第五話/ ひとりぼっちの王妃
ラウラが薔薇宮にやってきて、一月ほど経ったころ、庭のテーブルでお茶を飲んでいると、誰かがこちらを見ている気配を感じた。薔薇宮は王宮の広大な庭園の一角に建てられており、王城の本宮からは少し距離があるため滅多に人は来ない。
誰だろうと思って周囲を見渡すと、はるか遠くに女性の一団が見えた。その多くは侍女や護衛のようなので、きっと身分の高い人が外歩きをされているのだろうが、遠すぎて姿を確認できない。そのうちその一団は去って行ってしまった。
謎が解けたのは、それから数日後。なんとセミルから驚くような報せが舞い込んだのだ。それは、王妃が薔薇宮を訪いたいというものであった。
「もちろん、お迎えするのは吝かではございません。ですが、ご用向きをお伺いしてもよろしいですか?」
「それが、はっきり仰らないのです。ただ、薔薇宮にラウラ様をお訪ねしたいとだけ……」
セミルも困惑しているようだ。公妾は王宮での立場で言えば、使用人の一種となる。そのため王妃からの命には従うしかないのだが、そもそも王妃を気遣って王宮内に立ち入るなと言われていたはずだ。それなのに向こうから来るという。
夫を誑かした妾を間近に見て、文句の一つも言ってやりたいのか、何かとんでもない要求を突きつけられるのか。ちなみに国王陛下は「好きにさせよ」と無関心の構えである。取りあえず、わけがわからないなりに、最善を尽くしてお迎えするしかない。
その数日後の午後、王妃とその一団が薔薇宮を訪れた。ラウラを筆頭に一同、玄関前で低頭してお迎えし、居間に特別な椅子を持ち込んで王妃の座とした。王妃は侍女長や執事など総勢10名ほどを引き連れてきたが、居間へ立ち入ったのは二名だけだった。
そのうちの一人が、王妃の幼少時から仕えているバドニー伯爵夫人で、もう一人が薔薇宮および王宮侍女長のモリソン侯爵夫人である。二人の表情を見る限り、妾をやっつけに来たわけではなさそうだ。
「ハルシュカ子爵令嬢、突然のことで驚かれたと思います。王妃殿下は初対面の方とは、あまりお話がお得意でいらっしゃらないので、私が代わりにお話させていただく無礼をお許しください」
バドニー伯爵夫人がそう言って頭を下げた。とても理知的で感じの良い、初老のご婦人だ。ラウラは少しほっとして、笑顔を返した。
「とんでもございません。いつでも王妃殿下を歓迎いたします」
王妃は20代後半だと聞いている。国王にとっては二度目の妻である。小柄で痩せ型、化粧でごまかしているが、肌の血色が悪く髪にも艶がない。この国の王族は近親婚の影響で、高位になるほど弱々しく見目も冴えなくなる傾向があった。
王妃も、王弟である大公の娘なので国王からすれば姪にあたる。16歳で王室に嫁ぎ、3人の子を産んだが、無事に育っているのは王女が一人だけ。亡き前王妃が生んだ王子は20歳だが菊熱で子種が途絶えた。ラウラと同じく、彼女が今後男児を生むかどうかで国の未来が変わるのだ。
「実は、モリソン侯爵夫人から、薬湯のことをお伺いしまして」
なるほど、そういうことかとラウラは理解した。モリソン侯爵夫人を見ると、にんまりと笑っている。ラウラがサロンで処方していた薬湯を、王妃にも試してみようということらしい。それは良い思い付きである。病気までいかない体質的な不調こそ、長く続けられる生薬の効能を実感しやすいのだ。
「リーザ、煮出しの用意をしてちょうだい」
慣れた動きで、リーザとドロテが薬湯の準備を進めていく。この宮に来てからも、ラウラは毎日薬湯を飲んでおり、侍女や女中などにも症状に合わせて処方してやっていた。そのためすぐに提供できる準備が整っている。
「では、王妃殿下、薬湯は個人の体に合わせて処方しますので、どのような不調がおありかお教えくださいませ」
ラウラがそう言うと、王妃がはっとしたように顔をあげた。バドニー伯爵夫人が代わりに伝えようと口を開きかけたが、王妃はそれを「よい」と制して自ら質問に答えた。
「……ないの、月のものが」
「えっ」
「子を産まなきゃいけないのに……、止まってしまったの。医者は原因不明だって言うし、どうしたら……」
菊熱の収束後、世継ぎを産めという圧力をかけられ、王妃はすっかり精神的に参ってしまった。そして月経が停止し、胃痛や頭痛、気鬱に肌荒れなど、様々な体調不良に悩まされているという。ラウラはそれらが全て、心の不調から来ているものだと判断した。
「かしこまりました。どうやら王妃殿下には、気をお休めいただく必要があるようです。心が快方へ向かえば、体は自分で元気になろうとするものですわ」
そう言ってラウラは、手際よく生薬を計り、乳鉢で砕いて煮え立つケトルの湯に落としていった。生薬独特の、ツンとした香りが辺りに広がる。
「胃をすっきりさせて食欲の出る昼用と、ぐっすりお眠りいただける夜用、二種類をお出ししておきます。バドニー伯爵夫人、後ほど侍女から煮出し方を書いた紙をお受け取りになってくださいませ」
その後は、お茶会ならぬ薬湯会となった。毒見が済み、初めての薬湯を恐る恐る飲んでみた王妃殿下であったが、それほど抵抗がなく飲めたようで安心した。それより、お茶請けに出されたロットレング・カフェの甘藷サブレーを、王妃はいたく気に入ったようである。
「これは……初めて食べるわ。美味しい、ほんのり甘くて、バターの香りがして」
美味しいお菓子は心を弾ませる。これも気鬱治療の善策のひとつだ。ようやく笑顔が出るようになった王妃に、ラウラはある提案を持ちかけた。
「よろしければ、また来週お見えになりませんか。薬湯の効果がどうであったか、問診をさせていただきとうございます。その際、また違う種類の甘藷菓子をご用意しておきますので」
王妃の顔がぱっと明るくなった。彼女はまだ若い。恐らく精神的に安定すれば、月経は再び始まるだろう。ささやかではあるが、王妃の健やかな生活のお手伝いができるよう、ラウラは薬湯を袋に詰め、肌荒れに効果のある薔薇水や、入浴用石けん、オイルなど、ロットレング薬湯店のおすすめをバドニー伯爵夫人に持たせた。
「今日は本当にありがとうございます。王妃殿下が笑顔になられるのを、久しぶりに拝見しました。ずっと落ち込んで、泣いてばかりでいらしたのです」
帰り際、バドニー伯爵夫人はラウラに心からの感謝を述べた。小さなころから箱入りで、嫁いだ相手は父親の兄。周りに使用人は多くいるが、心を許せる友もなく、ひとりぼっちで心細かったのだろうと、バドニー伯爵夫人は目を潤ませた。
その翌日、薔薇宮を訪れた国王ローレスカヤに、ラウラはひとつのおねだりをした。それは、王妃殿下をロットレング・スパで湯治させて欲しいというものだった。
「一月ほど、温泉で体調を整えて薬湯を飲み続ければ、きっと健康を取り戻されますわ。ロットレング領は自然豊かで風光明媚ですから、きっと晴れ晴れとした気持ちにおなりになります」
「しかし、王妃が長く王宮を空けるのは前例がない。それに、王族の保養はモナンの離宮と決まっておる」
「あら、たまには場所を変えるのも、新鮮でようございますよ。陛下もご一緒に保養なさいませんか。野原で球を転がす競技や、温石で腰の痛みを取る施術など、殿方に人気がございますのよ」
「なに、腰の痛みが取れるのか」
国王は持病の腰痛緩和に惹かれたようだ。こうして次回の王族の保養は温泉湯治となり、ロットレング・スパは王室御用達の誉を賜った。そして王妃は湯治とマッサージを何日か続けるうち、全身にできていた湿疹が治まり、王都に帰るころには甘藷のプディングを食べすぎて腹痛を起こすほど食欲が回復した。
やがて温泉湯治から2カ月、国王夫妻に新しい命の訪れが知らされた。王室は狂喜乱舞の喜びようで、功労者であるハルシュカ子爵令嬢は一目置かれる存在となった。しかしそれ以前に、もはや国王夫妻はラウラの信奉者であった。もしラウラが薬だと言えば、二人とも大喜びで鳥の糞でも食すであろう。
そんな王室のお祭り騒ぎの中、ひっそりと公妾であるラウラにも妊娠の兆しが見られた。彼女にとっては4人目の赤ん坊であるが、今度も自分の手で育てることは許されない。もし男の子であれば、その子がバクリアニ王国の長になるかもしれないからだ。




