第四話/ サルーの出征
ラウラは少しずつではあるが回復し、ようやく肉体的には元通りと言えるほどに回復した。しかし、精神的には大きな変化があった。ローレスカヤに強い嫌悪感を抱くようになったのである。
怪我や流産のこともあり、しばらく領地で静養したいと、遠回しにお褥すべりを上申してみたものの、国王の鶴の一声で却下されてしまった。
「しばらく、お渡りは控えられるとの事ですので、その間に薔薇宮で静養なさってくださいませ。できましたら……もう一人、男児を生んでいただきたいとの事です」
気の毒そうに、宮中侍女頭のモリソン侯爵夫人がラウラに伝えた。その昔、セミルの妻であったグレーテから「雌鶏のように子を産む」と揶揄されたことがあるが、まさにラウラは自分が家畜になったような気分であった。閉じ込められて、自由を奪われて、子を産み続けるのだ。そのうち用がなくなればスープにされてしまうかもしれない。
サルーはあれ以来、姿を見せていない。立場上は薔薇宮の護衛班長ではあるのだが、騎士団の上級職は現在、本部に緊急招集されているのだ。国境を挟んで、長年緊張状態が続いているアレステア国が、何やら仕掛けてきているらしい。
騎士団は、貴族で構成された第一師団のみ王宮と王都の警備に限定されているものの、その他の師団は有事には国軍へ充填される。第四師団に属するサルーも、先の戦争では最前線に配備されていたと聞く。また戦争にならねばいいがと市民は気が気でなかったが、こればかりは相手の出方次第だ。
「なんだか、物騒なことになって参りましたわね」
「国境は近々、軍を増強します。まあ、今すぐ戦争にまでは発展しないでしょう。それより、反王室派の動きの方が厄介ですな。ラウラ様もしばらくは、王宮内にお留まり頂くようお願いいたします」
薔薇宮に立ち寄った宰相閣下に、外出禁止令を出されてしまった。先日、お褥すべりが却下されたのは、ラウラの身の安全のためでもあるらしい。王都の広場で子どもが処刑されたことで、反王室や民主化の過激派が増えてきており、ラウラに対する脅迫状が城門へ投げ込まれたりしているという。
「民衆にとっては、私は憎き仇役なのでしょうね」
「都合のいい敵を共有することで、鬱憤を晴らしているのでしょう。そういうわけで、しばらくは軟禁状態になりますが、なにとぞご辛抱を」
サロンもずっと閉鎖したままで、ロットレング領にいる義父母や子どもたちも、最近はあまり訪ねて来なくなった。話し相手と言えば、リーザとドロテ、そしてセミルくらいである。国王の渡りがなくなったのは嬉しいが、ラウラは退屈を持て余していた。
そんなある日、ラウラの心をかき乱す報せが届いた。いよいよアレステア国との火花が散り始めたシュクリ砦に、サルーが中隊長として赴くことが決定したのだ。軍を増員するとは聞いていたが、現在は王宮警備であるサルーが従軍するとは予想しなかった。
しかし、サルーは以前にもシュクリ砦で戦功を挙げている。そのため、山岳地帯の戦に強い指揮官として、大隊長から直々の指名があったのだという。この紛争を収拾させて帰還すれば、受勲の誉が期待できるかもしれない。騎士としては躍進の機会ではあろうが、送り出す側のなんと不安な事か。ラウラは兵士の家族が神に縋る気持ちを、このとき初めて実感した。
戦地に赴く部隊の兵士は、王宮の広場で出征式を行う。その朝、サルーの姿を一目でも見ようと、ラウラはもっともらしい言い訳をひねり出した。
「薔薇宮の警備で世話になった者が、従軍すると聞きました。武運を願い、励まして送り出してやろうと思います」
「サルーですね、ラウラ様とはずいぶん仲が良かったようですが」
王宮広場までの外出許可をもらおうと、セミルの執務室に立ち寄ってみれば、どことなく拗ねた口調でそう返された。いつものセミルらしくない物言いに、ラウラの心中で警鐘が鳴った。もし、自分の態度にサルーへの特別な感情が滲んでいるのなら、それは甚だ危険なことである。ラウラはすぐさま取り繕った。
「どちらかというと、奥さまにお会いしたいのです。以前、騎士団のバザーでお目にかかりましたの。ご主人が出征してお寂しいでしょうから、お慰めしたくて」
「そうでしたか、それはきっと心強く思われるでしょう」
セミルの顔がぱっと明るく輝いた。彼の単純でわかりやすいところは、素晴らしい美徳であるとラウラは思っている。彼は素直に育った、善良な紳士なのである。それだけにあの夜のことは、彼には絶対気づかれてはならない。
セミルは長年ラウラのことを大切に思い、心から崇拝してくれている数少ない人間のひとりである。いたずらに傷つけてはいけないし、彼だけには軽蔑されたくなかった。
そして、いよいよ出征式の当日がやって来た。大勢の兵士と家族が別れを惜しむ、人の波を縫ってサルーの姿を探したラウラは、黒い髪の男とその妻を見つけた。ゾーイは気丈に微笑みを浮かべているが、背中から抑えきれない不安が漂っている。
やがて、サルーとゾーイは何か二言三言交わして、静かに互いを抱きしめ合った。その光景を目に収めたラウラは、彼らに声をかけずに来た道を引き返した。恐らくサルーはラウラの気配に気づいていただろう。しかし、視線も合わせなかった。それが彼の別れの挨拶である。
「ラウラ様、よろしいのですか?」
護衛として付き添っていた騎士が、ラウラに訊ねた。
「ええ、せっかくご夫婦水入らずで別れを惜しんでおられるようだし、お邪魔しては申し訳ないわ」
それが、ラウラが見たサルーの最後の姿だった。
それから約2か月後、シュクリ砦の闘いは、事実上バクリアニ王国の勝利となった。粘り強い王国軍の防戦に、長期戦になると判断したアレステア国側が撤退を決めたのだ。そして数週間後、王都には兵士たちが続々と帰還してきた。しかし、夫を待つゾーイの元には、一束の黒い髪とサルーの愛用していた剣だけが届けられた。
停戦のわずか数日前、決死の突撃で戦局を覆した功績に、勲章が与えられると聞いたが、そんなものが欲しい遺族など誰もいないだろう。
ラウラは丁寧なお悔やみの手紙を添え、ゾーイにお見舞いの品を届けた。そして、誰もが寝静まった深夜の薔薇宮で、ひとり声を殺して泣いた。事故の夜、マントの上で抱き合った刹那が、彼女にとって最初で最後の恋だった。
それから一月ほど経ったある日の未明、王宮のあちこちで火の手が上がった。本宮や王妃の暮らす離宮などは内壁に守られているため無事だったが、外郭にある建物は多くが被害を受けた。薔薇宮もそのひとつであった。
普段は国王以外には入室が許されぬ主寝室のドアを、激しく叩く音でラウラは目を覚ました。すでに廊下の向こうの女中部屋からリーザとドロテが飛び出し、何があったのかを護衛の騎士から聞き取っている。二人は素早くラウラにガウンを羽織らせると、迅速に階下へと導いた。後ろから貴重品の小箪笥を担いだ護衛が続く。
「何があったの」
「放火です、薔薇宮に火がつけられました!」
いつなんどきでも脱出できるよう、王宮では避難経路が確立されている。ラウラも二階の階段から食糧庫の裏にある通路を抜けて、馬車回しへと避難した。慌てて正面玄関から逃げ出すところを、計画的に襲われる可能性があるからだ。
ひとまず安全な場所へたどり着き、ラウラが振り向くと薔薇宮の西側が炎に包まれていた。その真上がさっきまでラウラが眠っていた場所である。ぞくりと恐怖が這い上がってきたが、ラウラは気丈な表情を崩さなかった。
王室廃止や民主化を唱える者たちの犯行であろう。王宮内部に手のものが入り込んでいる証拠である。大きな時代のうねりが押し寄せているのを、ラウラは感じていた。早急に講じておかねばならない策がある。屋敷に火を付けられたくらいで、泣いて怯えるわけにはいかなかった。




