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公妾/maîtresse royales  作者: 水上栞
◆ 第一章 奴隷の少女、ラウラは娼館に売られた
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第三話/ ブラック・マーケット



 知恵が回ることに関しては、上手く隠したラウラだったが、容姿が特別に良いことは隠しようがなかった。ラウラは男から投げられる視線を疎ましく思っていた。それはかつて過ごした教会の孤児院で、司祭から「部屋においで」と呼ばれるときの、ねっとりと纏わりつくような、劣情を含んだ眼差しであった。



「お客さん、うちはそういう宿じゃないんでね」



 女将は強欲な女だったが、人並みの倫理観は持ち合わせていたようだ。何度か不埒な客がラウラを買いたいと交渉したことがあったが、にべもなく断った。そもそもこの国では娼館であっても、客の相手をするのは13歳からと決まっている。一応は国から許可をもらって営業している宿だけに、子どもに客を取らせるなどもってのほかであったのだ。




 しかし、主人はそうではなかったようで、ある日ラウラの身に恐ろしい出来事が起こった。女将が村へ買い出しに出かけ、数日帰ってこないという夜だった。



 主人から、いちばん上等な客室に湯を持って行くように言われたラウラは、厨房で桶に湯をもらって部屋のドアをノックした。



「お湯をお持ちしました」


「入りなさい」



 ドアの外で受け渡したかったが、客に言われて部屋に入った。良い部屋に泊まっているだけあり、身なりの立派な中年男性だ。この人もラウラをじろじろ眺めたので、さっさと桶を置いて立ち去ろうと思った、その時。


 ラウラの手を客が乱暴に引っ張り、寝台に体を押し倒した。湯が派手に飛び散り、桶が床を転がる。何が起こっているのか理解する間もなく、ラウラは猿轡を噛ませられた。


 ラウラは突然の恐怖に慄きながらも、これから自分が何をされるのかを察知した。司祭館で行われた、あの不快な秘密の儀式だ。もう教会を出て無縁になったと思っていたのに、またここでも嬲られるのか。しかも、手加減をしていた司祭と異なり、この男は小さなラウラを無遠慮に凌辱した。猿轡のせいで声もあげられず、ただ嵐が過ぎ去るのをラウラは泣きながら耐えるしかなかった。






 4日後、女将が旅籠に帰ってきたとき、ラウラは高熱で意識がなかった。主人は客に嗜虐趣味があるのを知らずに金を受け取り、ラウラが傷つけられたことに狼狽えていた。ラウラはあの夜、何とか自力で部屋まで戻ったものの、無理強いされたことで感染症を起こし、もう助からないのではというほど弱り切っていたのだ。



 ぐったりとしたラウラを見た女将は烈火のごとく怒り、怯える主人を物置に連れ込んで火かき棒で打ち据えた。そして事の始終を白状させると、森の番小屋から馬を出させて村の医者を呼んだ。ラウラに情があったわけではなく、死なれると払った代金が丸損になるからだ。



 治療の甲斐あって、ラウラは一命を取り留めた。しかし、女将はラウラをもうこの宿には置いておけないと判断した。見た目が良いので、成長したら客を取らせて稼ごうかと思っていたが、こんな年端も行かないうちから、この娘は男を惹きつけすぎる。そのうち疫病神になるだろう。


 自分の亭主がラウラを物欲しそうに見ていたのも知っていた。それも腹立たしかったので、思うさま痛めつけてやった。それより、この件が代官に知られるとまずい。表向きは健全に見せかけてはいるが、子どもたちは闇取引の奴隷であり、帳簿の改竄も行っている。保身に焦った女将は、再びラウラを人買いの男に売り渡した。






「久しぶりだな、チビさんよ。お前もつくづく運がねぇな」



 ラウラを森の中の旅籠へ運んできた男が、今度は王都へ彼女を運んで行った。見たこともない豪奢な石造りの建物が建ち並ぶ通りを過ぎ、景色は次第に猥雑な路地へと変化した。やがて男は荷馬車を止め、ラウラの足の縄を解いて薄暗い細道の突き当たりの家に導いた。


 外から「俺だ」と男が声をかけると、木造りの粗末な家には不似合いな、分厚い鉄扉の奥からコンコンとノックの音がした。それに応えて、3回、1回、2回のノックを返す。ゆっくりと戸が開いて、中からむっとするような香と酒の匂いが溢れ出てきた。




「お前はこっちだ」



 ラウラはカーテンで仕切られた小部屋に押し込まれた。薄暗さに目が慣れると、ジェンと同じくらいの年の少女が二人、怯えたようにこちらを見ているのに気づいた。ラウラではなく、その後ろに立つ人買いの男を恐れている様子だ。



「これからお前たちを競りにかけて、いちばん高い値をつけた客に売り渡す」



 競りという概念がラウラにはわからなかったが、また売られてどこかへ行くらしい。もういい加減、一所に落ち着きたかった。ひっそりと暮らせるのであれば、仕事はきつくても構わない。



「いいか、羽振りのいい客に買われたいと思ったら、なるべく愛想よくしろ。奴隷でも、買われる先の善し悪しで、天と地ほど暮らしが違うんだ」



 それはラウラにも理解できた。実際、孤児院では泥水のような雑穀粥だったが、旅籠ではパンが与えられた。それだけでも、頑張って働こうという励みになるものだ。しかし、奴隷に主人の選択肢はない。せめて今度はまともな主人に買われますようにと、ラウラは小さな手を握りしめて運頼みをするしかなかった。




 やがてカーテンの向こうがざわめき始め、ランプの明かりが灯る。ラウラと二人の少女はカーテンの奥から引っ張り出され、部屋の中央に並ばされた。その周りを取り巻くように椅子が置かれ、5~6人の男女が腰かけている。


 部屋の壁には赤い羅紗が張り巡らされ、禍々しい雰囲気だ。入り口の扉の厳重さといい、後ろ暗い取引なのは間違いない。しばらくすると人買いの男が木箱を持ってきて「服を脱げ」とラウラたちに命令した。



 ラウラも驚いたが、二人の少女は体が成長しているぶん抵抗があったようで、ぐずぐずと嫌がり男に平手打ちをされていた。ラウラは諦めてさっさと服を脱いだ。今まで抵抗してうまく行った試しなどない。



「娼婦の品定めをするんだから、裸にならなきゃ始まんねぇだろ!」



 ラウラは娼婦の何たるかさえ知らなかったが、どん底だと思っていた暮らしに、さらに底があるのだと思うと絶望した。やがてラウラは、木箱の上に立たされた。粗末な木肌がささくれて、足に棘が刺さったが我慢した。人買いの男が鞭を持っていたからだ。



 そのうち椅子に座っていた人たちが立ち上がり、ラウラの体を調べ始めた。いろいろな格好をさせられ、隅々まで傷がないかを確認され、果ては口の中まで見られた。彼らはまるで牛や馬の品評をするがごとくラウラを値踏みした。



「滅多にない別嬪だが、使い物になるまで先が長いな」


「焼印があると高い金が取れんし、ちょっと難儀な買い物だろうよ」




 いくら稀有な美貌と言っても、いかんせん6歳である。しばらく店には出せないし、金持ちの遊び道具にするためは囲う場所もいる。さらには奴隷の印がついた娼婦は、普通の半分ほどの金しか取れない。彼らはすぐに稼げる駒を求めていたので、ラウラにはあまり食指が動かないようだった。



 それを聞いて、ラウラは自分が売れ残るのではないかと怯えた。そうなると、あの人買いは自分をどうするだろう。鞭で打たれるならまだいい。殺されてどこかに捨てられるのではないか。さっきは愛想よくしろと言われたが、それでどうにかなる問題ではない気がする。その時、ラウラの頭にある知恵が閃いた。




「あの……」



 おずおずと口を開いたラウラに、全員の動きが止まった。まさか彼女が口を開くとは思っていなかったのだ。人買いの男が何か言いかけたが、構わずラウラは先を続けた。



「私を買うと、いいことがあります」


「おい、黙ってろ!」



 人買いの男が凄んだが、客の一人がそれを制した。



「まあまあ、聞こうじゃないか。お前を買うと、どんないいことがあるのかね」


「お金が……、お金がもらえます」



 これには全員目をむいた。ほとんどの買い手は、子どもが馬鹿げたことを言っているのだと呆れたが、奥に座っていた黒い服の女性がラウラに問いかけた。



「お前は一文無しの奴隷だろう? どこから金が出てくるんだい」



 ラウラはしばらく考えて「言えません」と答えた。女性は口の端を歪めてラウラを睨みつけた。



「金の出どころもわからないのに、買ってくれと言うのかい?」


「ここで言ってしまえば、私を買わずにお金だけ取られるかもしれません。だから、私を買ってくれたら教えます」



 女性はじっとラウラを見ていたが、いきなり大声で笑いだした。何かおかしなことを言ったのだろうか。わけがわからず茫然とするラウラに歩み寄り、女性は手に持った扇を突きつけた。



「私を相手に交渉するとは、いい度胸じゃないか。気に入ったよ、お前を買ってやろう」



 それは、ラウラがどん底から這い上がる、蜘蛛の糸だった。そして、彼女の賢さが功を奏した、初めての成功体験でもあった。





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