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公妾/maîtresse royales  作者: 水上栞
◆ 第三章 子爵令嬢、アリエタ・ハルシュカ
19/61

第五話/ ティティとリーフェン



 ラウラはロットレング子爵令嬢、アリエタ・ハルシュカという身分の他に、シャオ大老の養女、ラウラ・シャオという身分も持っている。子爵家の娘の身代わりとなったため、こちらは行方不明の状態ではあるが、遺産の相続人はラウラである。当然、その運用も彼女の手腕にかかっている。



 大老は屋敷と、そこに住む人々が生活できる事業を残してはくれたが、時が移ろうに連れ人間の暮らしには少しずつ変化が出てくる。シャオ家の屋敷にも、小さな喜びが芽生えていた。



『おめでとう、いつ生まれるの』


『ありがとう、夏が終わるころです』



 ラウラが領地改革で忙しくしているうち、ティティとリーフェンが夫婦になっていた。前から仲が良いのは知っていたので、手放しで嬉しい。しかも間もなく子どもが生まれるという。彼らはどちらも世間ではお尋ね者なので、公式に結婚することはできない。そのため、形式だけ生まれた子を養子として、住民登録してくれる人を探してラウラに相談してきたのだ。



『私に任せて』



 ラウラは手話でリーフェンに約束した。リーフェンはつぶらな瞳と、丸みを帯びた可愛い顔立ちが印象的な女性だ。幼いころ警官に殴られて聴力を失っているため、屋敷の仲間は彼女と手話で会話する。ラウラも幼いころから使っているので、けっこうな速さでお喋りができる。



「ご迷惑をおかけします」



 間もなく父親になるティティが、ラウラに頭を下げた。生まれた子どもは彼ら夫婦が育てるにしても、成長して社会に出すときのために戸籍が必要だ。その事情を納得して、秘密を守ってくれる夫婦者を早急に探してやらねばならない。恐らくシャオ大老に恩を受けた人々の中から名乗りが上がるだろう。



「迷惑なんかじゃないわ、私たち家族じゃない」



 実際、ラウラはシャオ家が実家だと思っていたし、馬車で1日の距離なので、たびたび「療養のため」と理由づけては羽を伸ばしに来ていた。懐かしい面々と会って、リーフェンの作る美味しいユマ料理を食べると、体に気力が漲る気がするのだ。



「それに、ティティには頑張ってもらわないといけないことがあるし」


「はい、そちらは全力で当たらせてもらいます」



 ティティの涼やかな目に情熱的な火が灯る。実はラウラは大老の遺産を活用して、この屋敷で人材育成を行おうとしていた。その主となるのが医師および薬師の養成である。


 この国では、医療や薬品の恩恵に預かれるのは、限られた富裕層のみである。しかし、本当に病気が多いのは貧しい人々で、ラウラはそういう層に医療を行きわたらせたいと考えていた。まずはその計画を実現させるために、医療者を増やさねばならない。



「離れの改造は、どれくらい進んだのかしら」


「はい、ほぼ終わっています。あとは家具を入れるくらいです」




 母屋の外側にある来客用の離れは、シャオ大老が亡くなってからは使われていない。ラウラはここを改装して寄宿舎にした。応接間なども全部潰したので、およそ20人ほどが共同生活できる。この寄宿舎へ入るのは身寄りのない子どもたちだ。


 ラウラはロットレング領内の孤児院を周り、賢い子どもを募った。また、商店の丁稚などで向学心があれば、ぜひ門戸を叩いてくれという触れも出していた。領主様だからできる横暴ではあったが、権力はこうして使うものである。


 彼らはここで薬草園の管理を学び、ティティから薬学と医療を教わって世に出て行く。その受け皿として、診察所を兼ねた薬店を低所得者層が利用しやすい区域へ作ることも、ラウラの計画に盛り込まれていた。その指揮を執るのがティティだ。



「自分がまた、誰かの役に立つことができると思うと、心が勇み立つようです。直接患者を治すことはできなくても、私の教えた者たちがそれを叶えてくれるのですから」



 さらにティティは、ロットレング領内に新設する薬草園にも、様々な助言を行った。打ち身や美肌に効く薬湯を温泉施設で提供できるよう、ラウラは領内の麦畑の多くを薬草に変えた。販売価格で言えば、薬草は麦の10倍以上の儲けになるため、産業としても有望である。


 さらにはティティにお忍びで領内を視察してもらい、稀少な天然の薬草が採取できる地区の地図も作成した。その地域は子爵家で土地を買い上げ、厳重に生育環境を保護する予定である。高級保養施設という器があるからこその、思い切った舵切りだ。






 なお、この寄宿舎には母子の入居者が一組あった。黒蝶館にいたリンである。彼女は無事に借金を返し、夫のロッカと館を出て所帯を持ったが、何とロッカが街で喧嘩に巻き込まれて死んでしまったのだ。その知らせを聞いて、ラウラは弾かれたように王都へ馬車を飛ばした。



 町はずれの墓地。顔を黒いヴェールで隠してはいるが、子爵令嬢が娼館の用心棒を弔うなど、あってはならないことだ。しかし、ロッカはラウラにとっては兄であった。闇市で買われて右も左もわからないラウラに、彼はいつも優しく接してくれた。


 背が高く、腕っぷしが強く、大酒のみのロッカ。強面を歪めて笑う、あの陽気な男にもう二度と会うことはできないのだ。



「ロッカのばか、あんた、リンと一緒に遊びに来るって言ってたじゃない。嘘つき、ねえ、生き返ってよ」



 葬儀には間に合わなかったので、そこにはもう冷たい石の墓標しかない。付き添ってくれたリンとマダムも、あまり突然のことで気持ちの整理がついていない様子だ。リンの横には、3歳くらいの男の子。ロッカによく似た顔立ちを見ると、また涙があふれてくる。



「リン、これからどうするの」


「そうね……、この子がいるから、堅気の仕事を探さなきゃね。女中か、食堂の手伝いか。実家には帰れないし、働くしかないわね」



 その時、ラウラの頭の中にある考えが閃いた。そして次の瞬間には口から言葉が飛び出していた。



「うちに来なさいよ」



 その発言には、リンもマダムも驚愕した。しばらく呆気に取られていたが、先に我に返ったのはマダムだ。



「何を馬鹿なことを言ってるんだろうね。お貴族様の家に、今は堅気とはいえ娼婦だった女を連れて帰るわけにいかないだろう」


「子爵家じゃないわ、シャオ家に連れていくのよ。仕事もあるわ、リンにぴったりの仕事よ。あそこはユマ国の人が何人もいるから、きっと寂しくないわよ」



 マダムがぎろりとラウラを見やった。



「あんた、何を企んでるんだい」


「こんどロットレング領に作る施設で、働く人を募っているの。気持ちが決まったら、すぐに手紙をちょうだい。迎えの馬車をやるから」






 そう言い残してラウラは子爵家へ帰って行った。リンが息子とともにシャオ家に引っ越してきたのは、それから一月後のことだった。同時に、黒蝶館から出て行った元娼婦4人も雇い入れた。堅気になったはいいが、みんな安い賃金で困窮している者たちだ。



「それで、私たちは何をすればいいの? まさか、ここで客を取れなんて言わないわよね?」



 リンが冗談半分でそう言うのも仕方ない。彼女たちの目の前には、白いシーツの敷かれたベッドがあるのだ。ラウラは壁に文字の書かれた紙を貼りつけた。



「オイルマッサージ、ペディキュア……、何よ、やっぱりこれ、客前の準備じゃない」



 紙にはずらりと美容術が書き並べられている。それらは一般の女性には知られていないが、高級娼館で体を磨くために娼婦たちが行っている手入れである。ラウラはその技術を、温泉施設に来た貴族女性に提供しようと考えていた。


 娼館の体磨きと言えば怪しい響きだが、高級な設備で特別な美容術を受けるとなれば格が出てくる。彼女たちにはここでしっかり手技を研鑽してもらい、施設ができあがったらロットレング領へ送り込まれる。



「みんな、やり方は覚えてるわよね」


「まあね、昔は毎日みたいにやってたんだもの」


「じゃあ、それを思い出して。ここで、お互いを客に見立てて練習してちょうだい。うまくいけば、たっぷり心づけがもらえるわよ」



 女たちは、俄然張り切った。ようやく娼館を出たと思えば、明日のパンにも困る生活だったのだ。ラウラが示した給金は、食堂の下働きより遥かに多かった。さらに心づけまでもらえるなら、新しい服や靴だって買う余裕が出てくる。



「ラウラ、ありがとうね。あの世でロッカも喜んでるわ」



 リンと笑みを交わして、ちょっと切なくなった。ラウラが黒蝶館を出てから、もう5年。あっという間に時が流れて、そのうちまた大切な誰かに会えなくなるのかと思うと、切なくて、悲しくて仕方がなかった。




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