第六話/ セミル・ブライガとの邂逅
領地改革で忙しく動いているラウラだったが、対外的には「療養から帰り優雅に過ごす深窓のお嬢さま」ということになっている。そのため、たとえ設計図を見ながら夜更かしして目が血走っていても「花冷えの頃は寝つきが悪くて」と、弱々しくまつ毛を伏せる仕草が求められる。
たまに子爵家に来客があるときや、分家の屋敷に呼ばれたときなども、嫌々ながら儚げな貴族令嬢になり切って、子爵夫妻の面子を保っている。今日もそんな苦手な来客の日である。しかも、訪問者は公爵のご令息だそうだ。
「くれぐれも、くれぐれも、粗相のないように」
満艦飾に飾り立てた義母のエルカに念を押されて、ラウラはうんざりしていた。彼女は不美人ではないが、どうやっても野暮ったい。田舎で生まれ育つと、貴族もこうなるのかという見本である。
一方、ラウラは娼館で最新のドレスを見慣れていたし、シャオ大老の家では実用的ではあるが上質な衣服を与えられた。そのため同じ年の娘よりも服飾に目が肥えており、自分を良く見せるコツを知っていた。
この日は、わずかに黄味のある象牙色のドレスに、ミルクティー色のサッシュを巻き、瞳の色に合わせた小さな緑の石の連なるネックレスを着けた。ごく控えめでありながら、ラウラの持ち前の美貌を際立たせる組み合わせだ。赤銅色の髪は艶がよく映えるように、上部をふわりと結い上げて、裾は丁寧にブラシをかける。
13歳のラウラは、ほぼ大人と変わらない背丈になった。胸や腰にもふっくらと肉が付き、若々しく女性的なシルエットを描いている。ハルシュカ家を訪問した男性客は、そんなラウラを見て息をのみ、やがてちらちらと盗み見するのが常だった。
「……これは失礼、カラバフ公爵家、セミル・ブライガです」
その男性がようやく名前を名乗ったのは、ラウラが膝を折って淑女の礼をし、自己紹介をしてから約1分後であった。その間、彼の目はじっとラウラに釘付けになっていた。ちらちら見たり流し目をくれる男性は多いが、こうもあからさまに眺められたのは初めてだ。
「カラバフ卿、どうかなさいましたかな」
様子がおかしいことに気づいたユーリ・ハルシュカが尋ねる。カラバフ卿と呼ばれた男性は、ふるふると頭を振り、照れくさそうに顎を撫でた。
「いや、申し訳ない。レニにこんな美しい妹御がいたとは、驚きました」
レニとは、数年前に落馬で亡くなった5歳年上の兄、レニクスのことである。セミル・ブライガは、レニクスの親友であった。貴族の子息が10歳から入る寄宿学校の同級生であり、家格を超えた交誼を結んできた。
しかし、その後レニクスは経歴に箔を付けるため王立騎士団に入隊し、一年目に事故で亡くなった。その時のセミルの悲しみは並々ならぬもので、以来こうして時おりハルシュカ家を訪問しては、故人の墓を弔っている。
ラウラが子爵家に居を移してからも、一度来訪したそうだが、その時ラウラはシャオ家に「療養」に行っており、今回が初めての接見である。
セミルはすらりと長身で、艶のある飴色の髪と藍色の目を持つ。取り立てて美男子とは言えないが、人好きのする爽やかな笑顔が印象的な青年だ。多くの人々に愛されて育った、大貴族の末息子というのがよくわかる。一同は他愛もない近況の話を交わした後、レニクスの眠る墓所を訪うことにした。
「ロットレング領は、大規模な改革に乗り出されているのですね。実に楽しみです」
「ええ、兄が生きていたら父の手助けができましたのに、残念でなりませんわ」
ラウラは長いまつ毛を伏せ、寂し気に俯いた。その横顔を、セミルが凝視している。子爵邸から歩いて20分ほどの小高い丘の上にある、レニクスが眠るハルシュカ家の墓所まで、ラウラをセミルがエスコートし、その後ろに子爵夫妻と侍女たちが続いた。きっと後ろを歩く夫妻も気づいているだろう。セミルがラウラに並々ならぬ興味を抱いてしまったことを。
「あっ」
「ラウラ様、お手を」
よろめいた振りをしてみれば、ここぞとばかりにセミルの手が差し出された。これは黒蝶館のマダムから習った手口である。男性と初めて共歩きするときは、わざとよろめいて手を取らせると良い。男という生き物は、手を握った女を握らない女より何倍も強く意識するものだと。やってみたら、本当だった。セミルは頬を染めて、ラウラの小さな手を包み込んだ。
「お優しいのですね」
上目遣いに恥ずかし気に見て、すぐ目を伏せる。これも娼館仕込みの手法である。こうして18歳で世間知らずの公爵令息は、まんまとラウラの手に堕ちた。この世にこんな素晴らしい女性がいたのかと、跪いて天に十字を切りたい気分であった。
とは言え、ラウラはこの公爵令息を篭絡しようとは考えていなかった。猫が食べもしない鳥を狩るのと同じで、ただの腕試しである。とりあえずセミルは4男坊ではあったが大貴族の子であるし、将来は貴族院で役職を得る家系である。人柄もよさそうなので、味方につけておいて損はないだろう。その程度の認識であった。
「ラウラ様は、王都にはおいでにならないのですか」
夕食の席で、目をキラキラさせながら、セミルがラウラに尋ねる。自己紹介した時、本名はアリエタであると述べていたにも関わらず、セミルは一足飛びに親しみを込めてラウラの名で呼ぶようになった。あけすけな好意を隠そうともしない、生まれ育ちがよい者だけに許される、無邪気なふるまいである。
セミルの父、カラバフ公爵が治める領は王都からほど近い一等地である。広大な平地に豊かに麦が実り、酪農も盛んな上に銀や銅の鉱山もある。もともと国王の外戚から興り、代々王族の血を継承してきた純然たる上級貴族の家系、それがカラバフ公爵ブライガ家だ。そのブライガ家にセミルはラウラを招待しようとしているのである。
「ラウラ嬢は家を離れておられたから、レニのことは覚えていないでしょう。いろいろ思い出話をして差し上げますよ。彼は実に良い友人でした」
「ありがとうございます。でも、王都へは滅多に参りませんの。あちらにはお友だちもいなくて。それに、私などが公爵家にお邪魔するなど、恐れ多くて……」
また目を伏せる。セミルはどうにかラウラを誘い出したくて、一生懸命口説いているが、田舎の子爵令嬢が兄の友人というだけで、公爵の息子と親しくするのは世間体がよくない。さらには、お互いそろそろ結婚相手を探す年頃でもある。家格の違いが歴然であるだけに、おかしな噂を立てられると、困るのは家格の低いハルシュカ家であった。
そこらはセミルも承知しているらしく、あまりしつこくは迫らなかった。公爵家の力を振りかざすと、どういうことになるか幼いころからしっかりと教育されている。セミルが強引でありながら嫌味がないのは、そういう躾の良さの賜物だろう。
「ご無理を申し上げてすいません。でも、もしも王都へいらっしゃる時はお知らせください。花を届けさせていただきます」
カラバフ領は、花の名産地としても有名である。王宮に届けられる薔薇のほとんどは、カラバフ産のものだ。ラウラはにっこりと、はにかむような笑顔を見せた。
「まあ、素敵。私、お花が大好きですの」
その翌週ハルシュカ家に、家令のアーチが両腕でようやく抱えられるほどの、薔薇の花束が届いた。カードには線の強い男文字で、こう書かれている。
――咲き誇るこの可憐な花びらが、まるであの日の貴女のようで、お贈りせずにはいられなかった、愚かな私をどうかお許しください。
贈り主はもちろん、セミル・ブライガである。薔薇の色彩は、あの日ラウラが身に着けていた、黄みがかった象牙色とミルクティー色の取り合わせで、これに葉の緑が加わり、確かにラウラがドレスを着て佇んでいるような印象を受ける。
きっと人の好さそうな笑顔で、喜々としてラウラのために薔薇を選んだのだろうが、これには子爵夫妻も頭を抱えてしまった。ラウラは子爵家の跡取り娘で、婿を取らせて子を成さないと家系が途絶えてしまう。公爵家のご令息にいかに気に入られようとも、それは支障になりこそすれ、諸手を挙げて喜ぶ話ではないのであった。




