第二話/ ラウラの決断
山奥の監禁部屋に詰め込まれたかと思えば、あっという間にラウラは王都に呼び戻された。今日からは貴族院内のゲストルームが仮の棲家だ。今度はここで何日過ごすのだろう。どちらにしても自由はない。次から次へと国の駒として使われる我が身に、ラウラはうんざりとした気分であった。
ラウラが王都に入ったのは、貴族院の緊急会議がようやく中断された頃。議員は一旦自宅に戻り、長丁場の身支度を整えた上で会議が再開されることになっていた。ちょうどその合間に到着したため、宰相閣下自らの出迎えを受けることになった。
セミルには到着を伏せていたので、今ごろはカラバフ公爵と共に帰宅して仮眠でも取っている頃だろう。まずは宰相と二人で話がしたいと、ラウラが先触れの文にしたためたのだ。およその事情は推測していたものの、宰相から詳細を聞いてラウラの顔色が変わった。思った以上に猶予がない。
「宰相閣下と民主派の代表者、お二人と早急にお話がしとうございます」
いつものことではあるが、誰と何を話し合うべきか、ラウラの頭の中で瞬時に筋道が立つことに宰相は舌を巻いた。この局面で指揮を執るべきは、自分たちより彼女が相応しいのではないかと思うほどである。宰相は素直にラウラの願いを聞き入れ、夜半にキリールと二人で部屋を訪問することを約束した。
「ブライガ卿は、同席しなくてもよろしいのですかな」
セミルのラウラに対する崇拝を知っている宰相が、「余計な事ですが」と断りながらラウラに問うた。ラウラは少し悲しそうな表情をして、静かに首を横に振った。
「あの方は、いらっしゃらない方がよろしゅうございます」
セミルが介入するとラウラに気遣うあまり、情報や判断に偏りが生じる。今は感情を介在させている場合ではない。ラウラがそう告げると宰相は了承の意を伝え、もうひとつのラウラの願いも承諾することにした。大聖堂にひっそりと安置されている国王の遺体に、お別れの挨拶がしたいというものであった。
国王逝去の報は、まだ一部の関係者のみが知るところであり、厳しい箝口令が敷かれている。そのため家族以外の弔問は禁止されていたのだが、ラウラはローレスカヤの妾である。二人きりで別れを惜しみたいのであろうと宰相は解釈をしたが、ラウラの真意はそうではなかった。
「ごゆっくりと、お別れを」
案内した司教は、そう言ってラウラ一人を残して安置室の戸を閉めた。生前、国王には常に大勢の護衛がついていたが、現在は既に亡骸である。部屋の外に騎士が二人いるだけで、半ば放置されていると言ってもいい状態であった。
ローレスカヤは女装で逃亡した際に髭を落としたので、青白く丸い肉のかたまりのようだった。誰も彼の死を惜しんでいないだろうが、格好ばかり豪勢な花に飾られた棺の中で、この国の死装束である灰色の絹のローブに包まれ、バクリアニ王国13代国王はまるで眠っているようにも見えた。
ラウラは慎みなくドレスの裾を絡げて祭壇に上がると、棺の中に足を踏み入れた。そして靴のまま故人の顔を何度か踏みつけ、唾を吐いて積年の恨みを投げつけた。
「豚め!」
その夜、約束通りに宰相とキリールが連れ立ってラウラの部屋にやって来た。貴族院の建物内とはいえ、ゲストルームは貴賓の宿泊を想定して別棟になっているので、外部からは誰が泊っているかは判別できない。よって、ここで今夜この話し合いが行われたことは、機密の内の機密である。
ラウラは質素な麻のドレスで、静かに彼らを待っていた。キリールはラウラがどういう人物であるか、大まかに宰相から聞いてはいたものの、国民にとっては王を篭絡して贅を貪った毒婦という印象がある。しかし彼らを迎え入れた女性は、小柄で飾り気がなく、それでいて輝くばかりの美貌でキリールを圧倒した。
「夜分にお呼び立てして申し訳ございません。アリエタ・ハルシュカでございます」
きちんと自ら名乗り淑女の礼を取った女性からは、噂のような傲慢さは微塵も感じられない。それどころか自分のような平民にも、礼を尽くして接しようとしてくれている。キリールは、自分たちが何か大きな間違いを犯しているのではないかと不安になった。それほどラウラは清々しく背筋が伸びていた。
「では、アレステア国が開戦を通告した件について、貴族院の見解をお聞かせください」
ラウラはいきなり本題を切り出した。普通の貴族婦人であれば、お天気の話やご機嫌伺いから始まるところだが、ラウラに限ってそれはない。国にとって重要な決断を迫られているのだ。宰相を呼びつけて与太話をする暇などないのである。
貴族院の代表である宰相と、民主派の代表であるキリール。二つの勢力をいかに融合させ、バクリアニ王国に取っての最適解を導き出すか。何十人という政治家が集まっても意見がまとまらない中で、すでにラウラの頭の中では設計図が描かれているらしい。
「虎視眈々と狙っていたところへ、内紛の報せが届いたのです。ここぞとばかりに攻めてくるのは当然でしょう。しかし、我々には兵がない。正確に言えば、王都を鎮圧するのに精いっぱいで、シュクリ砦に派兵する余力がないのです」
宰相の言葉を受け、ラウラがキリールへ質問をした。
「キリール様、過激派の代表者と交渉を持つことは可能でございましょうか」
いきなり自分に話の矛先が向かい、キリールはびくりとした。彼は無学ではあるが、無能ではない。ここへ来るまでは「公妾風情になにがわかる」と馬鹿にしていた、その見下しを心中で反省していた。多分、ラウラは恐ろしく賢い。鍛冶屋のキリールは、名人が鍛えた細剣のような女だとラウラを評価した。装飾の美に惹かれてうっかり手を伸ばすと、忽ち指の何本かを持って行かれる。
「話には応じるだろう。暴徒はただ暴れているだけだが、過激派は手段が違うだけで目的は我々と同じだ。民主政府が立つということなら、交渉の余地はある」
「彼らが教会と繋がっていることは考えられませんでしょうか」
キリールは全身の毛が逆立つのを感じた。推測の域を出なかったので貴族院側には伝えていなかったが、そう思えるひとつの心当たりがあった。なぜラウラがそれを知っているのか不気味に感じながら、キリールは包み隠さず打ち明けた。
「証拠はないが……。教会が俺たちに手を組まねえか、って接触をしてきた事がある。俺は断ったが、その直後に仲間の内で血の気の多い連中が出て行った。それが今の過激派になっている」
宰相とラウラは顔を見合わせて頷いた。おそらく間違いないだろう。教会は彼らを手先として操り、国民の反王室感情をあおると同時に、民主化成立後は新政権の中枢に間者を送り込んでくる算段だ。そうなる前に潰しておかねば、国が内側から蝕まれてしまう。
「下町で辻説法をしている聖職者の周囲に、用心棒のような男たちがいました。それが彼らでしょうね。でしたら、気づかぬふりで裏をかいてやりましょう。キリール様、彼らの最優先事項は何でしょうか」
ラウラが感情のこもらない声でキリールに尋ねた。近しい人間であれば知っているが、これはラウラが激怒しているときの様子である。
「国王と、それに連なる者の処刑だ」
「承知しました。それでしたら話は簡単になります。宰相閣下、今すぐ全兵力をシュクリ砦にお送りなさいませ。アレステア国は我が国の内情を見て油断しております。そこへ予想外の大軍が派遣されれば、戦わずして撤退する可能性がございます」
「待ってください、ラウラ様。我々とて、そうしたいのは山々です。しかし王都から兵がいなくなってしまえば、治安はどうなります。ただでさえ荒れに荒れている状況ですぞ」
「それを解決する方法がございますわ。同時に、過激派の勢力を削ぐことにもなります」
「そんなうまい手があるものですかな」
宰相が困った顔をして手を拱く。これまで何度も彼女の機転に助けられては来たものの、今度ばかりは荒唐無稽も甚だしい。さすがのラウラも軍備に関しては何もわかっていない、そう思っていた宰相の耳に、ラウラの信じられないひと言が響いた。
「私を、処刑なさいませ」
酒屋のきしむ階段を上り、物置を改造した狭い部屋に辿り着いたキリールは、どう処理していいかわからない感情を持て余し、棚にしまっておいた安酒を一思いに呷った。
部屋の奥には、藁と帆布で作った簡素なベッドがあり、我が子が寄りそって眠っている。酒屋の女将さんに世話を頼んでおいたので、晩飯を食べて早々に布団に押し込まれたのだろう。
妻亡き後、何度も絶望をくり返しながら親子三人で命を繋いできた。その原動力の根底に、王室への憎しみがあった事は否めない。しかし、どうだ、さきほど対峙した公妾は。八つ裂きにしても足りないと思うほど、憎い仇であったのだ。それなのに、彼女は恐ろしく清廉な国士であった。
「こんなことが、許されるはずがない……こんなことが」
正義のために興したはずの民主化運動が、この国に最も尽くしたひとつの命を奪おうとしている。キリールは善人であった。そして愛情深い父親であり、妻に先立たれた鰥夫(やもめ)でもあった。それだけに耐えられなかった。愛しい我が子を遺して、国のためにラウラが一身を投げ出そうとしていることが。




