第一話/ 紳士淑女の保養地
着工から一年。ロットレング領の温泉保養施設が完成した。とは言っても、最初は必要最低限の施設だけで、段階的に規模を大きくしていく。これは、融資額を抑えるためでもあるが、次々と新しい施設を小出しにしていくことで、くり返し訪れる人に、常に目新しさを感じてもらう効果も狙っている。
特に貴族の社会では、噂が噂を呼ぶ。評判を聞きつけ我先にと訪れる人が増えれば、それが彼らの競争心を煽るのだ。ラウラはそういう貴族の虚栄心まで目論んで計画を立てていた。
お披露目として、高位貴族のご婦人方をご招待したのも作戦のひとつだ。完成する半年前から王都の各地で予告の看板を出し、2ヶ月前に招待状を届けた。五公をはじめとする国内の名家15組だけをご招待、というのも優越感をくすぐったようで、ほぼ全ての招待が快く受理された。
当日「ロットレング・スパ」まで、街道から切り開かれた私道を、きらびやかな家紋を掲げた馬車が何台も駆け抜けた。着いた先には、緑の森の中に鳥の羽のように広がる白亜のホテル。その中に贅沢な客室、カフェ、レストラン、そしてもちろん主となる温泉施設がある。
「いらっしゃいませ。まずは、ロットレングで栽培しております、ハーブの薬湯をどうぞ」
旅の疲れを癒す香りのよい薬湯を飲みながら、ゲストは温泉についての説明を受ける。初めて体験する美容術も、ご婦人たちには期待が大きかった。みんなお茶会には退屈しているのだ。新しい娯楽は大歓迎である。
貴族の場合は使用人を伴うため、施設側の労働者が少なくて済むのも、大きな利点である。また、来訪する貴族たちも、事業を行うのが子爵家ということで、利用においての抵抗感がなかった。
最初に女性だけ招待したのは、彼女たちが暇を持て余し好奇心旺盛でお喋りだからだ。これで王都に評判が広まれば、自然に男性の客もついてくる。
「ではまず、お体を洗いますね。こちら、ロットレング産の天然ミントオイルで作った石けんでございます」
「まあ、爽やかな香りね」
「ありがとうございます。お気に召しましたら、お買い求めいただくこともできますので、どうぞお申し付けください」
訓練を重ねた、リンたち「入浴師」が、客に付き添い入浴の世話と美容術を担当する。温い湯から熱めの湯へ順に浸かり、程よく皮膚が和らいだら、清潔なシーツが敷かれたベッドに横たわる。
「ゴマージュで古いお肌を落として、すべすべにいたしますね」
雑穀を蒸してオイルに混ぜ、その粒でマッサージすることで、通常のオイルマッサージよりも、美肌効果が高くなる。その後、温泉の湯で洗い流して薔薇水で保湿、ハーブのクリームとオイルを塗る頃には、眠ってしまう客も多かった。
「ああ、気持ちいい。肌が陶器のようだわ、触ってみてちょうだい」
侍女に肌を触らせて、悦に入っているのは、公爵家の中でも武勲で知られるロサナリア家の夫人である。彼女は、火山の上流で採取される泥の美顔を大変お気に召して、担当の入浴師に金貨のチップをはずんだ。庶民にとっては大金である。
「私は髪の栄養剤が気に入りましたわ。ふわふわで、さらさら。なんだか自分の髪ではないみたい」
セミルの母君、カラバフ公爵夫人もご招待した。彼女は卵の黄身を使った髪の美容にご満悦である。また、絹糸を使った脱毛術も受け、つるつるになった自分の手足に驚いていた。娼館の美容術、恐るべしである。
どのゲストも一日何度も温泉を楽しみ、ゆったりしたガウンでお茶を飲んでは、好みの美容術で肌を磨く。そして誰もが、帰りには馬車に積みきれないほどの、石けんや薔薇水、ユマ式の絹のガウンなどを買って帰った。
リヴォフ夫人も、大いに温泉を楽しんでくれた。実際、若手のご婦人たちをまとめてくれたのは彼女である。リヴォフ夫人は腰痛や胃痛に悩まされていたが、温泉に数日浸かっていると、ずいぶん軽快したと嬉しそうだった。
「この甘藷というものも、気に入りました。健康にもよいなら、積極的に食べることにしましょう」
それを聞いて、ラウラはこっそりと試作段階の甘藷パイをリヴォフ夫人の馬車に忍び込ませた。「勝手なことを」と言いながら美味しそうに食べる姿を想像して、ラウラは一人にやにやとした。
この上位貴族のご招待は、絶大なる宣伝効果をもたらした。彼女たちが帰って数日後には、中位貴族から次々と予約の打診がやって来たのだ。
「ラウラ様、もう半年後の予約まで埋まってしまいました!」
アーチから嬉しい悲鳴が上がる。ここでラウラは次の計画を決行した。ホテルの増築と、別荘地の区画販売である。別荘地の方は、もう少し認知度が上がるまでは売れないと思ったが杞憂に終わった。最初に来た上位貴族の家々が、争うように購入したからだ。
「上方修正した方がいいかしら。男性向けのサービスも、少し前倒しにするわ」
思ったよりも客足が伸びたので、男性客の取り込みを強化することにした。女性専用と思われては、印象の上書きが難しくなる。
ラウラは医療面を強く打ち出し、腰痛改善の温石治療を宣伝した。これは年配の男性に大好評で、川で採れる火山質の石を温泉で温め、麻袋に入れて患部に置くだけだが、日毎に体が軽くなると絶賛された。
また、男性客向けに力の強い農家の男を雇って、揉みほぐしのマッサージを行った。女性向けの美容術と異なり、かなり荒々しいものであったが、これが意外にも大好評で、風呂上りに順番を待つ紳士たちのためにバーも設けられた。
やがて開業から半年も経つ頃には、別荘区画が6つ売れ、屋敷の建設も始まっていた。ホテルの部屋数は倍になり、少しだけ値段の安いホテルをもう一軒建てることも考えている。貴族の爵位により、分けておいたほうが何かと揉め事が少ないからだ。
ただ一つ困っていることは、お土産用の甘藷の菓子が売りきれてしまうことである。買って帰ろうとしても、既に完売していることが多いため、来た当日に予約をしてもらい、帰りに引き渡すことにした。
中にはどうしてもレシピを知りたいと、駄々をこねる貴族もいたが、それは門外不出である。第一、新鮮な甘藷とロットレングの良い水がないと、同じ味にはならない。
そして、間もなく訪れる「ロットレング・スパ」一周年には、ダンスホールの開業が決定している。そこで行われるこけら落としの舞踏会は、もう既にチケットが完売した。ホテルも満室の予約で、お祭り騒ぎが予想される。おそらく、アーチの派遣期間が終わるずっと前に、融資額を完済できそうだ。
「しかしまた、新しいご融資をしましたからね。まあ、それもこの調子ならあっという間でしょうが」
「こればかりは、少しお金がかかったわね。でも、きっと殿方が夢中になるわよ。貴族の男性は、遊びが好きだから」
ラウラは外国の競技から暗示を得て、草原で球を打つ遊びを考案した。田舎の地形を利用した、屋外型の遊興である。先を平たくした棒で球を打ったり転がしたりして、少ない手数で穴に入れれば勝ちというものだ。
これを試しにやってみたユーリ・ハルシュカや分家の男性たちは、すっかり熱中したようで、週に2回ほど集まって遊んでいる。これならきっと王都の貴族にも好まれるはずだ。
そしてラウラが予想した通り、この「フィールドボール」はロットレングの名物となった。セミルも何度か訪れ、男性の友人たちと競技を楽しんでいた。
ちなみにお父上であるカラバフ公爵から怒られたそうで、彼はもう薔薇の花束は贈ってこなかった。それでもラウラを見ると頬を染めてもじもじとする。間もなく父親と同じく議員職に就くようだが、ちゃんと仕事ができるのか心配になるほど、セミルには幼さを感じる。
このような調子で、ラウラの領地改革は軌道に乗ったと言える。義父も最近では収益と経費の計算など、アーチに習って頑張っているようだ。ロットレング領が貧乏から脱出するのも、あと少しであろう。
なお、予想外のこともあった。貴族が大挙して街道を通るようになり、その道筋が整備されたのだ。これは貴族たちが自ら出資した分もあるが、商人たちがロットレング・スパに向かう貴族を客にするため、自腹で道を修繕して宿や茶店を開いたからだ。
全く商魂たくましい話だが、このときの経験が後のラウラに大きな知恵を与えることになった。人生はすべてが勉強である。




