表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公妾/maîtresse royales  作者: 水上栞
◆ 第六章 薔薇の宮の囚われ姫
45/61

第八話/ 謎の三者会談



「妻のゾーイです」



 そう言った男の顔は、ラウラには向けたことのない優しいまなざしを湛えていた。そして名前を呼ばれた女は、青空のような澄んだ笑顔をラウラに投げかけ低頭した。



「ハルシュカ子爵令嬢におかれましてはご機嫌麗しく。サルー・バルトシークの妻、ゾーイでございます」



 全身の血管の中を、どろどろしたものが巡って気持ちが悪かった。しかしリヴォフ夫人の訓練は、何とかラウラを淑女のふるまいに押しとどめた。にっこり優雅に微笑むと、ラウラは自分が最も美しく見える表情を計算して、ゾーイに挨拶を返した。何とかして目の前の女性に勝ちたかった。



「貴女がサルーの奥さまね。お会いしたかったのですよ」



 サルーは女同士の会話が始まると、初対面の二人を残してどこかへ消えてしまった。ラウラにとってはその方が良かった。あの勘の鋭い男なら、きっと平常心でないのを見抜かれてしまう。ラウラは当たり障りのない話題を選んで、ゾーイに話しかけた。



「ご結婚されて、どのくらいなのですか?」


「8年目になります。もともと幼なじみだったのです」



 ラウラの耳の後ろを、ちりっとした感覚が走り抜ける。二人が長い時を共に過ごしているという事実が、何となく気に入らなかった。しかしその理由はわからなかったので、ラウラは自分の感覚に蓋をして先を続けた。



「まあ、では、すっかり気心が知れているのね。お子さまは何人?」



 ところが、その質問を受けたゾーイの笑顔が一瞬だけ曇った。何か困らせるようなことを言ってしまっただろうか。



「あの、うちは子どもがおりません。……私が子を産めないのです」


「まあ、ごめんなさい、不躾なことをお聞きしましたわ」



 何の気なしに聞いたことだが、自分の無神経さにラウラは苛立った。いつもはもっと慎重に言葉を選ぶはずなのに、つい興味が先走ってしまった。いったいどうしたというのか。サルーがこの場にいなくて本当に助かった。



「いえ、お気になさらないでください。夫には、子が望める女性と一緒になった方がいいんじゃないかと言ったのですが、それでも構わないと言ってくれまして」



 一代限りの騎士爵に、跡取りなど不要。どうしても子が欲しいなら、孤児院から迎えればいいとサルーは言ったらしい。要するに、それほどゾーイと一緒になりたかったというわけだ。ゾーイははにかみながらも、無邪気な惚気を聞かせた。



「夫は顔が怖いので誤解されるのですが、とても心が優しい人なんです」



 ラウラは知らぬうちに握り込んだ手先が冷たくなるのを感じた。その場をどうやって辞去したのか覚えていないほど、心は千々に乱れていた。



 やがて、バザーもそこそこに戻った薔薇宮で、ラウラは「気分が悪い」と言って部屋にこもってしまった。長椅子に行儀悪く寝転び、心中で暴れる不快感の正体を探ろうとしたが、それはとっくに彼女が気づいているものである。


 どうやっても認めない、他の理由を探そうと奮闘してみたものの、夜が更けるにつれ惨めで泣きたくなってきた。それでも悶々と堂々巡りをくり返し、ようやくラウラがその感情に「嫉妬」という名前を付けることができたのは、翌朝の一番鳥が鳴くころであった。






 ラウラが生まれて初めての恋情に身悶えしていたころ、セミルはある大きな問題の入り口に立っていた。今はまだ小さな火花だが、放っておけばそれはやがて街を覆い尽くす業火になる。その前に何としても消し止めたいのだが、いちばんの難は周りが耳を貸さないことであった。



「王室に対する不平不満は、建国以来ずっと噴出している問題だ。今に始まったことではないし、どこの国でも人民は支配階級に不満をぶつけながら暮らしている。カラバフ卿はちょっと、心配し過ぎではないですかな」



 セミルが呈した問題は、ここ数カ月で頓に増えている王室への抗議活動である。もともとバクリアニ王国の王室は、維持費が高いことで知られているが、国王に二人の男児が生まれたことで大幅に歳出が増えた。毎夜上がっていた花火や広場の建設、果ては公妾のラウラに設えた、特注の馬車までがその槍玉に挙がっている。


 これまでなら「いつものこと」とセミルも流していただろう。しかし、養護院や救済院の仕事を通じて、菊熱収束後のバクリアニ王国はぎりぎりの経済状況から、国を立て直す局面にあることを実感していた。働き手が減り、子どもが減り、今こそ税の軽減を実施せねばならないのに、「感染症が治まれば、いつも通りに働け」と、多くの貴族が対策を講じずに楽観していた。



「従来とは経済状況も、産業に従事する人口も違うのです。このままでは国が傾くか、民が蜂起して大変なことになりますぞ」


「大変なのは領主も同じでしょう、人頭税が減るんだから。それに、納めた税金をどう使おうが、王室と貴族院の勝手だろう。平民があれこれ言うことがおかしい」


「そうだ、そうだ」



 既得権益にどっぷり浸かった議員たちは、現在享受している贅沢の欠片でも失うことを怖がる。国がどうなろうと、自分たちの地位や財産が優先なのだ。大局的にものを見ることができない。セミルは頭を抱えた。


 実を言えば貴族院の内部で、国の存亡にかかわる事件が起こりかけている。それを皆にぶちまけてしまいたい衝動にかられたが、確固たる証拠をつかむまでは何も言えないのがもどかしい。セミルはここしばらく、水面下で怪しい動きを追っていた。その発端はグレーテとの離縁直後に遡る。




「父上、今日ちょっと気になる事がありました」



 ある夜、セミルが父であるカラバフ公爵に相談をもちかけた。王都外れの中級ホテルから、バクリアニ聖教の幹部とロサナリア公爵が連れ立って出てくるのを、新聞売りの少年が見かけてセミルに報告したという。


 セミルはラウラの入れ知恵で、新聞売りや辻馬車の御者から情報を買っている。有用な報せであれば銅貨一枚。庶民が夕餉の食料を買える金額である。彼らは忠実に秘密を守る、頼もしい諜報の手先となった。



「なんで新聞売りの子どもが、ロサナリア公爵家の顔を知っているのだ?」



 カラバフ公爵の疑問は当然である。教会の幹部であれば法衣の色や形で判断が可能だが、貴族男性は質の差こそあれ似たり寄ったりの服装をしている。庶民の子どもに見分けがつくはずがないのだ。



「家紋の入っていない馬車に乗って帰ったそうですが、横板が少し色の違う当て板で修理されていたと言っていました。グレーテが癇癪を起して、横板を叩き割った馬車に違いありません」



 カラバフ公爵は、つい先日まで義理の娘だったグレーテの顔を思い浮かべた。ブライガ家の陶器や絵画も、彼女の癇癪でいくつか被害に遭っている。彼の一生において、あの娘を息子の妻に選んだのは、数少ない後悔のひとつである。



「なるほどな。しかしそれが確かであれば、不可解な組み合わせだ。第一、そんな場所に出入りするような面々ではなかろう」


「はい、高位の貴族や僧侶が使用する格式ではありません。調べましたら、下院議員のフォリア伯爵が部屋を取っておりました」



 沈黙が流れる。養護院の設立以来、貴族院と教会の関係は決して良好とは言えない。その教会のお偉方と、上院議員のロサナリア公爵、そして下院のフォリア伯爵。この三者の関係が見えない。思案に詰まった親子は、知恵の女神を訪ねることにした。




 薔薇宮にラウラが移ってからは、常に護衛という名の監視に見張られている。男性だけの訪問であれば、通常は玄関ホールで護衛が背後に立つ決まりになっているが、今回はセミルとカラバフ公爵、そして宰相閣下までが揃って訪問したため、特別に応接間を使用して護衛はドアの外に立たせた。


 表向きは薔薇宮の改装についての会議ということだが、その顔ぶれを見て何やら尋常でない事情を汲み取れないラウラではない。宰相が出張るという事は、よほどのことだ。実際に話を聞いて、とても嫌な予感がした。ロサナリア公爵が絡むと、大抵良くないことが起きるのだ。




「教会と上院、下院。いったい、どういう関係なのでしょうね」



 宰相閣下が頭をひねる。あの後セミルが調査したところ、例のホテルで彼らは毎週のように会談を行っていることが判明した。時間はおよそ2時間ほど。まさかその面子で茶や菓子を楽しんでいるわけではなかろう。悩んでいる男たちに、ラウラがあっさりと解決の糸口を呈して見せた。



「私、その聖職者がどなたか知っている気がします」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
↓「勝手にランキング」に参加しています。押していただくと励みになります!
小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
[良い点] 手練れのラウラにも、どうにも出来ないことがあるのですね…… [一言] 恋敵が「いいひと」であることほど残酷なことはない。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ