第四話/ 救国の聖女グレーテ
それから三カ月後、バクリアニ王国最大の商業都市、モナンの港から王室紋の旗を掲げた客船が出航した。乗船しているのは、国王から「救国の聖女」の称号を賜ったグレーテである。
彼女はここから南にあるアスラマ国へ渡り、寵姫として後宮に入内する。華々しく飾り付けられた岸壁の横断幕や花輪を船上から眺めつつ、グレーテはどうしてこんなことになってしまったのかと、絶望の涙をこぼした。
「陛下、本気で仰っておられますか」
「もちろん、本気である。国のために有益であり、ロサナリアとカラバフ、両公爵家の対立を解消するためにも、これ以上の策はなかろう」
王宮の執務室において、国王と宰相の密談により取りまとめられたその案は、グレーテをアスラマ国の後宮へ差し出すというものだった。アスラマ国はバクリアニ王国から船で半月ほど南下した砂漠の国で、豊富な天然資源を有している。近年、航路を広げ諸外国との交易も進んでいるが、我が国としては緊張状態が続く北方アレステア国への牽制として、是が非でも友好条約を結びたいと考えていた。
「来月、年に一度の使節団がアスラマ国からやってくる。その際に条約の締結を望んでおる。婚姻による外交は、何よりの後押しになるだろう」
「それは理解しますが、グレーテ様はカラバフ卿とご結婚なさっております。しかもアスラマ国とは宗教が異なりますので、婚姻は結ぶことができません」
「アスラマ国の修道院で改宗させた後、後宮へ入内させれば良い。我が国の法では、出家は離縁の条件となるはずだ。そして、出家先はバクリアニ聖教でなければならぬわけでもない」
国王はラウラが描いた筋書き通りに、すらすらと手筈を述べた。この御仁はこんなに知恵が回っただろうかと宰相は訝しく思ったが、差し当たっては両家の意向を尊重するよう上言した。いくら国王でも、当人たちを差し置いて勝手に決めるわけにはいかない。
「ロサナリア公爵家が納得するでしょうか。カラバフ公爵家にも意見を聞きませんと」
しかし、国王は冷笑を唇に浮かべた。
「あの娘の起こした騒ぎは、余の耳にも届いておるぞ。その不名誉は永代に渡り消えることはあるまい。ならば両家が対立し、本人も蟄居を続けるよりも、栄誉を受けた方が面目も立つのではないか。余はそのために、特別な称号を用意しておる」
この申し出を受けた場合、グレーテは国王から「救国の聖女」の称号を与えられ、「姦通騒ぎを起こした不埒な女」から、「祖国のために身を挺した愛国の貴婦人」となる。もちろん貴族の間では噂が消えることはないだろうが、表向きにはロサナリア公爵家は栄誉を賜り、カラバフ公爵家は同情される立場となる。
あけすけに言えば、箸にも棒にも掛からぬ馬鹿娘を、国が厄介払いしてやるので、ここらで手打ちをせよということだ。国王は自慢げに胸を張った。
「ロサナリア公爵には、余の温情であると伝えよ」
その翌日、重たい気持ちでロサナリア公爵家を訪ねた宰相であったが、意外にも公爵はこれをすんなりと受諾した。セミルとの結婚以来、何度もグレーテの尻拭いを続けてきたが、家族も我慢の限界に達していたのである。
二度目の蟄居で、ふてくされたグレーテは手が付けられないほど荒れた。使用人に暴言を吐く程度ならまだ収まりもついたが、公爵の母、つまりは自分の祖母の愛犬に大けがをさせたのは最悪であった。グレーテの靴に粗相をしたという小さな理由で、なんと二階の窓から放り投げてしまったのである。
これが祖母の逆鱗に触れ、領地の屋敷は冷戦状態になってしまった。さらには、公爵夫人も疲れ果てていた。長年の友人であるカラバフ公爵夫人との交誼が途絶え、せっかく別荘を建てたロットレング・スパにも、ラウラの毒殺未遂以来は行きづらくなっている。
お嬢さま育ちの彼女には、政治や貴族としての稔侍よりも、友人と温泉を楽しみマッサージを受ける方が重要であったのだ。娘が可愛くないわけではないが、この暮らしが延々と続けば気を病んでしまうと夫に泣きついた。
そこに加えて、貴族院でのカラバフ家との対立である。正直、ロサナリア公爵はこの状況から逃げ出したかった。そのため、国王からの策を聞いたときは、まさに温情だと思ったほどだ。
娘可愛さに甘やかしてきたが、家の役に立つどころか、内部崩壊の根源となっている。もうあの娘は公爵家には不要である。生んだ子もどこかへ里子へやろう。どうせ金で雇った素性の知れぬ男の血である。ロサナリア公爵は椅子から徐に立ち上がり、恭しく宰相に頭を下げた。
「謹んでお受け致します」
こうしてグレーテは船上の人となった。恐らく二度と祖国の土を踏むことはないだろう。船が出航し、次第に遠くなりゆく港に向かって、グレーテは呪詛の言葉を吐き続けた。
一方、ようやくグレーテから解放されたセミルであったが、仕事では大きな山を迎えて難儀していた。期待の若手として脚光を浴びていることを、うだつの上がらない古狸どもが妬んだらしく、十数年前の戦争で占領して以来、なかなか進捗しない東部森林地帯の開発を丸投げしてきたのだ。
「新進気鋭のカラバフ卿に、ぜひ手腕をふるっていただきたいと思いましてな」
口調はやわらかだが、要するに「やってみやがれ若造め」という嫌がらせである。この爺様たちは戦後すぐから東部開発局という役目を仰せつかり、たいした成果もないまま給金だけはちゃっかりいただいている、貴族院のお荷物であった。
しかし身分だけは高いため無視するわけにもいかず、考えてみますとは言ったものの、妙案がそうそう思いつくものではない。しかし彼の崇拝する女神様は「私に考えがございますわ」と微笑んだ。薔薇宮の設備についての打ち合わせ中、ふと零した愚痴に応えての言葉である。
「以前から、こうすれば東部は栄えるのではないかしらと思っていた案がございますの。でも、女だてらに意見を申し上げるのが憚られまして……」
「仰ってください、私がそれを実行しましょう!」
内容を聞かないうちから、セミルは請け合った。これまでラウラの事業計画に、抜かりがあったことはない。きっと今回も良い啓示となるはずだ。既にセミルの脳裏には、悔しがって地団駄を踏む爺さんたちの図が描かれていた。
「ロットレング領へいらっしゃる時、お気づきになったでしょう? 以前の街道はひどい荒れようでしたけど、温泉ができてからは整備されましたのよ」
王都東部には何本か街道が通っているが、森を開墾しただけのでこぼこ道で、馬車の往来には相当な時間がかかっていた。しかしロットレング・スパが富裕層の保養地になってからは、道が整備され街道沿いには旅籠や食堂などが次々に建った。商魂たくましい商人たちが、通行する金持ちを呼び込むために身銭を切ったのである。
「ですから、今でこぼこの街道も、通行する人が増えれば勝手に街が開けていきますわ」
「それはわかります。しかしどうやって通行させますか? そう都合よく温泉があちこちに湧くとも思えませんし」
首を捻るセミルに、ラウラがいたずらそうな笑顔を見せた。彼女は知らない、その笑顔で哀れなセミルの胸が一晩中恋慕の熱で焦がされることを。
「ユマ国に通じる街道を通る商人に限り、2~3年ほどで結構ですので、関所の通行料と税金を免除にすることはできますかしら」
王都から連なる街道の、東の果てはユマ国との国境である。二国は友好国ではあるものの、山越えがあるため商人の往来が少ない。薬草や絹製品などは高級品として人気だが、運搬費と関税で庶民には手の出ない高値である。その通商を活性化させることで、勝手に東部は開発されていくとラウラは言う。
果たしてさびれた街道の通行量が増えた程度で開発につながるのかと、半信半疑ながらもセミルは議会に案を通した。しかし蓋を開けてみれば、ユマ国の商人たちが山のように押し寄せ、バクリアニ王国からも買い付けの荷馬車が関所に列を成した。商人たちは利鞘が太ければ、山だろうが海だろうが超えてしまうのだ。
斯くしてあっという間に東の街道は整備された。そして数か所に設けておいた国営の旅籠の周りに街ができ、さらに数年後には街道の近くで銀山が見つかるという、おまけまでついた。
この時点では、まさか森林しかなかった東部で、そんな大改革が実現するとは誰も想像さえしなかったが、それから約10年後この道は、国内で最もにぎわう大街道となる。




