたが、意外にもこざっぱりした外観の家で、内装も落ち着いた色合いでまとめられている。住み心地はなかなか良さそうだ。


 そんな事をぼんやり考えて廊下を歩いていると、ヤンが物騒なことを言いだした。



「普通の家みたいでしょう。でも、壁には全て鉄骨が巡らしてあります。破城槌でも崩せませんよ」



 美しい庭園に囲まれた上品な家屋は、実は要塞のような構造であるらしい。きっとその理由は、シャオ大老の口から聞くことになるのだろう。






「ラウラ様のお世話をさせていただきます、リーザと申します」


「ドロテと申します」



 部屋に入ると、二人の少女が頭を下げた。年の頃は10代半ば。リーザは背が高く、黒っぽい巻き毛にグレーの瞳。少し四角い輪郭でボーイッシュな雰囲気だ。片やドロテはふっくらと肉付きがよく、薄茶の髪にくりくりとした鳶色の瞳が印象深い。


 見た感じでは、二人ともバクリアニ人のようだ。この屋敷の女中ということだが、人に世話をしてもらったことがないので恐縮してしまう。



「ゆっくり環境に慣れていけばいいですよ。みんな家族みたいなものなので、堅苦しく考えずにお付き合いください」



 そう言ってヤンはどこかへ行ってしまった。同時に、二人の少女がラウラを部屋の奥にあるドアへと導く。



「お風呂のご用意ができています」



 ラウラは娼館に初めて着いた日のことを思い出した。あの時は頭が虱だらけで、アリーに洗ってもらったのだ。最近では一人で入浴するようになっていたため、人前で服を脱ぐのが躊躇われた。


 そして、手術で消したとはいえ、不自然な場所にある傷跡を変に思われないだろうか。そう思って浴槽の前でもじもじしていると、ドロテと名のった少女がにっこり笑った。



「大丈夫ですよ、傷跡のことは存じています。うちの医師のティティが手術をしたそうですね」


「えっ、あのお医者さんはここの人?」


「そうですよ、若いけれど腕がいいんです。この屋敷に住んでいますから、明日にでも顔を合わせることになるでしょう」



 そう言いながら、さっさとリーザがラウラの服を脱がせてしまった。そして全身をハーブの香りの石けんで磨き上げると、ラウラの寸法にぴったりの、絹で仕立てられたガウンを着せられた。薄い砂色の地に白い芍薬が描かれている。その上から絹の黒い帯を巻き、羽のように軽いユマ式のスリッパを履く。



「さあ、旦那さまがお待ちですよ。参りましょう」




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