第七話/ 王室の新しい決まりごと
それから程なくして、グレーテはロサナリア領へと発った。最後まで蟄居を命じられたことに反発していたが、とうとう実父のロサナリア公爵が平手打ちをし、今度は泣き狂いながら馬車に押し込まれるという、公爵家の嫁にあるまじき醜態を演じた。
ようやく嵐が去ったカラバフ公爵家から、今度はセミルが馬で出立した。行く先はロットレング領である。親友、レニクス・ハルシュカの墓参りという名目にはなっているが、ラウラにある報告を届けることが主たる目的であった。
アレン亡き後、ラウラは基本的に領地で過ごしている。官職の夫がもういないため、ひとり王都で暮らすことは不自然だからだ。6年間住んだ家も、既に売りに出している。今後はリヴォフ夫人から相続した小さなタウンハウスが、ラウラの王都の家となるのだ。
領地に戻ったお陰で、子どもたちと再び一緒に暮らせるようになったが、生粋の貴族として生きる彼らに影響を与えないよう、以前のように密接な子育ては控えていた。
そのため、最近ではいろいろと考える時間ができた。しばらく閉鎖していたロットレング・スパも再開し、また何か新しい事業でも始めようかと思っていた頃、セミルが義兄の墓参りにやって来た。
早春の丘の道を、侍女たちを伴い墓地へと歩く。そう言えば、初めてセミルと会ったときも、こうして墓参りに訪れたのだ。ラウラは懐かしく過ぎた日を思い出していた。義兄の墓前で祈りを捧げ、セミルが誰に語り掛けるともなしに、ぽろりと言葉をこぼした。
「グレーテを、実家に帰しました」
そうなるとは思っていた。毒殺を企てたのだから、処分が甘いくらいだ。ラウラは「そうですか」とだけ答え、墓石に刻まれた名を眺めた。レニクス・ハルシュカ。生きていれば27歳である。いったいどんな人だったのだろう。
「この次、何か不始末をしでかせば、離縁しようと考えています」
ラウラは驚きに身を堅くした。公爵家同士の結婚で、離縁などできるはずがない。目を見開くラウラに向かい、セミルが真っすぐに視線を合わせた。ラピスラズリのような、澄んだ濃い青の瞳だ。牧歌的な春の風景に似つかわしくない、緊張した空気が辺りに張り詰める。
「もちろん法には従うので安心してください。でも、本当にもし……そうなったら。その時は、私は貴女に求婚しようと決めています。それを、お伝えしたかったのです」
そう言ってセミルは帰って行った。残されたラウラは予想しない展開に、考えがまとまらず狼狽していた。その夜は自室で杏のリキュールを3杯飲み、ようやくセミルに言われたことが理解できた。
公爵家と子爵家の結婚は家格の差が大きく一般的ではないが、過去に例がないわけではない。ラウラがハルシュカ家を相続するなら、四男のセミルが養子になることも辞さない。もし婿入りをカラバフ公爵家から反対されるなら、ラウラの長男スウェンを次の子爵に据えて、自分が後見人に立てば良い。セミルはそう言った。
彼は実に、様々な手段を考えていた。それだけ強く結婚したいと思ってくれることは、女性として素直に嬉しかった。彼は本気だ。そしてグレーテが何かとんでもない事を起こす可能性は、大いにある。ラウラは今まで考えもしなかった、セミルとの結婚を想像してみた。
セミルと結婚すれば、この上なく尊重してもらえるだろう。貧しい民を救いたいという、ラウラの夢にも共鳴してくれる。愛しているかと言われれば、正直わからない。自分にはそういう経験がないのだ。もしかすると、一緒に暮らすうちに芽生えてくる感情があるかもしれない。
「出生の秘密は、絶対に隠し切るしかないわね」
ラウラは独り言ちた。アレンにも、とうとう打ち明けなかった、自身の出自。思えば、孤児から貴族へ、通常ではありえない道を歩いてきたものだ。マダムやシャオ大老、リヴォフ夫人など良い人々との出会いがあったからこそ、こうしていられる。もしも孤児のままなら、寒空に飢えて死んでいたかもしれない。あるいはどこかの娼館で、男たちの慰みものになっていたかもしれないのだ。
セミルとの結婚が実現するかどうかは、神のみぞ知ることであるし、自分は喪中の未亡人である。本来であれば、そんなことは考えるような時期ではないのだが、ラウラの心の中で、優しい男に守られて生きるのも悪くない、という思いが芽生えたのは確かだ。ラウラはやっと数えで22歳になったばかりであったが、些か人生にくたびれていたのだ。
貴族院で、バクリアニ王国における王族の継承制度がようやく決議されたのが、間もなく夏が終わろうかという頃。菊熱の収束から延々と紛糾していた議会が決定した法案に、誰もが驚くと同時に、それもまた仕方なしという反応だった。
バクリアニ王国の王太子が菊熱に罹患し、嫡子が望めなくなってしまったことで、開国以来受け継がれてきた男系の系譜が途絶えようとしている。現王妃は前王妃が崩御の後に輿入れをしたためまだ三十路前。新たな子の誕生が期待されてはいるものの、国王自身が既に50代であるうえ、王族は子ができにくいとあって希望は薄い。
そこで、もしも王妃が男子を生まなかった場合の対策として、近親の家系から養子をとるか、国王に王妃以外の女性を宛てがうか、その二択で議員たちの意見が真っ二つに分かれていた。そして、結果的に後者が採択された。王室にバクリアニ王国初の「公妾制度」が導入されたのだ。
「公妾、って王室から認められたお妾さん、ってことですか?」
「そうなるわね、有体に言えば」
ラウラの髪を梳きながら、ドロテが興味深そうに訊ねた。いま、街の噂は王室のお妾さんで持ちきりである。現在は国王と貴族院で候補者の審議をしている最中で、来年早々にも指名が行われるだろうという噂だ。
近隣諸国では、王に側室を設けて継承者を絶やさぬようにするが、バクリアニ王国はもともと血統に強くこだわってきた国で、国教の戒律により婚外の姦通はご法度である。そのため、たとえ国策と言えども、公妾として召し上げられるのは一名のみ。その他にも多くの条件が設けられていた。
「既婚者でないといけないって、よくわからない理屈ですね」
「その後に続く条件があるのよ。これまでに男児2名以上を出産し、そのいずれもが健康に育っている30歳以下の貴族女性。要するに、健康な男の子を確実に産んでくれる、身分が高くて若い女性を募っている、というわけ」
「そうなると、かなり限定されてきますよね。第一、自分の奥さんを国王に差し出さないといけない旦那さん、複雑な心境じゃないですか?」
「どうかしら、貴族は政略結婚だし、自分の家ではすでに世継ぎは産み終わってるわけだもの。だったら、国王のお手付きになったと喜ぶ家の方が多いんじゃない。子を産めば褒章もいただけるそうだし」
「うーん、貴族ってよくわかりませんねぇ」
リーザとドロテには、この制度が不思議に思えてならないようだ。ラウラもそうである。そこまでして自分の子にこだわらなくても、世の中には親のない子はごまんといるではないか。国王が跡継ぎを欲しがれば、わが子を差し出す高位貴族も後を絶たないはずだ。それでもやはり、この国は純粋な血統にこだわるらしい。
とりあえず、来年まで喪中のラウラには関係のない話であった。それよりも今は、新しい事業計画で頭が一杯である。「ロットレング薬湯店」は、あまりに好評なので王都二号店を設けることにした。
そして、スパで人気の高い甘藷の菓子を販売する店も、王宮の近くに土地を押さえてある。その店にはカフェが併設されるため、人員の確保も急がねばならない。来週は王都に出向いて、ロトス銀行で融資の打ち合わせに入る予定だ。
さらには、ティティの医学校も大幅な拡大が決定している。菊熱という国家の危機を体験し、医療の普及が最重要事項と認識されたため、低所得者層の住む界隈に国立の救済院が設立されることになったのだ。もちろん、指揮を取るのはセミルである。
ラウラの願いを着実に実現化していくセミルの手腕は、若手議員の中では突出していると、貴族院の中でも高い評価を得ていた。中には「次の宰相はブライガ卿では」と噂する者もいるほど、この時点では全てが希望に満ち、躍動的に進んでいたはずなのだ。
しかし運命の歯車は、彼らの知らぬところで既に不協和音を奏でていた。




