表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公妾/maîtresse royales  作者: 水上栞
◆ 第八章 散りてなお美しき
60/61

第七話/ カーテンコール(前編)



 バクリアニ共和国が誕生して、30年。その間には様々な浮き沈みがあった。最も大きな危機は、建国と同時に勃発したアレステア国との紛争である。一時は国内最大の鉄鉱山を占拠されるやもという事態にまで陥ったが、全軍がシュクリ砦に向かった途端、敵国の兵が一斉に撤退した。勝機がないと判断したらしい。


 こうしてラウラが予言した通り、新生バクリアニ共和国は戦火を見ることなく、民主国家としての第一歩を踏み出した。一命を捧げて国を救ったラウラは「バクリアニの聖母」と呼ばれるようになり、その年に生まれた女の子には「アリエタ」「ラウラ」という名前が好んでつけられた。



 処刑後、ラウラの遺体は大聖堂地下に運ばれ、本人の希望通り荼毘に付されて旧ロットレング領へ運ばれた。処刑後に宰相からラウラの無実を知らされた当時の枢機卿(現教皇)カナーン・レイルズは、火葬の側に付き添い、祈りを捧げ続けたという。


 そしてその遺灰は、ハルシュカ家を経て秘密裏にシャオ家に運ばれ、大老の眠る薬草畑の墓地に埋葬された。ハルシュカ家の領地にも墓碑だけはあるが、ここが本当のラウラの墓である。今ではその傍にドロテとティティも眠っている。きっと皆で昔話でもしながら、家族の毎日を見守っていることだろう。



 ドロテが亡くなったのは、ラウラの死から6年後。少女時代に施された刺青の重金属が体を蝕み、ティティの治療も虚しく衰弱死した。そしてそのティティも、伝染病研究の過程で、感染によりこの世を去った。最後まで医師として生きた人生だった。




「お二人さん、そろそろ迎えの馬車が来る時間だよ」



 見事な白髪となったヤンが、まだ旅支度にてこずっているリーザとリーフェンに声をかけた。王都の大劇場で行われるオヴェーリスの引退公演を鑑賞するべく、三人で出かけることになったのだが、もう何年も旅などしていなので勝手を忘れて難儀していた。リーフェンに至っては、シャオ家の敷地から出ること自体が初めてである。



『あれから、もう30年なんて嘘みたい』



 リーフェンの手話に、リーザが頷く。芝居の題名は、「散りてなお美しき」。ラウラの死後、その生涯をオヴェーリスが脚本に仕立て、演出から主演まで一切を手がけた。いわば、彼の生命の結晶ともいえる作品である。オヴェーリスはバクリアニ共和国のみならず、諸外国にも芝居を引っ提げて行脚し、芸術界から高い評価を得た。その舞台がラウラ没後30年の記念日に、千秋楽を迎えるのだ。



「さあ、馬車が来たよ。みんなでラウラ様に会いに行こう」



 そう言いながら、年老いたヤンの眦に涙が浮かんだ。あの日、監禁されていた館から無理にでもラウラを連れ出していれば、今ごろ一緒にここで暮らしていたのではないか。あるいは、ラウラに頼まれたセミルの誘拐を実行していなければ、彼女は隣国で生き存えていたのではないか。そう思って、何度後悔しただろう。きっと死ぬまでその痛みは彼を苛むのだ。それもまた、ラウラの残した記憶である。






 後悔といえば、黒蝶館のマダムも同様であった。セミル誘拐の際、貴族街でうずくまっていた婦人はマダムである。そして、思った通りにお人よしのセミルが声をかけた。それがラウラを処刑台に送るとわかっていて、彼女の意思を尊重することを選んだのだ。


 その結果今日に至るまで、胸の中に渦が巻くような悲しみと後悔がくり返されている。あの日からマダムは喪服しか着なくなった。どうしていつも黒なのだと聞かれれば、決まってこう言うのだ。



「連れ合いも娘も、あの世に逝っちまったもんでね。もうずっと葬式みたいなもんさ」



 そんなマダムも、すっかり年老いて小さくなった。相変わらず口だけは減らないが、数年前に相棒のアリーを見送ってからは、体調を崩して寝こむことが多くなった。しかし今日だけは真紅の口紅をひいて、甘い香りのパルファムを纏い、年代物の細い煙管を手に王都大劇場へ乗り込むのだ。


 その姿はかの昔、王都中の男が恋焦がれた高級娼婦、セヴティティルを彷彿させる、零れるような色香と威厳に満ちていた。






 観客が続々と大劇場を目指している頃、オヴェーリスは楽屋の化粧前にいた。早朝からもう何時間も、こうして自分と向き合っている。ラウラの処刑を王宮広場で目にして、オヴェーリスの中で閃光のように迸る衝動が生まれた。彼女がこの世に生まれて、この国のために成したことを、語り部として伝導する使命を感じたと言えば大袈裟だろうか。


 思えばラウラとは不思議な縁であった。長年の愛人にしてパトロン、アレンの再婚相手がラウラである。彼女は夫が男色であることを知ったうえで結婚し、あまつさえ自分とアレンのために密会場所まで用意してくれたのだ。


 アレンが菊熱で亡くなる際は、舞台に立ち続けたい一心で不義理をした。しかしラウラはそれを責めることなく、新しい芝居の可能性を自分に与えてくれた。オヴェーリスが今この場所にいるのは、ラウラのお陰と言っても過言ではない。



 オヴェーリスは、愛用の赤いかつらを手に取った。ラウラの稀なる髪色にこだわり、王都一の職人に作らせた特別な品である。細身とはいえ男なので、華奢なラウラとは似ても似つかないが、化粧をしてドレスを身に付けるうちに、いつしかラウラ・ハルシュカの姿に変わっていく。それが役者というものである。


 楽屋の花瓶には、かつらの色とそっくりな赤銅色の薔薇が飾られている。セミル・ブライガの実家が栽培している「ミス・ラウラ」という品種である。かの昔、彼の妻であったグレーテを放逐するために一芝居打って以来、彼とは細々と交誼が続いていた。セミルは処刑の直前、ラウラの恋人であったらしい。彼は今日の舞台を、どんな想いで見てくれるのだろうか。




 ただひとつ残念だったのは、前王妃に出した招待状に辞退の返事が来たことだ。王妃は友人であったラウラが処刑されただけでなく、自分を含む王族の助命を嘆願していたことを知り、激しい衝撃を受けたという。


 もとから神経が病みやすい人だったので、重い気鬱になったそうだ。しばらくは実家である旧大公領で療養生活を送っていたらしいが、末の子が10歳になったころ、自ら望んで修道女になってしまった。自らを取り巻く環境の変化や、友を死なせた心の重荷に耐え切れず、祈ることに救いを求めようとしたのかもしれない。


 現在彼女は、人里離れた山岳地帯の修道院にいる。出家して以来、俗世とは一切縁を切っているという事で「せっかくの招待にお応えできずすまない、天国のラウラ様のためによい舞台にしてください」と結ばれていた。



 なお、ローレスカヤとラウラの間に生まれた男児は、数度の養子縁組を経て素性を消し、田舎町の教会で育てられたそうだ。今ごろは立派な聖職者になっていると思われる。きっと彼は、今日が生母の命日であることを知らぬまま、バクリアニの聖母のために祈りを捧げるのであろう。




 この30年間、ラウラを演じてきたオヴェーリスではあるが、舞台を重ねるほどに、彼女に対する謎は深まるばかりである。ラウラは美しかった。そして賢かった。国王の寵愛を受けて、望めば何でも手に入る身分であった。しかし、彼女は何も望まなかった。それどころか、自らを差し出してこの世を去った。


 何が彼女にとって幸せであり不幸であったのか。それは本人にしかわからないことであるが、人々の記憶の中のラウラは永遠に輝いている。オヴェーリスの心中でも然り。その命の光を舞台に照らそうともがきながら、気がつくと長い年月が経っていた。




「さあ、一世一代の舞台の幕開けだ」



 そう言うとオヴェーリスは鏡の覆いを捲り上げ、最後の化粧を始めた。在りし日のラウラの、目が眩むばかりの美しさを思い出し、赤い髪の麗人へと変貌していく瞬間である。



 窓の外には、雲一つない青空が広がっている。そう言えば、あの日もあんな空だったと思いながら、オヴェーリスは白粉をはたきつけた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
↓「勝手にランキング」に参加しています。押していただくと励みになります!
小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
[良い点] 久しぶりに小説らしい小説を読まして頂きました。ありがとうございました。次回作も楽しみにしています。
[良い点] ぐふぅぅぅぅ…… たまらんすぎます…… うおおーーんラウラぁぁ……
[良い点] 。・゜・(ノД`)・゜・。 マダム、貴女だと思ってましたよ。 シャオ家のみんなも。 遺児のことも、王妃のことも気になっていました。 オヴェーリスまで……! 青空が目に染みます。 あと一…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ