第七話/ 毒と華の社交術
黒蝶館を出て以来、王都には縁遠くなったラウラに、リヴォフ夫人から彼女のタウンハウスにしばらく逗留するようにとの手紙が来た。領地改革で忙しい時期ではあったが、大御所から直々に呼ばれれば行くしかない。幸いにもハルシュカ家には優秀な家令、アーチがいる。大抵のことは彼に任せておけば何とかなるだろう。
こうしてラウラは久々の王都生活を送ることになった。とは言っても、黒蝶館で暮らした子ども時代は、馬車の中から見るだけの風景であったので、今度は自分で自由に街を闊歩できると思うと、年頃の娘としては胸の高鳴りを抑えきれない。
「久しぶりですね、ラウラ。貴女、とんでもない事に着手したと聞きましたが」
相変わらず、棒を飲んだように背筋がまっすぐのリヴォフ夫人が、応接間でラウラを出迎えた。貴族街の中心部にある、瀟洒な屋敷がリヴォフ夫人のタウンハウスである。広くはないが上質な内装が施されており、ラウラにも浴室と侍女部屋付きのゲストルームがあてがわれた。
国によって異なるが、バクリアニ王国の社交シーズンは秋の終わりから年明けごろである。この間に貴族院で国会が開かれ、帯同した家族たちの間で社交が行われる。ハルシュカ家は官職はじめ王都の役職に縁がないため、このシーズンに王都に滞在することはなかったが、これから婿取りを考えるラウラが全く世間に知られていないのも問題があると、リヴォフ夫人が気遣ってくれたようだ。
「実は、義父と義母がここへ付いてくると申しましたが、置いて参りました。それでよろしゅうございました?」
「ええ、それで結構。あの方々とお話をしていると頭が痛くなります。特に、あの奥方は」
相変わらず、ずばずばと毒を吐くリヴォフ夫人であったが、ラウラのために芝居のチケットなど文化的な催しの手配をしていてくれた。これから約1カ月、ここで中央貴族界の勉強をするのだ。また、フィニッシングスクールに通っていないラウラのために、高名な家庭教師も招いてあった。貴族にとっては実際の教養のあるなしではなく、誰から学んだかという経歴が重要な格付けになるからだ。
「ところで、カラバフ公爵家のセミル様ですが、王都へ出向いた際はお知らせするように言われていたのですが、どうしたらよいでしょう」
例の薔薇の一件を、予めリヴォフ夫人には手紙で知らせておいた。高位貴族のあしらい方は、間違えると大変なことになる。こういうことは、リヴォフ夫人の判断に委ねるのがいちばんだ。
「貴女の立場を考えれば、なるべくカラバフ卿とは親密にならない方が賢明です。ここへの滞在も、お知らせしなくてよいでしょう。私の家なので遠慮したと言っておけばよいのです」
「そういたします。対処に困っておりましたので、お知恵を頂けてよかったですわ」
しかしその翌朝、またもや両手に抱えきれないほどの薔薇の花が、リヴォフ夫人のタウンハウスに届けられた。カードには「ようこそ、王都へ」。諜報でも雇っているのかと恐ろしくなったが、ラウラのために手配した家庭教師から情報が漏れていた。その教師はセミルの妹の教師でもあったのだ。
「困りましたわ」
「仕方がありません。失礼がないよう、お礼状だけ出しておきなさい。貴女に関しては私を通すようにとの意味も込めて、カラバフ公爵家には私の方からもお礼を申し上げておきましょう」
普通ならそれで鉄壁の守りとなるのだろうが、セミル・ブライガにそれが通用するかどうか。ラウラは朝食の紅茶を飲みながら、うんざりとした気持ちになった。
「ところでラウラ、貴女にお茶会のお誘いを頂戴しております」
「お茶会、ですか?」
田舎の分家のお茶会なら、毎日のようにどこかで行われている。下級貴族のご婦人たちが集まって、くだらない話を延々としながら菓子をつまむ、すこぶる退屈な会だ。
「ええ、貴女はまだデビュー前ですから、夜の催しには出られませんが、同じ年代のご令嬢のために、昼間の茶会が開かれます。そのうち、お付き合いせねばばらない方々です。ぜひ、ご挨拶代わりに出席なさい」
なんとなく嫌な予感がしたが、断るという選択肢はない。ラウラは素直にうなずいて、明後日に有名ホテルのティールームで開催される、茶会の準備をすることにした。
茶会当日、ラウラはとにかく「目立たない」ことに注力した。自分の容姿が目につきやすい事は自覚していたし、それは男性にとっては武器になっても、女性同士では妬みの対象になることも熟知していた。茶会に参加する中では、家格もかなり低い方だろう。理不尽な意地悪をされないためにも、ラウラは地味なドレスを選び、大人しい田舎の令嬢を演じることにした。
しかしそれでも、捕食者は獲物を見逃さないものだ。貴族院で大きな発言権を持つ、辺境伯の娘エミナが、やたらとラウラに絡んで来た。彼女はラウラより2歳年上で、毎年シーズンには茶会に参加している、いわば会の女王的存在であった。
「ラウラ様は10年も療養所にいらっしゃったのでしたら、世の中のことは何もご存じないのでしょう? おかわいそうだわ」
もちろん、かわいそうとはこれっぽっちも思ってはいない。田舎者の世間知らずだと嘲笑っているのだ。ラウラは薄く微笑み、その当てこすりを流すことにした。
「ええ、何も知りませんの。皆さんに教えていただかないといけませんわね」
「お父さまは子爵でしたかしら、伯爵はお継ぎになりませんでしたの」
「はい、伯爵は父の兄が相続しました」
「まあ、儀礼称号ではございませんのね、なんてお気の毒なのでしょう」
ずっとこの調子で、やれ教養がない、貧乏、家格が低いということを、やわやわと攻めては皆で嘲り笑うのである。逆に言えばそれ以外、つまりラウラの完膚なきまでの美しさは、その場にいる令嬢たちの存在を脅かすものであった。
大人の社交界にデビューしたとき、彼女たちがどんなに金をかけて着飾っても、ラウラが会場に姿を現せば、男性たちの興味は全て持っていかれてしまうだろう。家柄にも容姿にも自信のあるエミナにとって、新しく出現したラウラの存在は目障りだった。
とりわけ彼女は今年16歳になり、年末の王宮舞踏会で華々しくデビューをする予定である。話題の令嬢として、最も自分に注目が集まる立場でないと我慢ならなかった。まだ年若いとはいえ、邪魔な存在は潰しておかねばならない。できれば田舎に引っ込んで、このまま中央社交界に出てこないで欲しい。
「ロットレング領は、王都の東側ですわね。自然が豊かで羨ましいわ。でも、こちらへはずいぶん長い旅になりますでしょう?」
「ええ、二日ほど」
「王都に家をお持ちではないのでしょう? 大変ですわね、お宿の手配も」
「知人のお宅にお世話になっております」
「まあ、どなた?」
どうせ遠縁の三流貴族あたりだろうと思って、深堀りしたエミナだが、その質問をしたことを後悔した。
「リヴォフ夫人のお宅です」
皆がはっと息をのんだ。タレス王朝、最後の皇女。バクリアニ王国で5公と言われるリヴォフ家に嫁ぎ、現在の宰相であるセレフツィ公爵の母親である。その大物貴族の家に逗留している美貌の令嬢に、一気に場の興味が移った。
貴族社会は力の釣り合いで出来ている。後ろ盾にリヴォフ家がついているとなれば、エミナよりもラウラに取り入った方が得策である。さっきまでエミナに同調していた取り巻きたちも、猫なで声を出してラウラに近づこうとし始めた。
「まあ、不思議なこと。いったい、ロットレング領の子爵令嬢とリヴォフ夫人が、どんなご縁があるのかしら。お伺いしてみたいものですわね」
いらいらしながら、エミナがラウラに切り込む。ラウラはやんわりと笑って、エミナにとどめを刺した。
「わかりました。ご本人がここへ迎えに来てくださいますので、どうぞ直接お聞きになってください」
迎えに来たリヴォフ夫人に、当然のごとくエミナは叱責された。王都を代表する一流ホテルの玄関口で、衆人の目に晒されながらである。間もなく迎えるデビューの場で、彼女がどう噂されるかは推して知るべしであろう。
「私とロットレング子爵令嬢の関係が、貴女にどのような関係がございますの」
「い、いえ、私は単なる興味でお伺いしただけで……」
「そうですか。伯爵家では興味があれば、他人の個人的な事を詮索してよいとお教えになっていらっしゃるのでしょうね。どうも貴女の受けた淑女教育は、私が知っているものとは違うようです」
半泣きのエミナに礼をして、リヴォフ夫人と馬車に乗り込んだラウラは、ほっとすると同時に、少し心配になってきた。
「ちょっと、やりすぎましたでしょうか」
「まあ、悪目立ちしたかもしれませんね。でも、これから貴女が足を踏み入れる社交界は、もっと恐ろしい場所ですよ。今のうちにせいぜい練習しておくことです」
馬車の車輪がガタガタと音を鳴らし、石畳を進んでいく。なかなか不愉快な王都の洗礼ではあったが、ラウラは少しも負ける気がしなかった。




