第六話/ リーザとドロテ
頑健なラウラが寝込むのは、馬車の事故とそれに続く流産の時以来であった。相変わらずセミルが薔薇の花束を持って飛んできたが、国王からは見舞いのひとつもなかった。
ラウラはその理由に気づいていた。すでに王宮にはいないのである。恐らくは、火事の直後。それまで三日と空けずにあった渡りが、ぴたりとなくなった。ますます激しくなる王室廃止派の攻撃を恐れ、夜の闇に紛れてこっそりと逃げ出したに違いない。
「絶対おかしいですよね。王妃殿下もお茶を飲みにいらっしゃいませんし、護衛の騎士団もごっそりいなくなってるし」
「どこか高貴な方の隠れ家にでも逃げ込んだのかしら。王宮には敵が入り込んでいるから、怖くなったのね、きっと」
それなら、ラウラも実家に帰らせてくれればよいものを。しかし王室側は、国王夫妻は王宮内にお住まいであると頑なに主張して譲らなかったし、国王が在宮するときの印である、王国旗の掲揚も毎朝行われる。あくまでも平時という体裁を保つために、公妾もいつもと変わらず王宮内に留まれということなのだろう。
「いろいろとご辛抱いただかねばならない事もあるかと思います。しかしラウラ様は、いまご実家にお戻りになると危険です。それはどうぞご理解ください」
もうすっかり体調は回復したというのに、相変わらずセミルは毎日のように花を抱えて見舞いに訪れた。そしてラウラがロットレング領に帰りたいという願いを理解しつつも、警備の面で王宮に留まることを勧めた。
「そうですわね。ロットレングの領民は好意的なのですが……」
ロットレング領は温泉や甘藷農場などで、この10年間に目ざましい発展を遂げた。お陰で生活が豊かになり、領民はハルシュカ家に対して厚い信頼を寄せている。きっとラウラが戻って来ても、王都の民ほどに悪い印象は持たないだろう。
しかし、王都では貴族というだけで「王政に寄生した諸悪の権化」といった目で見る者も多い。さらにロットレング領以外では、噂に尾ひれ背びれがついて、赤い髪の公妾は「国王を誑かして子どもの処刑を唆した毒婦」と思われていた。
そのため、たとえ領地に引きこもったとしても、他所から来た過激派に襲われない保証はない。そうなると厳重な警備が必要になるが、身分の低い公妾に割ける兵士はそこまで余ってはいない。
「一人では冷静に考えられる人間でも、集団になると過激な思想に染まることは、よくあることですわ。そしてその恐ろしさを、本人たちが気づいていないのです」
何気なく紡がれたラウラの言葉を、セミルは深く考えずに聞いていた。わずか数か月後にその意味を、否が応でも味わうことになるとは思いもせずに。
それからしばらくして、ついにラウラにも移動命令が下りた。またしても王宮に火矢が放たれ「王族とそれに連なるものを処刑せよ」との犯行声明が、記念広場の看板に貼り出された。すでに王宮は民主の波に包囲されており、一触即発のにらみ合いが続いていた。
これを危険と判断した貴族院は、王族に連なる者としてラウラの身柄を移動することにしたのだが、やはり実家に帰らせてもらえるわけではなかった。国の目の届く場所に匿い、実質上の監禁状態に置かれるのである。身分の低い公妾に命の値打ちはないが、民主派の人質になると厄介である。それを避けるための暫定的な処置として、どこかに隠しておけという事らしい。
国王夫妻は逃げ、王子や王女たちもどこかに匿われた。そしてついに悪名高き公妾まで。もはや王室は形骸化していた。
「セミル様、ひとつお願いがあるのです」
行く先も告げられず、明日が出立となった夜、ラウラは現地までの先導を務めるセミルにひとつの願いを告げた。セミルはそれを聞きしばらく考えた後、「承知しました」と返答した。いつものように打てば響くような請け合いではなく、重く考えを巡らせた末の承諾であった。
翌朝、ラウラを乗せた馬車が、陽も登りきらぬうちに王宮外苑の通用門を出て行った。通常、食料や薪の供給に使われる使用人専用の門である。幌をつけた粗末な造りの馬車は、街の人々の目をくらますために選ばれた。
久しぶりに乗る、固い座席の感触を懐かしく思いながら、ラウラは幌のすき間から見える王都の街並みを眺めやった。初めてここへ来たのは、6歳。黒蝶館のマダムに闇市で買われて、8歳までを娼館で過ごした。再び王都で暮らし始めたのは、アレンと結婚した16歳のころだ。懐かしいタウンハウスで、3人の子を産んだ。そして23歳で公妾になり、王宮の囚われ人となった。
歩きにくい石畳も、街角の新聞売りも、揚げパンを売る屋台も、皆ラウラの歴史の一部である。恐らく、もう二度とここで暮らすことはないだろうと、ラウラの勘が告げていた。王都には何の未練もないが、そこで過ごした思い出は何物にも代えがたい、ラウラの大切な宝であった。
「ラウラ様、ここで馬を替えます」
王都郊外へ出たあたりの宿場で、休憩が取られた。リーザとドロテは先に旅籠に入り、ラウラのために茶の用意をしていたが、戻って来て見ると一階のホールで待っているはずのラウラの姿が見えない。ドロテがホールに立っていた護衛の騎士にラウラの所在を問うた。
「ラウラ様はどちらです? お茶の用意ができましたわ」
それに対し、若い騎士が言いにくそうに、ぼそぼそと返事をした。
「ハルシュカ子爵令嬢は……、先ほどお発ちになりました」
「えっ」
ラウラはリーザとドロテを旅籠に残し、一人で出立してしまったという。何が起こったのかわからず狼狽えるリーザとドロテに、もうひとりの騎士がラウラからの言づけを伝えた。こちらも些か言いにくそうである。
「ハルシュカ子爵令嬢からは、あなた方お二人をロットレング領へ帰すように仰せつかっております」
「ロットレング領? どうして、私たちはラウラ様の侍女ですよ!」
いつもは感情を表に出さないリーザが、騎士に食って掛かった。ドロテは既に泣き始めている。二人とも、なぜラウラがここへ自分たちを置いて行ったか、直感的にわかってしまったからだ。
シャオ家からロットレング領、王都のタウンハウス、王宮へと、ラウラと二人の侍女は運命を共に生きてきた。しかしこれから向かうのは、今まで以上に世間から隔絶された自由のない場所である。もしかすると、いや恐らくは、二度と元の生活には戻れないだろう。
そんな所へ二人を連れて行きたくないというのが、ラウラの想いであった。セミルに頼んだのは、彼女たちがラウラの傍を離れる一瞬の間に、ラウラだけを連れて出立して欲しいというものであった。もちろん向かう先にも身の周りの世話をする者はいるが、慣れ親しんだ侍女を手放すことは、どんなにか寂しかろう。そう思うとセミルは迷ったが、結局はラウラの意思に従うことにした。
「ハルシュカ公爵令嬢が、これをお二人にお渡しくださいとの事です」
茫然とする二人の手に、小さな包みが渡された。開けて見ると、ネックレスが二本現れた。ラウラがお気に入りだった柘榴石のイヤリングに、銀鎖をつけて二つに加工したものだ。
「私、この柘榴石がいちばん好きなんだけど、貴族になってからは着ける機会がなくなっちゃったわ。宝石の格が低いんですって。でも、私はこの色が好きよ。私の髪の色に似ていると思わない?」
そう言っていたラウラの声を思い出し、リーザとドロテは淑女にあるまじき大泣きをした。シャオ家にラウラが来てから、約15年。建前上は令嬢と侍女であったが、その実は血縁以上の絆で結ばれた姉妹であった。突然に訪れた別れを受け入れがたく、リーザとドロテは肩を抱き合いながら、ただひたすらに泣き続けるしかなかった。
それから、約半日。馬車は山道を走り、川を渡り、深い森の中の小さな石造りの館にラウラは着いた。王都からどの方角かもわからない。恐らくは王室の隠れ家のひとつであろう。この家で護衛に見張られながら、ラウラの隠遁生活が始まるのである。
「なるべく、頻繁に会いに来るようにいたします」
去り際にセミルはそう言ったが、政治の混乱を考えれば、もう会えないかもしれない。ラウラは暗い気持ちを振り払うように、晴れ晴れとした笑顔を作りセミルを送り出した。彼にだけは、心配をかけてはいけない。
「私のことは、どうぞお気になさらず。ご活躍をお祈りしておりますわ」
悪い予感は、当たるという。ラウラは不安に押しつぶされそうになりながら、仮初めの笑顔で馬上の人を見送った。




