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公妾/maîtresse royales  作者: 水上栞
◆ 第八章 散りてなお美しき
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第六話/ セミル・ブライガへの手紙



「……それは、誠でございますか」



 土曜の朝、明け方5時から行われた大聖堂での祈祷には、王都の教会に所属する大司教から司教、司祭まで、ミサを行う全ての聖職者が集められた。普段は大聖堂に属する数十人に枢機卿が訓示を与える儀式であったが、今朝は二百人以上が出席している。


 そこで枢機卿から告げられた内容は、一同がしばし沈黙するほどの衝撃であった。そしてようやく出た言葉が、真偽を確かめる件の一言であったが、枢機卿は沈痛な面持ちでそれを肯定した。



「左様。アリエタ・ハルシュカ子爵令嬢は、無実のうちに処刑されたのだ。馬車に石を投げた子どもに対しては、正式な助命の嘆願書が出されていた。しかし受理が間に合わず、規則に従って処刑が行われたのだ」


「し、しかし彼女は国の財を浪費しました。公妾制度ができてから、馬車や宝石など、湯水のように王室の金庫から金が出て行ったと聞いています」



 過激派と縁の深かった司教が、ラウラの非を論った。彼は信者への説法で、さんざん公妾を非難してきたので、今さら手のひらを返すことは避けたかったのだ。



「浪費についても、流布している噂との乖離が大きい。ハルシュカ子爵令嬢は公妾に召されて以来、公費では身の回りの生活用品を購入したのみで、ドレスや宝石は自宅から持ち込んだ物を身に付けていたそうだ」


「では、あの馬車は」


「陛下が独断で発注し、王室の交際費に計上した記録が残っている。宝石も同様だ」



 居心地が悪そうに、何人かの司教がもじもじとしている。どんな悪口を信者に吹き込んだのだろう。この後、教区で行うミサで、どう言い訳しようか焦っているはずだ。



「さらに言うと、公妾に支払われる月々の手当、金貨30枚を全て養護院と救済院に喜捨しておられた。何故かと言うと、彼女がその発起人だからだそうだ」



 皆が再び沈黙してしまった。その中で、まだ若い司祭がおずおずと手を上げた。彼は半年ほど前から貧民街の小さな祈祷所で説法を担当している。そのため、教会と貴族院との軋轢を知らない。



「あの……、それではなぜ、ハルシュカ子爵令嬢は無実を訴えなかったのでしょう。議員の方々も、知っておられたのですよね?」



 うむ、と頷いて枢機卿がその理由を明らかにした。ここからが最も重要な部分だ。



「一つは、王都の治安回復のためだ。国王陛下が自決したことで、民の怒りが暴発することを恐れ、身代わりになろうとされたのだ。ハルシュカ子爵令嬢は、ご自身が皆に憎まれていることをご存じでいらした」



 一同が、叱られた犬のように項垂れる。そのように仕組んだのは教会なのだ。説明している枢機卿も、実行にこそ携わっていないが、過激派をけしかける聖職者を黙認していたので、居たたまれないような顔をしている。



「その結果、王都の混乱が沈静化したため、王国軍をシュクリ砦へ送ることができた。ハルシュカ子爵令嬢は、一命を投じて国の危機を救われたのだ」


「しかし、王族でもない子爵令嬢が、そこまで自らを犠牲にするものでしょうか」


「王妃以下、すべての王族の処刑を免じるよう、遺書が遺されていた。その中には、陛下との間に生まれた御子も含まれる。……民が望んだものは、新しい世の中であって、流血ではないはずだと、結ばれていたそうだ」



 もう誰も質問しなかった。自分たちが蒔いた種に対する罪悪感と、ラウラに対する畏敬の念で、押し潰されそうになっていた。




「以上の事を、新政府が近日のうちに正式発表する。我々は民のためを思い、反王室を唱えた。しかし、ハルシュカ子爵令嬢に関しては、彼女の名誉を回復せねばならぬ。そのことは理解できるな?」



 全員が深く頷き、全速力で馬車を飛ばして担当教区へ舞い戻った。そしてそれぞれの信者たちに声も枯れよと、国を憂いて尊い命を投げ出した「バクリアニの聖母」の慈愛について説法を行った。



 その午後、王都中の人々が王宮広場へ集まり、ラウラが処刑された場所へ花を捧げてすすり泣いた。誰もが心の中で、何という馬鹿なことをしてしまったのかと後悔したが、それこそがラウラが皆に伝えたかったことである。もう二度とこの国の民は、同じ過ちを繰り返すことはないだろう。


 そして、ラウラから悪名が消えたことで、子どもたちの未来が明るくなった。賢いラウラであれば、逃げることも隠れることも可能ではあった。しかし、子らは一生「毒婦の子」と後ろ指を指されることになる。そこでラウラは国中の耳目を集めた上で、身の潔白と国への忠誠を知らしめたのである。これぞ、ラウラが命を懸けた最大の理由であった。






 処刑の規則を破った罪で捕らえられていたジャンゴが、牢の中でひっそりと亡くなったのはその翌日。死因は明らかにされないが、毒殺ではないかと囁かれている。面会に訪れたのは、バクリアニ聖教の司祭のみ。余計なことを裁判で証言される前に教会が始末するだろうと、ラウラが予見した通りになった。



 ジャンゴの一件で過激派は世間からの心象が悪くなり、新政府の閣僚に就任する可能性は潰えた。それを狙って、わざと公衆の面前で暴れさせたのだ。ラウラは国政から教会を駆逐することにも成功したのである。






 行方不明だったセミルが発見されたのは、ラウラの処刑から3日目。もう何もかもが終わった後だった。



 目が覚めると目なれた天井が目に入り、そこが自室のベッドの上であることをセミルは理解した。脚のゲートルこそ解かれていたが、出ていったままの姿でカラバフ公爵家の裏木戸前に置かれていたという。


 おそらく薬で眠らされていたのだろうが、誰がなんの目的で誘拐したのかは謎のままである。ただ、セミルはそれがラウラの差金であると確信していた。彼との逃亡に同意すると見せかけて、彼女の決心は揺るがなかったのだ。そして処刑から遠ざけるよう、セミルをどこかへ攫ってしまったに違いない。



 カラバフ公爵から顛末を聞き、セミルは精神を保てないほど憔悴した。その地獄の縁から彼をすくいあげたのが、ラウラからセミルに宛てられた手紙だった。



 彼女が気に入って使っていた、鳥の透かし模様が入った便箋に、流麗な女文字で別れの言葉がしたためられていた。セミルは最初、あまりの心痛でその意味が頭に入ってこなかったが、何日もかけてくり返し読み返すことで、少しずつラウラの真意を理解するようになった。




 ✧・・・・・・・・・✧・・・・・・・・・・✧



 セミル様



 貴方にお別れを告げられなかったことを、まずはお詫びいたします。


 一緒に隣国へと仰ってくださったこと、大変嬉しゅうございました。しかし私には、貴方の手を取る覚悟がございませんでした。


 貴方と暮らす毎日は、さぞや温かく思いやりに満ちたものでしょう。しかしきっとその一方で、私は祖国を想い、大切な人々を想い、深い後悔の中で生きていくことになったと思うのです。



 私はバクリアニ王国に生まれ、たくさんの大切な人々から恩を受けて参りました。思いもかけず王宮に召し上げられ、良きにつけ悪しきにつけ、衆目に晒されるところとなりましたが、そのお陰で国難を掃蕩する一助となることが叶いました。


 セミル様に、今すぐご理解いただくことは難しいと思います。しかし、どうか知っておいていただきたいのです。私が処刑台に立ったのは、自分の心に従った結果であり、一切悔やむ気持ちはございません。


 私はこれまで、父親や国の決めたことに、ただ従うだけの存在でした。しかし、ようやく自身で決断し、それを貫くことができました。そういう意味では、満ち足りた幸せな最期であったとお考えくださいませ。



 ただ、やり残したこともいくつかございます。それを、セミル様にお預けしたいと思います。そのためには、まず何より生きてくださいませ。先立った私の分まで、生きてこの国の未来を作っていただきたいのです。


 まだ私たちが若かったころ、この国の将来について、夢を語ったことがございました。親を亡くした孤児たちや貧しい人々を救いたいという私の願いを、セミル様はお聞き入れ下さり、次々と実現してくださいました。私一人では、きっと夢のまま終わってしまったことでしょう。


 そのお力を、これからも新しいバクリアニのために奮っていただきたいのです。この国の未来には、貴方の力が必要です。どうか私の決断が灰燼と化さぬよう、セミル様がご尽力くださいますことを願ってやみません。



 なお、この国のために必要と思われましたことを、思いつくまま別紙に書き付けておきます。そして、貴方がそれらをやり遂げられるところを、遠い空より見守りたいと思います。共に在ることは叶いませんでしたが、私たちの心は常にひとつと信じております。




 いつも貴方のお傍に  ラウラ・ハルシュカ



 追伸;

 貴方は私に「愛されていない」と仰いましたが、私は貴方に愛されて幸せでした。それも、愛と呼べるのではないでしょうか。






 ラウラが遺した書き付けを、数十回ほど読み返したある日、セミルはベルを鳴らして侍従を呼んだ。



「湯とカミソリを持って来てくれ」



 ずいぶん消沈していただけに、自傷されてはまずいと侍従が身を堅くしたが、セミルは口角に笑みを湛え、こう言った。



「まさか、死ぬと思ったか? 仕事に行くのだ、髭を当たらねばなるまい」



 侍従が大急ぎで支度をし、約1か月ぶりにセミルは身なりを整えた。鏡に映る自分の姿は、すっかり頬の肉が削げ落ち10歳も老けたように見える。しかしその青い瞳だけは、爛々と炎を宿していた。


 セミルはその頬に、薄く血が滲んでいることに気づいた。カミソリの先が当たったのだろう。指先でそっと触ると、ぴりっとかすかな痛みがする。そしてセミルは、ようやく自分が生きていることを理解した。



「馬車を回してくれ」



 そう言ってセミルは帽子とステッキを手に持った。政治家、セミル・ブライガの復活である。彼はこの日から、新生バクリアニ共和国において「建国の父」と称される怒涛の活躍をすることになる。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ラウラ…彼女にはいつか心から幸せになって欲しいと思っていましたが、彼女が幸せだったときはあるのでしょうか。子供を母親に取り上げられたり、夫ともいい関係とは言えなかったし、初恋は叶わないし……
[一言] 泣きました。 ラウラの生き様があまりに見事で、そして哀しくて。 セミルも一皮向けた感。 素晴らしい作品を見れて幸いです。 ありがとうございます!
[一言] 昨日から泣きっぱなしです(;ω;) この追伸だけでセミルは馬車馬のように働けるでしょうね。 セミルの頑張りでラウラの遺志が無駄にならないとはいえ出来ることならもっと早く怒濤の活躍をしてほし…
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